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おみまいのおてがみ

 風邪をこじらせている。もう三日目なのに熱も下がらないし、異様に身体がだるい。肺がぜえぜえする。もしかしてこれはインフルエンザだったのだろうか…なんて考えも頭をよぎるけれど、今さら病院に行く気力もない。ポカリスエットを飲んでは、ぬるくなった氷枕に頭を沈める。

 小さい頃は身体が弱くて、しょっちゅう熱を出していた。そして一度、風邪をこじらせて肺炎になり入院した。6歳、幼稚園の年長さんの、梅雨の頃だったと思う。

 入院生活は最高だった。私は「おりこうさん」だったらしく、注射のときも泣いたりわめいたりしなかったので、看護婦さんがやかましい小児病室から空いていた大人用の静かで快適な病室に移してくれた。父も母も病室では怒らないし、あたらしい本やら色鉛筆やらを買って来てくれた。寝ているだけでみんなが優しくしてくれる夢のような空間。私はつかのまのお姫様気分を楽しんでいた。

 そんな入院ライフを謳歌していたある日、母が病室に一通のおてがみを持ってきた。Kくんからだった。その頃、覚えたてのひらがなを使いたくて使いたくて、おてがみ(と呼べるほど立派なものではなかったけれど)をやりとりするのが女の子の間でブームになっていたのだけれど、男の子にお手紙をもらうのははじめてだった。

 Kくんは、幼稚園バスに同じ乗り場からのるおともだちだった。私の乗るバス停には他にも同じ学年のおともだちが何人かいて、近所なので必然的に皆でよく一緒に遊んだ。その中でも、Kくんはもの静かな感じで、他の「THE幼稚園児」な男の子たちとは一線を画していた。

 幼稚園児の書いた手紙だから、大して長いものではなかったと思う。でも最後の二行だけ、いまも覚えている。丁寧な字で、こう書いてあった。


はやくよくなってね

みうちゃんがいないとさみしいです


 私はKくんがどうして突然そんなことを言ってくるのか不思議だった。さみしい?たしかにKくんとはよく一緒に遊んでいるけれど、私がいなくても遊ぶおともだちは他にもいるはずだし、Kくんはひとりぼっちになったりしない。特にSちゃんなんて「Kくんだいすき!」を毎日連発しているじゃない。みんながいるのに「さみしい」というのは変だよなあ、そう思った。それに、普段の凛としたようすの彼からは、「さみしい」という弱い気持ちになっている姿が想像できなかったのだ。

 退院してみると、Kくんは今までと何も変わらなかった。あれきりお手紙をくれることもなかったし、すごく仲良くなったわけでもなかった。だから私も手紙のことはだんだん忘れてしまった。

 その頃、私の母はKくんの分もお弁当を作ることがあった。「なんでKくんのおべんとうも作るの?」と聞くと、「Kくんのおかあさん、大変みたいだから。一個作るのも二個作るのも変わんないでしょ、だからついでに」と言っていた。どうやらKくんのお母さんは具合がよくないみたいだった。私はただ、Kくんと同じお弁当を持っていくことが、なんとなく恥ずかしかった。

 梅雨が明け、夏が来た。私は、椅子から落ちて右腕を骨折した。おかげであまりおともだちとも遊べず、おうちで過ごすことが多かった。そんなこんなで夏休みが明けると、Kくんがいなくなっていた。「かていのじじょう」だった。いつ戻ってくるんだろうと思ったけれど、一週間経っても、一か月経っても帰ってこなかった。引っ越してしまったのだ。


 Kくんがいないと、わたしもさみしい


 そのことに気がついた。だけど、それはなぜだかだれにも話せなかった。どうしても話せなかった。私は誰にも言えない秘密の気持ちを持ってしまった、そのことがひどくいけない事のような気がして、ますます話せなくなった。さみしい、ということは、会いたい、ということだったのだと思った。

 あの時、私は彼に返事を書いたのかどうか、それすら覚えていない。多分書いたのだと思うけれど、なんと書いたのかは全然思い出せない。もらった手紙もどこかへ行ってしまった。でも、風邪をこじらせこの肺がぜえぜえ言いだすと、たまに思い出す。おてがみありがとう。はやくげんきになるね。


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