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『人間の教科書』 「人を認めること」と「自分を認めること」はイコールです

突然ですが問題です。まず近所に出てみてください。出たところをイメージするだけでも良いです。1分間その景色を眺めて、何を思いましたか?
行き交う人々や、街の雑感を眺めて、あなたはどんなことを思うでしょう?

では答えです。
外の世界に対して思ったことと、あなたがあなた自身に(心の内側で潜在的に)思っていることは実はイコールです。

一例をあげます。

「とりたてて何も思わない。いつもどおりの街。ふーんという感じ。以上おわり」

こういう人が多数派かもしれません。
僕も正直これに近いです(最近、変わってきている気もしますけど)。

こういう人は「人を認める」ようにしていきましょう。
「人を認める」ことは、けっきょく自分を認めることになります。

例えば、世の中にはこんなふうに思う人もいます。

「お、配達員さんが今日も郵便を配ってくれてる。ご苦労さま。ありがとう。コンビニのあんちゃん、今日も働いてる。助かるなぁ。ありがとう。おまわりさんが見回りしてくれてる。ありがたいなぁ。お、子どもたちが元気そうに通学してる。楽しそうだな。エネルギーがもらえたなぁ」

こんな人って、あなたの目から見て、どんな人だと思いますか?
どんな見た目でしょう。どんな顔立ちでしょう。どんな性格でしょう。
いい人でしょうか。悪い人でしょうか。こういう人なら交流できると思いますか? それとも「なんだこいつ。きしょくわる」って思うでしょうか。自分がどう思ったかも覚えておいてください。

次に、こんなふうに思った人もいました。

「はー、なんだかしみったれた街だな。あの人、あんな仕事して楽しいのかね。あの店員、きょうもうざい顔してるな。あいつの顔、きらいなんだよな。あ、おまわりがいる。うぜーな。ピストルなんてぶらさげてえらそうにしやがって。みんな、貧乏そうだし、世の中ばかばっかりだな」

話をわかりやすくするために極端に書いたので、こんなひと実際にいるのかなとは思いますけど、これに近いような人もいるのではないでしょうか。

はい、ではこの人ってどんな人でしょう?

もう分かりますよね。それぞれの人が、どう世界を見ているかって、けっきょくその人自身のキャラクターと同じなんです。

ありがたいなぁ、って周りに思っている人がそう思ってることが当事者たちに伝われば「そんなふうに思ってくれてありがとう」となるでしょう。
つまりこの人は「人からありがたがられる人」ですね。

逆に後者の人が思いが周りに伝われば「てか、お前こそ偉そうだろ。お前こそ嫌われるような顔してるだろ」ってなるんじゃないでしょうか。

そして、なぜ後者の人が、外の世界にこのような感想を抱くかといえば、実は深層心理的には自分に対してもそういう評価を下しているからなんです。それを外の世界に投影している、なすりつけて自分とは無関係だと思おうとしているだけなんですね。

「世の中、くそなやつばっかりだ」と思っている人は「俺だけは素晴らしい」と思っていて、そんなふうなふるまいをしているかもしれません。
でもその人の本音は「おれはくそなやつだ」なんですね。でも、そういう自分と向き合いたくないために「世の中、くそなやつばっかりだ」と思うことで自分の中の向き合えない問題を外側になすりつけているわけです。

これは、その人がどれだけ社会的な成功を収めていたとしても、です。
その人は「おれはくそなやつ」という本音から逃れたいためにがむしゃらにがんばった側面が在るかもしれません。こういうタイプの人は少なくないと思います。しかし、人としてのバランスが取れていないので、どこかでトラブルを抱え込んだり、精神的に穏やかな生活を送れないことになります。

では「ああ、みんな輝いててすごいな。それにひきかえ私なんて、さえなくて全然だめ」と思っている人は、どんな人でしょう。

こういう人は見ようによっては謙虚に見えることもあるかもしれませんが、人から「おまえはだめだ」と言われると「わたしはダメじゃない!」と言わんばかりに激昂したりするんですね。

つまり表向きとは逆に「わたしはだめじゃない」という本音が在るわけです。にもかかわらず自分でそれを認めることができない。人から「だめだだめだ」などと言われるなどして「わたしはだめだ」という思い込みで生きてきてしまったので、今更その生き方を変えられない、という呪縛が在るのですね。

また誰かが自分を認めてくれることだけが「わたしはだめじゃない」と思うための唯一の脱出手段だ、という誤った信念があるのです。
(自分が自分を「だめじゃない」と認めるだけでは不十分だと強力に思い込んでいるわけです)

しかし、なかなかそういう都合のよい他人が現れることもありませんので、自分の本心から逃れるために周りを持ち上げて「それにひきかえ、わたしはだめだ」と決め込んで、変化をしなくて済む穴ぐらに逃げ込んでしまうわけです。

このように深層心理の私と、表向きの私の間にズレが大きければ大きいほど人は幸せを感じづらくなります。

これは、ちょうど気の合わない同居人とふたりで生活しているようなものです。お互いに嫌い合っていたり、歩み寄れないので、ギクシャクした心理状態になってしまうわけです。

人を認めて、自分も認める。自分を認めて、人も認める。
これが幸せに生きていく秘訣です。

そして今よりワンランク上の幸せ感をゲットしたいなら、いろんなことに感謝できる体質になっていきましょう。

感謝できて、なんにでも「ありがとう」と言えることは、より多くのものを認めることになります。
そうすると、けっきょく自分のなかのこれまでなんとも思っていなかったことについても認められるようになっていきます。

僕は「ありがとう:年齢✕1万回チャレンジ」を始めて、まだ4000回程度しか「ありがとう」を言えていませんが、それでも「感謝体質」になることの大切さ、効果を早くも実感し始めています。

次の記事では「幸せ体質になる方法」を紹介してみようと思います。

『人間の教科書』目次

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