いつもと違う”選択肢”を選ぶ
気づけばいつも同じ傾向のものを選択していることに気づくことがある。
これは恐らく、ほとんどの人がそうだろう。
食べ物や洋服といった物質の選択から、自分が何か行動する際の選択まで、内面、外面を問わない。
生活を送る上で、そして生きていく過程で、小さなことから大きなことまで、わたしたちは常に選択をしながら生きている。
この選択、大体パターンがあって、それに基づいて無意識的に選択していることがほとんどだ。
そして、無意識的なので厄介でもある。
これまでの選択と同様の選択を取るということは、自分の中では”正しくて安心”できるもの。
だからこそそれを選ぶのだが、それが時に災いとなることがある。
この選択パターンにはまると、自分の”可能性”や”創造性”を阻害する要因となるのだ。
いつもと”同じ選択”=いつもと”同じ自分”
つまりは、「何も変わり映えしない。」ということだからだ。
服装の選択一つとってみてもそうだが、いつも同じ傾向のものを買ってばかりいれば、当然見た目に変わり映えはしない。
いつもの安心コーディネイト。
しかし外見を変えたければ、これまでの髪型、化粧、洋服など、これまで選んだことのない選択肢を選ばなれば、大きく変わることはない。
本当に見た目を抜本的に変えたければ、自分の選択をこれまでのものから、大きく方向転換をしなければならない。
内面もこれと同じ。
いつもする選択、無難な選択をしていれば、”自分の人生”を大きく変えることはできない。
良く「自分を変えたい。」と話す人がいるが、ある意味簡単で、この選択をこれまでのものと変えればよいのだ。
いつも同じ選択だから、変わり映えしないのだから、選択が異なれば、違った自分になるのは至極当然。
ただ、このいつもの選択パターンを変える行為がなかなかできないから、自分が変わらないので、ここをどうするかなのだ。
これはなかなか難しい。
過去から続く選択パターンがこれまでの自分を形成しているので、このレールから外れる行為には、ある種の不安を伴う。
特に内面に関することについては。
それならば、あまり不安を伴わない外面的な事柄から訓練してみるのも良いだろう。
いつもと違う洋服を選んでみる
いつも行く場所を変えてみる
いつもと違うものを飲んでみる など。
そうすることで、いつもと違う自分に出会えるかもしれない。
あとは思い切って、”清水の舞台”から降りてみるか。
わたしはこのところ、このくらいの思い切りを要求される選択に迫られていることが多い為、”覚悟”を決めて臨んでいる。
そしてわたしの場合、そこまでしないと「これまでの自分を変えられない」ことも知っている。
そうすることで、いつもと違う自分に出会うために。
変化が感じられれば、しめたもの。
変わる自分を楽しめれば、思考や行動の選択を変えていくことも段々容易になってくるはずだ。
自分を変えたければ、いつもと違う選択肢を選ぶこと。
どうせなら「”自分が知らない自分”になってみたいと思うし、”自分の人生を自分が選んで作っていける”のだということを、楽しみながら生きていけたら、おもしろいだろうな。」と思っている。
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