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『人間の教科書』 「悟り」がいざなうシン・世界認識(この記事読むと悟り起こる)

前々回「サブウェイをかじった瞬間、サブウェイと自分が等しい存在だと気づいてしまった」という記事を書きました。
が、あまり詳細に触れていなかったので、もう少し分かるようにその際の心境などを紹介します。

と言いながら僕が先日読んだ本について先に紹介させてください。
それはヌーソロジーの勉強会などを開いていらっしゃる川瀬統心さんの『ワンネスは2つある』という本です。

読んでいて特に面白く感じたのは【次元対称性による時代区分】という節です。

これは要約してみると…太陽が不動たる地球の周りを巡っているという天動説、すなわち「天と地」という上下方向の関係が不動のものであるという思想が常識だった時代は、社会の方もそれらの意識が反映されたような様相だった。

つまり固定的な身分制度や身分差別、封建制度、絶対君主制などによって形作られた社会だった。

しかしながら、地動説が広く認められるようになってくる。

つまり地球は太陽の周囲を巡る球体であることが認知されて、これまで不動だった天と地の絶対性が崩れ、上が下となり、下が上となることもあるという視座が人類に獲得されるにともなって、三次元対称性の社会が形作られた。

すなわち固定的な身分制度や封建社会の解体から「自由・平等・友愛」を目指す民主社会、近代精神が生まれたのだ、とする説です。

これは、ものすごく説得力のある考えだと思わないでしょうか?

その時代の人々の空間認識、世界認識と、その時代の社会のあり方というのは一致しているのです。

逆に言うと、物理学、量子力学の発見などによって人々の空間認識が変わってくると、それにともなって社会のあり方も変わってくる、ということ。

更に言うなら、量子力学の解明等によって人々の空間認識を変えることができれば、社会のあり方すらも変えていくことが出来る、ということでもあり、それは同時に説教めいたスローガンを唱えるよりも、よほど確実に再現性高く社会を覚醒させていける力となるのではないでしょうか。

ではこれからの時代、空間認識が変わっていくとしたら、どのように変わっていくのか? 
それにともなって社会はどう変わるのか?

これは細かく語りだすと、ものすごく長くなってしまうでしょうから僕なりにヌーソロジーから学んだことをもとにキーワードと結論だけを書きます。
(あくまで僕なりの解釈なので、異論やご指摘など歓迎です)

まず、これからの時代は、下記のような流れで激変します(最後には戦争も環境汚染も新自由主義が生み出す絶望的な格差も、今ある地球上の問題すべてが解決されます)。

・まず素粒子の性質である粒子と波の二重性の答え、すなわち粒子とは物質世界に波動が収縮して現れた結果であり、波とは観測者の観測意識であったことが認識されていく。

・それにともなって、これまで客観世界上の物質しか対象としていなかった「科学」の限界が認識され、正しい世界認識・物質認識のためには、物質のもととなっている意識と主観の世界を無視できないことが認識されていく。

・この世界が実軸と虚軸、物質世界(3次元空間)と潜像世界(4次元空間)の重ね合わせでできていること、つまり物質が描出される裏側には観測主体同士の主観的意識のもつれあいによって世界が構成されていたことが認識されていく(このあたりはヌーソロジーが大きな役目を果たすでしょう)。

・つまり、あらゆる物質は意識の反映であったことが広く認識されていく。(巷でよく言われる「この世はバーチャルリアリティだった」の本当の意味はこれです。マトリックス風に例えるなら、いま目の前に見ている物質世界はプログラムをもとにして描画された射影であって、描画のもととなるプログラムの世界の方に僕らの実体=魂は属している、ということ。つまり、物質偏重だった社会のなかで潜像となって意識されていなかった精神の世界が見出されはじめ、主観的視座が主導権を取り戻し始めるということです)

・また、人間の本性が「半霊半人」だったことが認識されていく。つまり私たちは寿命ある物体であるよりも前に、まず四次元空間に属する永遠不滅の意識体であったこと、つまりヌーソロジー的に言うならば「モノ」であったことが認識されていく。

・これにともなって死生観が激変していく。死が完全なる終わりではないことが認識され、自殺や殺人が無くなっていく(命を絶っても、それが完全なる終わりではないと分かれば死んだり殺したりする動機が失われていく)。

・また量子のスピン=主観意識同士のもつれあい=産霊(むすび)という共同作業によって世界が描出されていることが認識されていくと、利己心を放棄する人が増えていく。世界は誰のものでもない、皆で生み出している以上、皆で分かち合い、共有すべきものだという認識が自然と社会に広がっていく。

