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5月5日夜プレイベントに向けて、4月28日夜、震災経験者を囲んで座談会(ZOOM)を開催しました!

 5月5日(日)夜のプレイベントの前のリサーチも兼ねて、4月28日(日)20時~、令和6年能登半島地震被災者の方、平成7年阪神淡路大震災を経験した方と、経験談を語り合う座談会をZOOMにて開きました。


1.困りごとには、地域差がある


 まずは、能登半島地震のお話から始まりました。

 (避難所生活経験者A、以降A)たまたま町に給水所が3か所あったんですけど、家から近いところは穴場状態で人が少なかったけど、残りの2か所は人の数がすごかったみたいで、とにかく水が欲しいという状態でした。電気とガスが大丈夫だったからかもしれないですけど。トイレ、お風呂、洗濯、飲料水・・・。コインランドリー大繁盛ですよ。喧嘩勃発です。順番に並んでいて、みんなイライラしていました。うちの家はお水が流れなくて・・・2日目か、3日目くらいに近所の大工さんに直してもらいました。あちこち水が出ないと言っていて、町に水は通っているけど、家のどこかで配水管が壊れていて、家のどこで壊れているか明確でない家は後回しにされてしまうんですね。たまたまうちは明確だったので直してもらうことができました。4日間くらいはお風呂に入れなかったです。とにかく困ったことは「お水」です。わたしたちのエリアは電気・ネットはつながっていました。
(在宅避難者B、以降B)私たちは大丈夫でしたが、電波がつながらなかった地域もあります。2週間電気が来なかったという話もあり、オール電化のお宅は苦労したと聞きます。

 (A)避難所はめちゃくちゃ寒かったです。最初は、仕切りも何もなかったです。マットもなかったです。家から毛布とかを持ってきた人はありますけどね。お風呂は避難所にあったけど使えませんでした。大きなストーブが来るまでは本当に寒かったです。暖房はついていたけど全然効いてないんです。ビニール手袋を靴下の上に履いたくらいでした(笑)。あまりに寒くて。靴下履いていても全然寒いから。めっちゃ寒かったです。

 (B)うちは避難はしていないですけど、すぐに逃げられる1階の部屋にみんなでかたまっていました。普段と違うのもあって、3週間くらい経った頃に、頭が痛くなって、低体温症気味になりました。その日からは夜中とかも暖房をつけるようになって回復しました。在宅ですらそんな状況ですから、避難所生活の方々は本当にご苦労されたんだろうなと思います。

 (A)リハビリするような広いお部屋といっぱい寝れる畳のお部屋がある高齢者の福祉施設が避難所でした。水がダメだからお風呂はあっても使えなかったです。避難所でトイレするにも皆水汲まなければならないし。

 (B)井戸が近くにあってよかったですけど・・・汲みにいかなければならないですけどね。食器を洗いにいったりして、途中で違うなって気づいて(洗っても外だから風が吹いたら砂がついたりするので)、お皿は使い捨てにしました。新しい生活スタイルに慣れるまで1週間くらいかかりました。

(阪神淡路大震災経験者C、以降C)神戸の震災の時と比べて、水がなくて苦労した、とか火事が怖いからストーブつけないようにしよう、とか、寒かったとか・・・能登のほうがもっと寒いと思うけど・・・一緒だなって感じですね。阪神も1月だったから。2日目に雨が降って家の中がぐちゃぐちゃになったんですよ。なんか29年前大変だった避難所生活とひどさがあまり変わっていないのが残念過ぎる話ですよね。携帯とかなかったから、公衆電話に長い列ができたりとか。外から神戸に電話かけても全然つながらなかったりとか。

 (A)地域によってはネットがつながらなかったところもあるから、地域によって話は全然違ってくると思う。とにかく能登にいく道がダメだったから、海の方から船で電波塔を運んでっていうのをやってましたね。電波がないから。能登に行く道が2本か3本しかないから、そこがだめになるとどうしようもなくなるから。でも普段は使わないから。地震でだめになっちゃうともう能登に行けないですね。すぐ孤立しちゃいます。ヘリコプターや飛行機は飛びまくっていて、音もすごかったです。
 今回、地震の後、天気が良かったからすごく助かった。例年みたいに雪が降ったら飛行機飛べないから。これでも空は今年はよかった方だと思う。そう思うと海も一緒。荒れたら海も行けなかったかもしれない。今年はましな方だったかも。だから本当、道路が弱すぎて・・・。

