見出し画像

小さい頃から美を求められるわたしたち

かなりご無沙汰をしております。

家庭の事情(主に親の介護等)で2年近くnoteから遠ざかっておりました。
なかなかヘビーな環境だった為、文章を紡ぐ余裕もなく。
しかし、その間もフォローしてくださった方には、大変感謝しております。
この場を借りて御礼させていただきます。

さて今後ですが、心機一転、以前のように毎日とはいきませんが、一定間隔で普段自分が感じていることや興味のあることについて、書ければ良いなと思っております。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今回のお題ですが、実は2年前に下書きで題名だけ決めておりました。
この題名を見て、すぐに何を書きたかったか瞬時に思い出しました。
これについて、自分が女性として生まれて、幼い頃から感じていたことを思うままに書いてみたいと思います。

初めに感じたその想い、わたしが女の子として生まれたから感じたことなのか、はたまた周りの反応を観てそう感じていたのか今となっては曖昧ですが、かなりの歳(50代)になった今でも鮮烈に記憶していることがあります。

実は、私の弟は幼い頃、かなり“かわいい見た目”をしておりました。
今となってはその面影もございません。笑
しかし、姉のわたしからみても実際そうだったのです。

それはそれでよかったのですが、ある時弟が、地元の写真館で七五三の写真を撮った時だったと思います。
店主に「かわいらしい写真が撮れたので、店先に飾ってよいか?」と両親に打診しました。
結局断る理由もなかった両親はOKしたのですが、それを聞いたわたしは幼いながらに複雑な心境だったのを覚えています。

男の子である弟の見た目の方がかわいい。
わたしはかわいくない。

その瞬間、子供ながらに何とも言えない劣等感というか、嫉妬にも似た感情が湧き、「親の愛情もかわいい弟の方が受けているのではないか?」というような思いまで感じた記憶があります。

今思えば、「かわいい方が愛される」「見た目が良い方が大事にされる」と感じた原初体験だったと思います。(5,6歳位でした)

実際、成長するにしたがってよく聞いたのは、かわいい女の子に対する「あなたはかわいいね」という言葉や賞賛、そしてちやほやに近い扱いやひいきめいた扱い。
はっきり言ってしまえば、差別的な態度。

それは大人だけでなく、子供同士でも。

中学生になるまで男の子に間違えられていた、見た目のかわいくないわたしには残酷な、それでいて「かわいくない女の子は価値がない」みたいな、そんな思いがありました。

男性にもあるのかもしれませんが、特に女性は生まれてからかなりの年代まで、「美の呪縛」により、さまざまな思い込みやマイナス感情にさいなまれるのではないか?と感じています。

そして、「女性は美しい方が良い」といった世間の無意識の目に踊らされ、行き過ぎると自分を見失うこともあるのではないか?と思っております。

わたしが20代の頃はよく男性がふざけて、女性の顔や身体の品評ともとれる話を良くしておりました。

今となってはセクハラ扱いになる内容ですが、数十年前は当たり前のように
そこかしこにあり、「女性ばかりがなぜそんなことを言われるのか?」と当時は良く思っていました。

この歳になってくると、若い頃ほど見た目についてコンプレックスに感じたり、周りの目(特に異性)が気になったりはしませんが、やはり「きれいな方が良い」「若い見た目の方が良い」といったあまりにも当然すぎて空気のようにさえ感じる世間の目を、口に出さずとも皆が何気なしに感じている、特に日本人に特有な価値観?を感じています。
そう考えると、西欧の方の大人の女性に対する成熟した美や人間性などを価値あるものとしてみていることと比較すると、日本人は幼いかもしれません。

もちろん生理的に汚らしいのは別次元の話です。
しかし顔や身体の美醜についての無意識レベルでの人との比較、特に女性なら大人になっても感じていることだと思います。
そう考えると、人生の多くの時間を“見た目問題”に縛られているのかもしれません。

当然個人差はありますので、そのようなことは感じない、感じたとしてもさほどでない方もいらっしゃるでしょう。
逆に、それらに囚われすぎて苦しむ人もいるかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

