量子場調整師☆HARU☆

量子場調整®という技術を使って、こころとからだの調整をしています。 無意識領域にアクセ…

量子場調整師☆HARU☆

量子場調整®という技術を使って、こころとからだの調整をしています。 無意識領域にアクセスし、自分ではコントロールできないくせや反応を修正していきます。 それにより、本来の自分を取り戻し、より創造的な人生を歩むお手伝いをしています。 https://unchain2019.jp

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わたしの取扱説明書

初めまして。 量子場調整師のHARUです。 わたしの記事をお読みくださり、ありがとうございます。 ここでは、わたしについての色々を簡単に書いてみたいと思います。 ◎自己紹介HARU(女性) 1969年生まれ 量子場調整師 (量子場調整®上級過程修了) 企業において人事職を25年超経験 思春期の頃に、不安障害や強迫性障害などを発症したことをきっかけに、人の“こころやからだ”に興味を持つ。 その後、大学や専門学校において、心理学、社会福祉学、精神保健福祉学を学ぶ。

    • 小さい頃から美を求められるわたしたち

      かなりご無沙汰をしております。 家庭の事情(主に親の介護等)で2年近くnoteから遠ざかっておりました。 なかなかヘビーな環境だった為、文章を紡ぐ余裕もなく。 しかし、その間もフォローしてくださった方には、大変感謝しております。 この場を借りて御礼させていただきます。 さて今後ですが、心機一転、以前のように毎日とはいきませんが、一定間隔で普段自分が感じていることや興味のあることについて、書ければ良いなと思っております。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      • 例え”感情”がこもった言葉でなかったとしても

        皆だれしも、”感謝”や”ありがとう”という言葉が良い言葉だという認識は持っていると思う。 実際、”量子場調整®”では”感謝”という言葉を周波数の高い言葉として扱っているし、効果がある言葉として施術の際に使用する頻度も高い。 ”量子場調整®”の場合は、施術に使う言葉に感情を込める必要が全く無いため、淡々と言葉を唱えて施術を行う。 実際にクライアント本人が何かに対して”感謝”していようがいまいが、施術者側が”感謝”という言葉を使うと、その対象に対して感謝の言葉が何らかの影響

        • 意識を向ける先で世界は変わる

          物事にはいろいろな側面がある。 例えば、陰陽、善悪、好き・嫌いなど。 同じ出来事を体験しても、人によりその捉え方は違う。 つまりは、意識の向かう方向が異なるということであるが、捉え方次第、フォーカスの仕方次第で、同じ出来事が全く違うものに変わってしまう。 だが、現実に起こっていることそのものには、実際のところ良いも悪いもない。 ただその現実があるだけで、わたし達がその現実に対し勝手な解釈をしているだけだ。 単にわたし達がその現実をどう解釈しているかによって、その現実

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        わたしの取扱説明書

          人に優しく、自分に厳しい人

          これまでを振り返ってみると、わたしの周りには、自分に厳しい人が比較的多かったように思う。 その人たちに言えることは、自分に厳しいことで、仕事が成功したり、人として信頼されたりと、周囲からプラス評価を受けるような人たち、ということだ。 実際、自分を律することが出来ている人は、周りから見ていても安心だし、頼りになるから、「あの人に任せておけば大丈夫。」という感じになりやすい。 そういう意味では、頼もしいし、安定感があるように思える。 またそのような人に限って、自分よりも周囲

          人に優しく、自分に厳しい人

          中途半端だっていいじゃない

          若い頃、恐らく10代とか、まだ20代そこそこの頃だったと思う。 有名な人が話したことだったか、それとも何かの本に書かれていたことだったか、今となっては記憶は定かでないが、今でも鮮明に覚えている言葉がある。 「何事も物事を成しえないのは、”中途半端グセ”があるからだ。」 「その”中途半端グセ”が直らない限り、物事をやり通すことが出来ていないばかりか、全てにおいて”中途半端”になって、自分の人生そのものが”中途半端”なものになってしまう。」 といったもの。 当時のわたしは

          中途半端だっていいじゃない

          いつもと違う”選択肢”を選ぶ

          気づけばいつも同じ傾向のものを選択していることに気づくことがある。 これは恐らく、ほとんどの人がそうだろう。 食べ物や洋服といった物質の選択から、自分が何か行動する際の選択まで、内面、外面を問わない。 生活を送る上で、そして生きていく過程で、小さなことから大きなことまで、わたしたちは常に選択をしながら生きている。 この選択、大体パターンがあって、それに基づいて無意識的に選択していることがほとんどだ。 そして、無意識的なので厄介でもある。 これまでの選択と同様の選択を

          いつもと違う”選択肢”を選ぶ

          ダメ人間製造機(会社編)

          長年会社勤めをしてきた。 そこでいろいろな上司の下で働いてきたのだが、どう考えても部下を”ダメ”にするマネージメントをする人が一定数いた。 そのような人の下で働く部下は大変であるが、当の本人である上司は、”自分は常に正しい”という考え方が基本にある為、部下に対する”マネージメントの仕方”や”コミュケーションの取り方”を工夫をするということは無い。 確かに、上司本人は優秀だからこそ出世しているのだが、人の上に立って取りまとめるにはどう考えても不向きと言うか、人の長所や能力