2.避難所生活のリアル

(A)避難所生活の場を回す人は役場の人でしたね。すぐに避難所のお知らせは来なかったです。区長の方は自分の役割の場所、集会所・公民館などを開設しにいく人もいました(自発的に地域状況によって判断して開所、指定避難所ではないので任意)。ちょっとずつ、町も、どこに人が集まっているのかを情報収集したり、ここに何人います、みたいな話になって、取りに来てください、みたいな。避難所に指定されていないわけだから、物資はこないですけどね。1週間くらいしたら、指定のところにいってください、となるんです。
(B)指定避難所以外はどんどんクローズされ集約されていくんです。
(A)地域によっては2次避難で家から出されているから、片付けができないんですよね。赤札(危険判定)のある家は、外から来たボランティアは整理の為に家に入ったりはできないんですよ。家の外まで運んだら、そこからは運べるけど、家の中のものを取り出す作業はできないんですよ。家の中の作業は危ないからできないことになっています。
(B)技術系ボランティアの人が物を出せるケースはありました。
(A)うちの場合は、家には行けましたけど・・・。柱ってこんなに色んな方向に向くんだって思いました。住めないなって感じになりました。物を出すのも大変でした。本当にしんどかったです。納屋があったから助かりました。納屋がなかったら置くところもなかったから全部捨てていたのかなって思うと本当怖いですよね・・・。少しだけ片付けは進みました。

3.被災者への補助の話


(A)金沢は被害が少ないから、金沢の方からは、被害が少ない場所でしょ、と家が全壊していても理解してもらえなかったです。
 今回、国からの補助も6市町村で、同じ全壊でも、それ以外の地域は義援金が回ってこなくて。家の個別の状況ではなく地域で補助のレベルが決まってしまう。変だなって。その地域だけ、っていうのがちょいちょいあるんですよ。被害に応じてじゃないんですよ。

 水が1か月2か月来なかったのは確かにこの6市町村なんですよ。だからしょうがないか、と納得しようと努力しています。
 町で区切られるとうちはとても不利です。最初アパートを借りるっていう時も、大人数家族でも1か所しか借りれないとなっていて、仕方がないから1か所は補助、2か所目は自費でも、と2部屋借りて、3月の頭くらいに、6人以上は2部屋借りるのも対象にします、というのが出ました。
 1月中旬からアパートに住んでますけど、アパートの資料書類が出たのは4月です。ずっと不動産屋さんに問い合わせしていたんですけど、みんな初めてで。どこに聴いてもわからない、と探り探りで作業してるから。時間がすごくかかって。
 今は、家賃は補助だけど、光熱費は実費で生活しています。

4.防災を考えるにあたってには、いろいろなことを想定する必要がある

(A)備蓄があったとしても、家が無事だった場合に限る話。家がつぶれちゃったら・・・。甚大な被害を受けた場合と、在宅避難ができる人と、ライフラインがダメになった人と、パターンを分けたほうがいい、状況に差があるし、意見にも差があると思います。備える前提の方がいいとは思うけど。
(B)避難所になりうるところに備蓄や対策があることが大事ですね。避難所を誰が開けるのか、とか、その人が来れない可能性があるとか、連絡とれなくなることがありえる、とか、いろいろなことを想定しておかないといけないと今回すごく思いました。誰がどう配るのか、とか、、緊急時に誰かの判断を仰がないと動けないルールがあるとしたら、見直す必要がありそうです。