話は少し変わりますが、これらに関する印象的な話が一つあるので、書いてみたいと思います。

母には7歳下の妹がおります。
私の叔母(現在60代半ば)にあたるのですが、この叔母、田舎生まれの割になかなかあか抜けておりまして、美しいとまでは言いませんが歳を取った今でも見た目以上に若く見え、どちらかというと人目を引く見た目をしております。

それは姪であるわたしも幼い頃から思っていたのですが、先日母が昔話として、ポツリとつぶやきました。

昔知り合いに、
「妹さんとは姉妹には見えない」とはっきりと言われたと。
しかも言ったのは女性であると。

かなり無神経で残酷な言葉。

同性の姉妹がいる方の中には、同じことを経験した方もいるかもしれません。
女性の方が女性にシビアな分、平気でそんなことが言えるのか。
いや男性も同じです。特にきれいな女性に対する態度が。
でも、かっこよい見た目の男性に目がない女性もいますからね。

結局、男性、女性関係なく同じなのかな。

美を求める本能は、人間に生まれながらに備わったものなので仕方ないのかもしれません。

動物は主にオスの方がきれいで目立つ見た目をしておりますが、それで繁殖相手を引き寄せることを考えると、人間はメスで逆ですが、やはり同じなのでしょうね。

そう考えると、“見た目が良い”ということは、それだけで悩みが一つ少なくて済むことかもしれませんが、歳を取ってくるとそれとは別の見た目の悩みが出てくるので、いつまでたっても悩みが尽きない問題かもしれません。

わたしの場合はこの歳になってようやく、そのような無意識の目を気にしなくなりましたが、同じ年ごろで若々しい方を見ると、嫉妬はありませんが、「自分もそうありたいな」とはよく思います。

そう考えると人にある、一種の生まれながらに埋め込まれた本能というか価値感なのかもしれません。

しかし、人を傷つけるような発言や態度はやはり控えるべきだし、傷つけたりやたらと人の見た目を持ち上げる人間も、他人から無慈悲な美の基準で判断されていることを認識している必要があると思っています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

また別の側面での話ですが、女性も世の中に美しさを求められているだけでなく、個人差はあれど本能的に「きれいになりたい」という欲求を持っていると思います。
ちなみに男性ならば、「かっこよくなりたい(女性にもてたい)」でしょうか。

人によってこの欲求の程度は違いますが、努力して美しくなること、自分なりの良さを追求することは、良いことだと思います。
また、美しくなる努力が健康に繋がることもあります。

ただ、ここでわたしが言いたかったのは、「無意識の世間の目や常識など、自分の外側の基準に振り回されて劣等感や不足感を感じるのはもったいない」ということ。

外側基準で自分をはかると、「自分にはあれがない、これがない」と、不足にばかり目が向いてしまう原因になる可能性があります。

美しさに限らず、人それぞれ価値基準は異なります。
だからこそ一般的な価値基準でなく、自分を基準にして生きることを大事にすることで、人の目を気にすることなく、人に振り回されずに生きることが可能になるのでは?と考えています。

小さい頃からのこのような目に見えない呪縛、他にもいろいろあると思います。
例えば学歴とかお金などによる、思い込みや偏見など。

そんな呪縛を少しずつでもほどきながら、自分を見失わずに生きていくことが出来たら、そして世の中の多様性とともに様々な価値観が確立され、尊重される世の中になっていけば、「もっと精神的に楽に、自由に生きていけるのでは?」と感じています。

また、「自分が価値あると思える、そして自分の可能性を見いだせる生き方を、人の目に縛られず、人と比較せず、自由にできたらどんなに素晴らしいだろうか」そんなことを思いつつ、自分だけでなく他人に対しても同じ思いを抱きながら、お互いを尊重しつつ生きていけるならば、「どれだけ世の中生きやすくなるだろうか?」と思っています。

こんな感じで、これらの見えない呪縛を紐解いて解放することをわたしの一つの命題として、日々意識して生きている今日この頃です。

【サロンHP】
https://unchain2019.jp

【Instagram】
https://instagram.com/unchain2019








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?