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肉体の死とは(#3 あの世の学校・その弐)

私たち一人ひとりの中に、私たち自身が気づいているよりもはるかに偉大な部分があります。一人ひとりの認識は自身全体の氷山の一角に過ぎず、この氷山が私たちの運命を決めているのです。
あなたが”不快”と呼ぶそれらの経験をどこかの神や雲の上の存在のせいにするのは簡単ですが、それはただ私たちの非常に限られた視点から物事を見ているに過ぎません。

前に述べたように一人一人に個性があり、その人(魂)がどういった判断をするかということは予測可能なのです。個性は基本的には変わりません。成長するに従い変わっていくだけです。
けれども、物事は運命により引き起こされるのだから私は何もしなくていいという考え方はとても怠惰であり、成長できない考え方です。


あなたが人生で出会うほとんどの人とは過去世からの絆があります。あなたは2人やそれ以上の人数で解決しなくてはならないことがあるのです。時にその人たちの間に生まれることもあり、それは何故親子同士でお互いに我慢がならないのか、何故憎しみ合うことになるのかの説明にもなります。

もし過去世の記憶をもし持って生まれていたとしたら、無数の記憶が絶えず押し寄せてきて日常の世界で生活していくのがとても困難になります。そして今世で取り組まなければならない学びに集中することはできないでしょう。


カルマという言葉には、さまざまな人が独自の意味を加えたと思います。実際に言うのは難しいのですが、普通の言葉で表すと”愛すること”を意味します。
例えば人を殺したとすると、再びその罪と向き合わなくてはならないことは分かっています。お金のために人殺しをしたとすると、お金のために殺されるかもしれないということです。もしくは、全てにおいて素晴らしい人生を送っていたのに早くにその人生から去らなければならない出来事が起こるかもしれません。全ては巡ってくるのです。


全ての魂は同程度に存在しています。
ある魂は個人的な理由からより多く肉体に転生することを選択しているため、そこから”古い魂””若い魂”と言う言葉が生まれました。けれども地球だけが意識の領域ではありません。


あの世の学校で学ぶということは本を読んで知識を得るという段階で、その知識を活用して実際に経験することにより自分を変えることができます。知識を持って体験することに価値があるのです。
地球で学ぶということは大変ですが、それはよりあなたの中に残ります。

そこには必要に応じて無数の学校と休息所があります。
時には、たった今過ごした人生で学ばなければならなかったことを見直したり、達成したことを見返したりします。若しくはそのまま次の人生に直行する魂もいます。どちらかは自身で決められますが、もし持ち越しが多すぎる場合には一旦学校に行き学び直すか、休息所に向かうでしょう。

魂の受け皿の大きさにより扱える学びの数も違います。なので次の人生に移る前に長く時間が必要な魂もいれば、すぐに次の経験に向かう魂もいるということです。そしてその人生に必要な学びに集中するために、過去世の記憶は忘れていた方が効率的なのです。




(*過去世の記憶全ては必要ないと思うけれども、やはり今世ので学びについては多少の記憶があった方が効率的だと感じてしまう。結局、右往左往する時間とエネルギーの浪費の多いのが地球上での人生で、一人生の寿命も他の生命体(が宇宙にいるとしたら)と比べて短い方なのだとしたら、”これが課題”というものが分かっていた方が調べたり実験したり試行錯誤できるし、人生の目的も見えて生きやすいと思う。
特に今この大きな転換期において、価値や目的を見失ってしまった人が多いのではないでしょうか。

数日前に読ませて頂いた「1000年先の地球のために」という本の後半にチラッと、地球での転生が終わった次の段階について池田整治さんと宗庵さんがコメントされていました。この本には日本人に心を燃やして行動しろと鼓舞するメッセージが散りばめられています。気になった方は是非手にされて下さい。)