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人に優しく、自分に厳しい人

これまでを振り返ってみると、わたしの周りには、自分に厳しい人が比較的多かったように思う。
その人たちに言えることは、自分に厳しいことで、仕事が成功したり、人として信頼されたりと、周囲からプラス評価を受けるような人たち、ということだ。

実際、自分を律することが出来ている人は、周りから見ていても安心だし、頼りになるから、「あの人に任せておけば大丈夫。」という感じになりやすい。

そういう意味では、頼もしいし、安定感があるように思える。

またそのような人に限って、自分よりも周囲を気遣ったり、親切だったりするのだから、人として”良い人”とか、”できた人”なのだろう。

しかし人に優しいのは良いのだが、自分に対する厳しさゆえ、物事に対するハードルの高さ、理想の高さから、それを乗り越えるためにあらゆる努力をし、そのせいで肉体的にも精神的にもプレッシャーや責任を過剰に負ってしまう人もいる。

でも本人はそんな理想に対して、できない自分を鼓舞し、責め、もっともっとと際限がない。

それだけでなく、一つの目標を達成するとすぐに、次の目標に向かって同じように自分を奮い立たせていたりもする。

何事にも全力投球。
そして妥協が無い。

自分に対して容赦がなく、いつも追い立てられて気持ちの休まるところがない。

それでいて、周囲のことにも気を遣うものだから、その精神的負担たるや普通の倍以上。

そんなあそびのない生活をずっと続けていて、とうとう精神的に病んでしまったということはあることだ。

自分よりも周囲を気遣うくらいだから、自分の”弱さ”も”悩み”も当然話さず、自分の中にしまい込んでいる人もいる。

一体、どれだけ自分に負荷をかけてきたのだろうか?

それは本人にしかわからない。

でも自分ではそれが当然と思っているので、相変わらず自分に対して常に厳しい。

そんなある時、わたしはある人に聞いてみた。

自分が自分に対してしている、”責めるような言葉や行動”、それ他人にも言えますか?
強制できますか?

「人にそんなことはできない。」

即答だった。

他人に対してできないことを、自分には平気で言い放っているということは、それだけ自分にやさしくないということ。
人に酷いことは言えないのに、なぜ自分には言えるのでしょうね?

・・・

「確かにそうだね。」

自分に厳しいのも限度問題。
ましてや周囲にまで気遣っていたら、気持ちの休まるところがない。

まだ”自分に厳しく他人にも厳しい”方が、周囲には迷惑かもしれないが、自分には負担が少ないかもしれない。

自分に甘い人はともかく、厳しすぎる傾向のある人は、一度自分が自分にかけている”言葉”がどういった内容であるかということに、”意識的に気づく”必要があるかもしれない。

そうでないと、
誰もあなたを責めていないのに、「自分で自分を責めて苦しめる。」というループにはまって、必要以上に苦しんでしまうことになるかもしれない。


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