5.救援物資の分配のこと

(A)自分の命を守るのが精いっぱいのときに、分配を誰がやるかなんてなかなか考えられない状況だったとは思います。避難所も、避難してきた人にあげるのか、家にいる人にも配るのか、の判断とか。みんな殺気立ってたりする。
(B)避難所に行きたくても行けないご家庭もある。あれは結構きついなと。
(A)救援物資は誰の為にあるのか?と。どれくらい誰に配ったらいいのかわからない、常にパニック。こっそり持ってく人だっています。4月現在でも、まだ水が出ないところもある。配る担当の方が、支援物資がどれくらい回ってくるかわからない状況の中で、どれくらい分配するのか分からない、というのも分かります。とにかくパニックです。

6.避難所生活と感染症

(A)1月、感染症数、たぶん、石川県1位だったんですよ。避難所生活が原因だと思います。避難所は一気に広がります。すごいうるさかった。アルコール消毒とか。トイレに水汲まないといけないし、普段よりそういうものに触れる機会が多いから、どうしようもないんですけど。感染症問題はすごく大きかった。昔と違って、ご時世のおかげで、サーモグラフィーがあったり、マスクがストックがあったりしたのは良かったですけど。
(C)阪神大震災の時も、インフルで肺炎になって高齢者の方とかの死者がたくさんでてました。冬は感染症、夏は夏で食べ物が傷むから、冬も夏もデメリットがある。学校の避難所には冷蔵庫がない。
(B)常温で飲める飲み物で食あたりになったケースもあります。

7.避難所生活の雰囲気も地域によって違うのではないか

(B)仮設住宅の入居も進んできた。今でも避難所生活を送っている人もいる。被害がひどかったところは、支援者も沢山来ていて、人と交流することで前向きな話も意外と生まれています。支援者が少ないところは、本当に静かです。
(C)新しい人としゃべっていたほうがいいですよね。阪神大震災の時は20代のボランティアがいっぱいいたから、明るい雰囲気があった。きびきび動いてくれて。そういう雰囲気が能登は少ないかもしれないですね。
(A)避難所でもレベルに差があるかも。うまくいっているところは一部で、ギスギスした避難所も沢山あると聴きます。差がどんどん開いてきていると聴きます。小さな避難所には人が来にくい。(支援の手厚い)一番大きな避難所にわざわざ行くこともよく聴く話です。

8.地盤の話、ハザードマップの重要性

(A)ため池の周りは地盤が弱かったり、昔、川でしたってところは明らかに地盤が弱いです。ハザードマップでわかると思う。それを本人たちが自覚するかどうかだけじゃないかと思う。
 
地震が起きてからハザードマップを初めて見ました。マップもいろんな種類があります。液状化しやすいマップ、とかいろいろあって違いがある。道が日に日に崩れていってます。道が割れだしたり、ブルーシートも増え・・・。ほんと、元旦が一番家が強かったんだろうなって思います。それからどんどん悪くなっています。液状化したり。悪くなる一方。余裕があるかどうか、に尽きる。ああいうときにリーダーシップとれる人がいたら、とは思うけど、みんなそれどころじゃない。
(C)自衛隊が緊急時にどんなことをするか、という理解を深めるのはよいかもしれないですね。

9.災害と、子ども、ペット、外国人の方etc…いろいろなひと

(C)小中学生が能登から減ったということがニュースになっていましたね。
(B)子どものいるうちの方が、県外に出たケースは多いかもしれないです。元旦の日に避難した場所に行くのが怖い、とか、子どもは強くショックを感じていますね。
(A)1か月くらい様子がおかしい子どももいました。急にイライラしだしてペットボトルを殴りだしたり。夜、突然起きて泣き出して前の家に帰りたい、とか。今はだいぶ落ち着いたけど、最初の1か月くらいは様子がおかしい子どもがいた。ショックの受け方は子どもの方が大きいかも。犬もおびえるようになったり。
 ペットを飼っているんですけど、衣装ダンスの中にペットが隠れていました。アパートでは飼えないから、小屋みたいなところで飼っています。ペットは今も寂しがっています。
(B)外国人の方についてですけど、技能実習生が結構います。大変だったと思います。震災後に、支援する団体が外国人向けのサイトを立ち上げたりしました。
(A)(指定避難所ではない)集会所にずっと居座る人もいて、追い出すのに苦労したこともありました。
(B)動く人と動かない人が露骨に出てくる。できることはやってほしい、みたいな。
(A)ボランティアとかに助けてもらうことが当たり前になってしまう人が出てくる話はよく聴きますね。

