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激しく萌ゆる恋だった。

人は、過去の恋愛をどれくらい覚えているものなのだろうか?


私は大学生のとき、3年付き合った彼氏がいた。
もうあの頃の愛はないけれど、今でも鮮明に覚えている。とても真っ直ぐな、熱い恋だった。

大学生という、責任を問われない大人という身分は、とても自由だと今でも感じる。

夢を語ることを限りなく許され、未来を無限に想像できる。
お金は十分にはないが、時間だけが有り余り、好きなことを好きなだけできる。

それは、好きな人と好きなだけ一緒に居れて、今この瞬間が最高に幸せ!、と体現できるほどに。


結婚する、と思ってた。

「結婚とは何か。」が分からなかったけれど、一緒に居ることが当たり前で、どんな困難でも2人で乗り越えられると信じていた。

彼は私の全てだった。
そう断言できるくらい、好きだった。

周りからも、二人は結婚すると思ってた、と言われるほど私たちは仲が良かった。

いわゆる半同棲。
彼の手料理が食べれる嬉しさ。彼の分の洗濯物を干す楽しさ。
行きたいと言ったところには、必ず連れて行ってくれる優しさ。私のわがままを受け入れてくれる寛大さ。

ずっと一緒にいた。たくさんのことを共有した。

なにもかもが、私にとって新鮮で、退屈なんて言葉が見当たらないくらいに楽しかった。


今振り返ると、とても盲目的だと思う。

だけど確かにあの頃、私は恋をしていた。愛を学んでいた。

学生と社会人の恋愛が微妙に違うのは、プレッシャーがないからだと私は思う。

世界がバラ色のような恋をしていたあの頃、
結婚や出産なんて、すぐにできると思っていた。だって彼と別れることを想像していなかったから。年齢的にも、まだ先の話と余裕を持っていたから。

働くことへの責任感も全くなかった。所詮バイトだから、楽しく働いて稼いで、あとは自由に使う。それだけのことが、社会に出ると案外難しかったりする。

私は無知だったのだ。

自分の未来に対してとても無知で、彼がいればどうにでもなると確信していた。
何も考えず、彼との、今と未来を想像していた。怖いものがなかったのだ。

だから、ある意味真っ直ぐに人を愛せたのだろう。

今の恋愛が、真っ直ぐじゃないわけではない。
ただ、邪念が一切なく、無邪気に恋愛ができる歳ではなくなってしまったということ。

無知の自分から、責任を知る自分に変わると、考えることがどうしても増える。
気にしてないつもりでも、「結婚」や「出産」と言ったワードが、じわじわと自分を追い詰める。

だからだろう。あの頃の自分がとてもキラキラ眩しく感じる。私の青春。

大学生の自分が、恥ずかしいくらいに真っ直ぐだったことに感心するし、同時に懐かしい感情も呼び起こされる。
あの頃に、人を愛するということを学べて、私はとても幸せだし、満足している。

彼に未練などない。
春に別れて数年経つ。思い出したのは、桜のせいだろう。


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