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レジリエンス ⑨自発的治癒力

「本当に、よく頑張りましたね」とカウンセラーに褒められて、私はまた涙が溢れた。

いつしか頑張ることは当たり前になっていて、まだ足りない、ここが間違っている、と、自分に駄目出しばかりしていた。

「問題が複雑に絡まりあっていたので、解きほぐすのに時間がかかりましたね。ここからは、あなたのレジリエンスが導いてくれますよ」

そう言われて私は、何だか目の前の道が、くっきりと見えるような気がした。どうにか自分の足で、歩いていけそうな気がした。


およそ30年ぶりにうつ病を再発した当時、私は、血圧の乱高下と過呼吸発作を繰り返して、起き上がることができなくなっていた。

子どもたちの反社会的な言動を、適切に受け止めることができない。自己否定の感情の嵐の中で、苦しい身体症状に苛まれる日々だった。

親子の課題について世間では、過失は常に親の側にあり、子どもの問題行動は、親の映し鏡だとされている。

本当に辛く、苦しいのは当の子どもたちだ。加害者たる親が、苦しいだの、悲しいだのと言っても取り合ってはもらえない。ゆっくりと自分の感情に向き合うことすらも許されなかった。

カウンセラーは、私の子育てを否定も肯定もせず、「情緒的ネグレクト」「虐待の連鎖」について説いてくれた。

このことは、真っ暗な闇の底にいた私に、大きな一筋の光を与えてくれた。

子どもたちの問題で苦しんでいる背後には、もっと大きな、私自身の問題が隠れている。そこに向き合わなければ、真の回復は望めない。

私は、過去の長年のカウンセリングを経て、解決したと思っていた自分の問題が、何一つ解決していなかったことを知ったのである。


私の母が亡くなったのは、今から30年近く前のことだ。

当時私は、うつ病の只中にいた。救急搬送された後、治療を受け、少しずつ回復に向かっているさなかに突然、母は倒れた。

私の病状をおもんばかって、姉二人はしばらく私に知らせずにいた。その後、意識が回復することなく、数か月ほどして母は亡くなった。

感情的になった長姉は、私に向かって声を荒らげた。

「あんたのせいで、お母さんは亡くなった! あんたがあんなことをしでかしたから、私はお母さんを連れて方々、謝りに行ったの! その後、倒れたんだからね!」

通夜、葬儀、告別式と、号泣する姉二人をよそに、私は一度も涙がこぼれなかった。頭の芯がぼんやりとして、どこか他人事のような、ふわふわとした浮遊感に包まれていた。

遠方から来てくれた伯母たちや、いとこたちへの接待もせず、ただぼんやりとその場に座っていただけだった。


これこそが、ポリヴェーガル理論における「凍りつき反応」だったのだろう。

母の突然の死という現実を前に、私は「凍りつき反応」を起こしていたのだと言える。感情を抑圧して、自然に沸き起こる悲しみや喪失感、辛さを無視し、過度な罪悪感を背負った。

たとえ長姉から「あんたのせいでお母さんは亡くなった!」と叱責されたところで、健全な精神の状態ならば鵜呑みにしたりはしない。

ところが私は、生まれてすぐからの「情緒的ネグレクト」により、心の状態があまりにも脆弱だった。

「あんたが生まれたせいで、お母さんは病気になった! それまで普通のお母さんだったのに。あんたのせいでお母さんは、精神の病になったのだ!」

物心ついた頃から繰り返し、呪文のように聞かされ続けてきた言葉。私が過度な罪悪感を背負い込む土壌は整っていたのだ。


カウンセラーは、「SE療法」「認知処理療法」を併用してゆっくりと、少しずつ絡み合った糸を解いてくれた。

「それでは、こう考えてはどうでしょう。ここに生まれたばかりの赤ちゃんがいます。お母さんはうつ病です。それは赤ちゃんのせいだと思いますか? 赤ちゃんに責任がありますか」

「ありません」と、私は即答する。

あるはずがない。生まれてきたばかりの赤ちゃんに、どんな責任もありようがない。

それなら私は、刃物を用いて、あるいは暴力を振るって母を殺したのか?
もちろん、違う。

それでは私は、母を死なせるために、自分がうつ病になって救急搬送されたのか? 
もちろん、違う。

考えるまでもなく、答えは明らかだった。


昨日まで元気だった母が、突然倒れ、亡くなった。そのことを受け入れるのが辛い。

そこで「過剰同化」が起こって「きっと長姉の言う通り、私が悪いのだろう」という過度な罪悪感を持つ。

あるいは「過剰調節」を起こし「今元気な人も、明日はどうなるかわからない。人はすぐに私から去って行く。置き去りにされてしまう」という過度な恐怖心を持つ。

原因に対する過度な思い込み、現実とは異なる考え。母の問題、長姉の問題、そして私本来の問題。すべてをきちんと分けて整理し、再度検証し直して、適切に修正する必要があった。

長い回り道の末、自然に生じる悲しみや寂しさを、私はようやく取り戻すことができた。

過剰な罪悪感をゆっくりと剥がしていくことが、回復の欠かせない第一歩だったのだ。

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