見出し画像

2時22分の憂鬱①

私がうつ病を発症したのは、今から30年ほど前のことです。
私は、機能不全家庭で育ったネグレクトサバイバーでありながら、そのことに気付かず、心に深い傷を負ったまま成長してきました。
今とは何もかも違う時代の、極めて個人的な体験ですが、回復のための原点として、改めて書き記そうと思います。


兆候は、前から少しずつあったのだと思う。

眠いのに眠れず、起きなければならない時間に起きられない。

父の一周忌を過ぎた頃から、目に見えて、そんな日が増えていった。

父の最後の一年間、たびたび実家や病院に泊まり込んでの介護は、他県に住む私にとって大きな負担だった。

また、父が少しずつ、確実に弱っていく様を、見続けることの心労も大きかった。

その後の通夜、葬儀から、法事を順次こなしていく日々を経て、一周忌は確かに一つの節目だ。いわゆる「どっと疲れが出た」こともあったのだろう。

どうにも身体が重く、起き上がることが困難な日が続いていた。そのくせ横になっていても眠ることもできない。

頭の芯に何か重い塊があって、それが眠ることも、活動することも妨げているようだった。


私は勤務先を独立し、フリーランスになって5年目を迎えていた。駅からほど近いビルに借りた、小さな自宅兼事務所。名刺とFAXとワープロがあれば事足りた。パソコンが広く普及する直前の時代だった。

フリーランスは元々立場が弱い。夕方にFAX一枚で仕事依頼が届き、「明日、朝イチでお願いします」と書かれていることも珍しくない。

必然的に私は、夜から朝にかけて作業することになる。だから昼夜問わず、眠れる時には死んだように眠る。

時代もあってか周りは皆そうだったし、「24時間戦えますか?」と、CMに急き立てられて、喘ぐように生きていた。

そうとは気付いていなかったけれど、承認欲求が極めて高かった私は、形のない世間というものに認められようとして躍起になっていた。


何もしたくない。お腹が空いているのか、いないのかもわからない。のそのそと起き上がると、昼でも夜でも缶ビールを開けた。

訳もなく涙が出てくる。誰かに何かを言われたとか、何かをされたとか、思い当たることは何もないのに、涙が出る。

そうかと思うと、感情の起伏が激しくなって、不意に大声で叫びたくなったり、物を投げつけて壊したい衝動に駆られる。

⋯⋯病院に行かなくちゃ。

ようやく私は気付いた。


近所には、気軽に行けるような心療内科や、メンタルクリニックがない。精神科と名の付くところは山間の、閉鎖病棟のある専門病院が主だった。

幸い家から歩いて20分程度のところに、比較的大きな総合病院があり、私は重い体を引き摺って、その病院の精神神経科を受診することにした。

病院は予約制ではなく、待合スペースにはもの凄い数の患者がいる。約4時間、固いベンチに、だらしなく崩れた格好で座ったまま、私は順番を待った。

ようやく名前を呼ばれた時、私はもう疲れ果てていて、症状をうまく説明することができなかった。

たどたどしく、「眠れない」「起き上がれない」「何もできない」「父の一周忌を終えた」くらいのことを話すのが精一杯だった。


「お父さんのことが好きだったの?」

不意に問われて、医師が何を言っているのか、私は咄嗟にうまく理解できなかった。

どういうレベルの「好き」なのか。

私と父との関係は、家父長的支配や、大切に育てられたという誤った思い込みなど、愛憎半ばしていて、「好き」とか「嫌い」とか、とても簡単には答えられない。

私はしばらく考えてから、仕方なく「⋯⋯そうですね」と曖昧に返事した。

医師は軽く頷いて、黙ってカルテに書き込む。そして「じゃ、二週間後にまた⋯⋯」と診察を終えようとした。

「私は、病気なんでしょうか?」と私は、慌てて話を遮った。

「不安神経症ですね。お父さんの喪の清算ができなかったんでしょう」

医師は淡々と、カルテに目を落としたまま答えた。


「不安神経症」は、はじめて聞く病名だったけれど、私はともかく、今のこの状態に名前がついたことに、とてもとても安堵した。もとより安心したくて、名前をつけてもらうために受診したようなものだった。

私は密かに、自分が働くことも、生活すらまともにできない、どうしようもないクズのような人間なのではないかと怯えていた。

怠けているだとか、だらしないとか、気の持ちようなどではなかったのだ。

精神の、心の病気にかかってしまったのだ、と思うと、私は不思議なほどに安心した。

病気とあれば仕方がない。

きちんと休養し、きちんと薬を飲めば、すぐに回復するだろう。

そしてまた以前のように仕事をすればいい。

そんな安心感からか、どっと力が抜け、その夜は久しぶりに、まとまった時間、眠ることができた。


不意に、真夜中に目が覚めた。

暗闇の中で手繰り寄せた、デジタルの目覚まし時計が、2:22を表示していた。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。もしも気に入っていただけたなら、お気軽に「スキ」してくださると嬉しいです。ものすごく元気が出ます。