10.コミュニティづくりとお祭りの関係性

(A)能登にお祭りはたくさんあるが、祭りになると若い人が全国から帰ってくる。普段そこに住んでいる人たちのコミュニティ形成に祭りが関わっているかというとそうでもないかな。祭りの為に、地元を出た若者が遠方から集まってくるんです。
(B)祭りが地域に根付いているので、あまり意識することはないかもしれないですね。祭りが終わった次の日から来年の祭りの準備をする、みたいな祭り好きの地域もある。田舎では人との協力は欠かせない。ご近所付き合いは普段からあった。お互いを知っているから、安否確認がしやすいというのはとってもよかった。正月で家族が一緒だったことも良かった。
(A)子どもを迎えにいかなきゃいけないとかもなかったし。都市でもし災害が起こったら、協力する余裕がなくて、周りの人は敵になってしまうかも。我先に、我先にってなってしまうんじゃないでしょうか。

11.日常は戻ってきていない

(A)今も、日常が「戻ってきた」わけではないです。以前と違って、アパート生活になって今も寝れない。
(C)集団生活という感じが続いているんですね。
(B)文化センター的なものが警察の拠点になっていて、通っていたヨガ教室が閉鎖していたり。今までとは全然違いますね。
(A)能登から離れる話もたまにはするけど、土地があるから動けない、とか。ほかに移りたいって気持ちもあるけど、ここに残りたいって気持ちもあるっていうか。
(B)今後の見通しとか、今後どうしたらいいかわからない、っていう方いらっしゃいますね。

12.緊急時の対応を、日ごろからシュミレーションしておく必要性

(B)災害時に機転を利かして起こした行動が批判される、という話も聴いたことがあります。日ごろから、災害が起きた時にどんなルールで、という話をしておくのは大切かもしれません。悲しいことが起こらないように、みんなで決めごとというか、最悪を想定した仕組みづくりみたいなことが大事かなと思います。
(A)やっぱり、余裕がなくなっちゃって、誰かにあたりたいみたいなのは、人間の感情としてはあるかもしれない。仕切る人は、地元の人じゃない人でも、多少余裕をもってフォローできる人というのは必要かもしれない。(B)想定以上のことが起こりますから。連絡がつながらない、とか、道路が寸断されている、とか。
(A)そうなるだろうな、って思っていても、実際に起こってみたら全然違うと思う。

13.まとめ

 座談会を開き、一番感じたのは、避難所生活や補助金の話などで、「公平」な「分配」を実施することの難しさでした。緊急時は、自分の命、目の前の命が大切になり、公平性を保てない状況がでてくる。それに対して不満や批判も生まれてしまう。なので、日常の余裕のある状況の時に、いかにリアルに災害時・緊急時の状況をシュミレーションして、対応やルールや仕組みづくりを考えておくか、ということが本当に大切なんだなと気づかされました。また、日進・宮原エリアは、川が流れているので、ハザードマップなどで危険性を確認することも大事だと思いました。
 子どもの数が少ない能登半島地震でも、子どもが大きなショックを受けている様子があったというお話を聴き、子どもの数が比較的多いさいたま市で地震が起きたら、ケアももっと大変でしょうし、能登半島地震ではお正月だったから送迎などがなかったですが、平日に地震が起きたら家族ばらばらの状態からスタートすることもありえる、等、本当に色々なことを、余裕があるときに想定することが大切だと思いました。

 uneune防災フェスタのキャッチコピーは、
「”いつも”の公園で、”もしも”のときを考えよう」
に決まりました。

 このイベントをきっかけにして、余裕がある状況の日常時に、いかにリアリティをもってシュミレーションし、協力関係を構築していく努力を続けていけるか、取り組んでいけるか、ということが重要だと思いました。

 座談会に参加してくださった方々、沢山の貴重なお話、誠に有難うございました。
 皆さんの経験が無駄にならないように、イベントやこれからのまちづくりに生かしていけるように頑張っていきたいと、改めて思いました!



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