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覚悟が足りない!

先日、ある人からズバッと厳しい指摘を受けた。

本当は、あなたはその問題についての解答を知っている。
なのに、自分でその解答の出口をふさいでその「出口がない。」と言っている。
それを自分で分かっていて、「八方塞がり」と言っている。

そう、わたしはその問題についての”答え”を漠然と認識していた。
恐らくその方法をとれば、わたしの悩みは解決する。
しかし、その方法はこれまでの自分の”思考”や”行動”パターンからはかなりかけ離れたものであり、「”分かっている”からと言って容易に乗り越えられるものではない。」ということも十分承知していた。

だが言われたときに、「さもありなん。」と思った。

答えを知っているのに知らないふりをしているのは”わたし”。
そして行動できない理由を探しては、「困った。困った。」と言っているのも”わたし”。

観たくない。
できるなら避けたい。
変えたくない。

まさにそんな感じ。

それくらい怖いのだ。
特に人が関わる内容だったため、なおのこと。

この人にどう思われるだろうか?
もしかして嫌われるかもしれない。

そんな感情も相まって、堂々巡りをすること1年以上。

「いい加減にしなければ!」と思いつつ、逃げていた。


これまでの人生でも、”覚悟”を決めなければいけない場面はたくさんあった。

その”覚悟”の分だけ、人生に転機が訪れ、「自分の人生がうまく回り始めた。」とも感じていた。

だからこそ、どちらかというと「”覚悟”を決めることには慣れている。」とも思っていた。

しかし今回の件については、「長年形成された”これまでの自分”が、ここまで頑固に存在している。」とは、思ってもみなかったのだ。

怖い。
怖い。

でもそれを乗り越えなければ、問題は解決しない。

そしてなぜか、最初から”自分が傷つく”とも思っているようだった。
まだ、誰にも傷つけられてはいないというのに。

まるで悲観的な幻想を前にして、勝手に落ち込み打ちひしがれている感じ。

そう単なる幻想。

本当のところ未来がどうなるかは、行動してみなければわからないのだ。

現状に留まろうとするも良し。
先に進むために、行動を変化させるも良し。

どちらも自分の選択次第。

既に解答のある問題。

まるで、”自分の覚悟”を試されているかのようだ。

覚悟が足りない。

今回ばかりは本当にそう思わされた。

そしてこれも一種の安全装置の発動。

しかし、それはあって当然のこと。
それも認めつつ、乗り越えていこう。
これからが山場だ。

でもこの先にはきっと良いことが待っているはず。
現状維持は自分らしくない。

そう信じて、考えすぎずに行動してみよう。

もう既に、”幸せな未来の片鱗”が見え出したのだから。


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