・天動説と地動説が実は両立する関係であり、どちらも正しかった、という空間認識が常識的になる。天動説とは主観的視座のことであり、地動説とは客観的視座のこと。天動説と地動説は円心関係にあること、つまり相対的概念であったことが認識されていく。それにともない、別物として扱われ、切り離されていた科学と宗教、客観と主観の世界が遂に統合される。

・人間は永遠の生命を持っていたのだと知る人、あるいはその考えを信じる人が増えていく(四次元に属する意識体として、はなから永遠の意識を持っていた存在であることが信憑性高く提唱されていく)。そのことによって、多くの争いと苦しみが無くなる。(ただし、これらの考えを受け入れず相変わらずエゴを手放さず物質文明、競争社会での勝利を信奉し続ける人間も残る。この旧人類と新人類による意識戦争こそが聖書で預言されるハルマゲドンなのかもしれない)

・だとすると肉体的死後、エゴに執着した物質至上主義者たちは、その自らの霊格通り相変わらず競争と欲望まみれの地獄的な世界へと向かい、物質至上主義から脱却した精神主義者たちは博愛が治める千年王国へと自らの霊格によって進んでいくのではないか(スウェーデンボルグの言葉の通り)。これこそがアセンションのことなのかもしれない。

ざっとこんなところです。
ヌーソロジーを学んでいる方にとっては、意味がある程度伝わるかと思うのですが、その知識のない方にとっては何を言っているのかさっぱりでしょうか。
でも雰囲気は伝わると思いますし、勘の良い方なら「あ、ここには学ぶ甲斐のある何かがあるな」と感じ取っていただけると思います。

・川瀬統心さんが『ワンネスは2つある』で四次元対称性を獲得すると、「霊的基本的人権」が意識されるようになっていくといった意味のことを書いています。

この「霊的基本的人権」という言葉について説明らしい説明がないので、当初なんのことを言っているのか全然分からなかったんです。

また正直に言えば、なんとなくここだけ言葉が上滑りしているような気がして「うーん、なんだかよく分からん」というのが初見の感想だったのですけど、そういう中で先日、サブウェイをかじる瞬間です。

「そうだよな。このサブウェイのサンドイッチも素粒子でできてるし、俺の肉体も素粒子でできている、そして俺の意識は虚軸側にあって、俺の肉体とサブウェイの方はこの3次元空間、つまり実軸側に属するモノ同士…あ! てことは、俺とサブウェイはまったくおんなじじゃん! 等しいじゃん! 食べるものと食べられるものっていう主従関係じゃなくて、並列な関係がここにあったんじゃん! うわ、まじ!? 俺とサブウェイ、兄弟かよ!?」

と、このように思った瞬間、「あ、多分、これが霊的基本的人権ってことの意味か」と気づいたわけでした。

そう、僕の肉体とサブウェイは、3次元空間に属する素粒子の塊という意味で、まったく同じモノであり、僕の肉体とサブウェイをとりまくすべての物質が、産霊で編み出されているモノであるわけです。

であるならば、すべてのモノ=霊を公平に扱いましょう、大切に扱いましょう、ということが「霊的基本的人権」という言葉の意味なのかな、と僕は理解しました(僕の解釈なので全然違ったらゴメンナサイ)。

つまり平たく言えば
「人類みな兄弟。いや、人類もサブウェイもあらゆるものが皆、兄弟」
ということです。

この霊的基本的人権ということが意識され始めると、人類の間に急速な意識変容が起こって、食料や物質の大量消費、大量廃棄の問題も、自然破壊、環境汚染の問題もすべてが一挙に解決へ向かっていくことでしょう。

このエゴと物質によって汚染された世界の価値観は、大地に感謝し、天に祈りを捧げていた古代人のような意識、世界認識へと戻っていくに違いありません。
物質主義、科学偏重主義があったからこそ素粒子というものが発見されて、それがその時代の限界を人類に見せつけ、その壁を新たな思想がぶちやぶったとき、巡り巡った挙げ句に人類は遂に千年王国へと到達するわけです。

つまり、これが次世代のシン・世界認識というわけです。
めちゃくちゃワクワクしませんか、こんな時代が現実に来るなんて。
僕は今から本当に2040年が待ち遠しいです(その頃には、ここに記したことのほとんどは実現しているかもしれません。遅くても2050年までには)。

(さて、この記事によって読者の皆様にも「悟り」は起きるでしょうか。僕が悟りを感じるまでの思考プロセスや吸収した知識をある程度は記したつもりです。ここで直ちに起きなくても「このあたり何を言っているのかよくわからないな」と思われた箇所の知識を獲得していくと、同様なプチ悟り体感を得る契機になるかもしれません(ヒント無しの独力でそこに到達しないと、僕が最初に得たような電撃的体感にはならないかもしれませんけど)。

『人間の教科書』 「人を認めること」と「自分を認めること」はイコールです
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