          ダメ人間製造機(会社編)

          そもそも自分に無いものは、自分に必要ないからだ

          わたしは自分の強みが良く分からない。 長年生きてきても、今もってよくわからない。 ただ自分に”無い”ものや”足りない”ものは、良くわかるし、良く目につく。 幼い頃から自分には”無い”と思っているもの。 例えば、 芸術的センス 頭の良さ 人の輪の中にうまく入ること その他挙げればキリがない。 特にわたしの場合、芸術的センスがないことと、人の輪の中にうまく入ること、これについては欲しいものの一つでもあり、コンプレックスと言えるものであった。 絵を描いたり、物を作った

          そもそも自分に無いものは、自分に必要ないからだ

          こんな僕じゃ愛されない

          どんなに彼女が”好きだ”と言ってくれても、こんな僕のことなんか好きであるはずがない。 僕には何もない。 多分。 性格が飛びぬけてよいわけではない。 顔が良いわけでもない。 頭が良いわけでもない。 運動も得意ではない。 何か誇れるものがあるわけでもない。 何か自慢できるものがあるわけでもない。 もしかして”普通”と言えるものはないのかもしれない。 でも、自分が”好きだ”と思うことはたくさんある。 ”得意”だと思えることもある。 それでも自分に自信がない。 だから

          こんな僕じゃ愛されない

          覚悟が足りない!

          先日、ある人からズバッと厳しい指摘を受けた。 本当は、あなたはその問題についての解答を知っている。 なのに、自分でその解答の出口をふさいでその「出口がない。」と言っている。 それを自分で分かっていて、「八方塞がり」と言っている。 そう、わたしはその問題についての”答え”を漠然と認識していた。 恐らくその方法をとれば、わたしの悩みは解決する。 しかし、その方法はこれまでの自分の”思考”や”行動”パターンからはかなりかけ離れたものであり、「”分かっている”からと言って容易に乗

          覚悟が足りない!

          安全装置発動中‼

          ここのところの家庭や仕事環境の変動から、思い切って”行動”を変えなければならないことが出てきている。 しかし、一旦落ち着いてしまった環境から離れるのは、本当に容易ではない。 人は”変化”を嫌う。 それは、”変化”が、それまでの安心・安全なゾーンから離れることを意味するからだ。 よく聞く、”コンフォートゾーン”と言われるものがこれに当たる。 良かれ悪しかれ、一旦落ち着いてしまうとそれを維持しようとするのが人間。 ”変化”は、リスクでもあり、ストレスでもある。 明ら

          安全装置発動中‼

          ”常識”も”正義”も時代や人で変わるものだから 。。

          いわゆる”常識”と呼ばれるもの。 辞書には、「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」とある。 この”常識”。 わたしは、一般社会において、いわゆる”普通”とか”当然”と言われる事項、つまり「多数の人がそう思うであろう。」と思われることが、”常識”という呼ばれ方をしていると考えている。 つまり大多数の人が、「常識とはこういうものでしょ!」と思っていること。 これに関して、これほどあいまいで変動する概念はないと思っている。 そして、”正義”。

          ”常識”も”正義”も時代や人で変わるものだから 。。

          自分の闇を観る

          "闇"というと、なんだか病んでいる感じがするが、ここでいうところの”闇”とは、いわゆる観たくない、認めたくない自分のこと。 でもこれ、どんなに良い人だろうと、誰にでもある側面。 表に対して裏の自分。 本当の自分。 素の自分。 とも言えるかもしれない。 普段の自分が”表”なら、陰な感情に支配されている時は”裏”みたいな感じで捉えてもらえるとわかりやすいと思う。 だからこそ、この部分を正しく認められないと、どんなに良い人生を願っても”叶わぬ夢”となる可能性が高いと思って

          トラウマに囚われず生きていく

          誰にでも、生きていれば思い出すだけで、 嫌なこと 恥ずかしかったこと 怖かったこと など いろいろあると思う。 それらは時として、今に生きる我々の脳裏に浮かび上がってくることがあるが、実は脳裏に浮かび上がっていなくとも、無意識はその時の嫌な出来事そのものを記憶しており、その時の“自分の反応“を全て覚えている。 出来事の詳細、その時のからだの状態、こころの状態、全て全て。 そしてその反応は、実は「今の自分にもかなりの影響をおよぼしている。」のだ。 わたし達は生きてい

          トラウマに囚われず生きていく

          からだの声を聴く

          この世に生を受けて50年。 「よくぞ、付き合ってくれたこのからだ。」 最近は良くそんなことを思う。 振り返ってみると、幼い頃から何かしら“からだの不調“を感じていることが多かった。 小学校に入るころには既に花粉症に悩まされ、当時は有効な治療薬もなかったので、鼻とのどが腫れてつまって、窒息死しそうになることもあった。 思春期に入ると、かなり重度の生理痛で気絶しそうになるほどのたうち回ったり、大人になっても症状は変わらず、外出中に一歩も動けなくなって、人に助けてもらったり

          からだの声を聴く