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100-10=90

ランドセルにはいくつかポケットがあって、一番手前のチャックの付いた小さなポケットには、たいていお守りと10円玉と100円玉が入っていた。

10円玉は、なにかあったときに家に電話をかけるため、100円玉は、なにかあったときにバスで帰るため。

小学校までの通学路は、子どもが重たいランドセルを背負って歩くには長い距離で、まだ身体の弱かった私は、ときどきその100円玉にお世話になっていた。

小学校低学年の頃、毎日一緒に通学していたおともだち、まいちゃん。彼女は私が小学校で見つけたはじめて心から気が合うなと思えた友達で、周りの同級生たちとはちょっと違った女の子だった。いつも何かを秘めていて、時々突拍子もないことをして私を驚かせた。私たちは、金魚草を植えるための秘密の花壇を作ったり、蜂と闘いながら桃を採る壮大な探検に出たりした。彼女は私の知らない世界をたくさん与えてくれた。

そんな彼女と、ある時バスで帰ることになった。たぶんどちらかの体調が悪かったんだと思う。自分でお金を払ってバスに乗るという行為は、7歳の私にはちょっとした冒険だった。小学校前から最寄りのバス停までの運賃は、大人180円、こども90円。

「バスに乗ったら、運転手さんの横にあるお金を入れるところに100円玉を入れて、“りょうがえ”をすること。10円玉を一枚だけ自分でとって、残りのお金を四角いところに入れなさい」

私の家では、こう教えられていた。母がきっかり90円をランドセルに入れなかったのは、ばらばらの小銭を子どもの小さな手で持ち歩くのはリスキーだと思ったからだろう。“りょうがえ”だけはよく分からない単語だったが、その他はきちんと理解できた。

さて、いざバスに乗り、そろそろ降りるバス停が近づくころ。私は母の言いつけどおり“りょうがえ”をした。ところが、まいちゃんは“りょうがえ”をする気配がない。彼女が握りしめているのは100円玉だ。どうするのかな、もしかして90円でいいってしらないのかな。私はやきもきし始めた。バスがバス停にとまると、彼女は100円玉をそのまま投げ入れ、意気揚々とバスを降り、ひとこと、こう言ったのだ。

「いいの。めんどくさいから。10円あげちゃうの!」

たかが10円と言えど小学生には大きなお金だったので、これは極めてショッキングな出来事だった。それを豪快にあげてしまう彼女はやはり只者には思えなかったし、彼女のそういうところが大好きだった。

私は「大人」になった。もう同じ区間でも180円を払わなければいけない。吊革につかまり、ゆらゆら揺られながら、100円玉を2枚握りしめている。丁度いい赤信号で、1枚を“両替”する。10円玉を2枚とって、残りを箱に入れる。ねえ、まいちゃん。今でもまいちゃんはバスに乗る時両替しないのかな。それとも、きっちりと180円を払う大人になってしまったのかな。私はね、あれから一度も「10円あげちゃう」ようなことはしたことがないの。大人になって、10円玉の重さもちょっとずつ変わったけれど、それでも、一度もないよ。たったの一度も。

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