梅林 冬実

敬飯愛眠

梅林 冬実

敬飯愛眠

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おとうと

第41話 「風邪ひいて病院に行くのに保険証がないから 2万円貸してほしい。明後日カネ入るからそれで返す」 弟との最後のやり取り。 メールで寄越した内容だ。 事務的な連絡。それも一方的な。 うちだってかなり困っていた。タイミング悪く転職に失敗した私は 口にできないほどの薄給で働いていた。 正社員とは名ばかり。ボーナスも雀の涙。 1か年通して暮らすのがやっとな額面。 そこに母が加わった。すぐに仕事を始めたとはいえ 精神的にも肉体的にも、当時の私には大変な負荷であった。 「2

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      第40話 弟が高校中退した頃。 父の口から「カネがない」と聞かれるようになった。 この8年ほど前。前妻の子を跡取りとして 経営する会社に入社させていた。 面識のない男性。けれど私は一目見て、その人に気付いた。 この人の苦悩を私は知らない。 父親が見知らぬ女性と恋に落ち、母親を捨てた。 この人はきっとそう思っている。 実は違うのだけれど。 父は私の母以外にも何人か付き合いのある女性がいて、 その人たちの間を行ったり来たりしていた。 母の居場所が安息地ではなくて。 沢山の

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        第39話 あれはラブレターだった 私の心にとりあえずの衝撃を放ってくれた出来事。 薄々勘付いてはいた。どっちかと言えば同性好きじゃない?と。 女子の友達は多かったけれど交際にまで発展することは多分なく。 弟が中学の頃、自宅のポストに封のしていない手紙が一通 投函されていたことがある。 黄色い彩のそれは切手もなく、誰かが直にポストに入れたと分かるもの。 宛名は弟になっていて、あの頃はとにかくいじめに苦しんでいたから また嫌がらせされているのではと心配した。 学校から帰宅し

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          第38話 真面目に通勤していたのはどのくらいだったろうか。 働くようになった。 給料をいただくようになった。 学校から解放されて自由になった。 これらの事実がどれほど弟の心理に影響したのか 今なら分かるけれど。 当時は「なんか付き合い難くなってきたなぁ」と 刺が出てきた弟に困惑するようになった。 素直で優しい面もある。それが弟だ。 素直さと優しさが欠けるなら。 あいつの魅力って何なんだ。 人間関係でかなり衝突を起こすようだった。 話しかけたのに返事をしてくれなかった。

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          第37話 基本的に道楽主義。お金大好き。 なのは知っていたし、今更という感じは否めなかったが それにしたって 給料を稼ぐようになってからの弟は少し 言動が変わったように感じた。 大人しく優しい面もあったのにそれらが次第と鳴りを潜め、 代わりにニョキニョキと利己的な気質が 目立つようになっていた。 とはいえまだ16歳。母が厳しく叱ればそれなりに 態度を改めるなどしていたけれど。 勤務態度はまじめと母に聞かされた。そうなんだと思った。 まじめに働かなければ居場所は家だけになっ

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          第36話 あっという間に夏になった。 その日父に誘われ、行きつけの焼肉店へ向かった。 私たちはいつもファミリー向けの店に行くが 父はそうではない。 ファミリー向けのお店の「黒毛和牛」ではない黒毛和牛が置いてある 超高級店だ。 カウンターの向こうで肉を捌く逞しい男性たちを背景に 両親と弟と食事を楽しんだ。 退学した弟はさすがに我儘が過ぎたと感じていたようで、 この頃かなり大人しくなっていた。 働く母と姉、そして父。 「何物でもない自分」を持て余しているようにも見えた。 私

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          第35話 普段おっとり優しいしどこか女性的だし、 だからあんな風に暴れられると 「こいつも男だったな」 と改めて実感させられる。 退学したい旨打ち明けられ 我が家は中々のパニックに陥った。 私はこの結果を見越していたとはいえ、保護者ではない。 保護者である両親は驚きを隠せなかった。 普段弟にはメロメロな父も 「甘えが過ぎる」 と顔を顰めた。 母に至っては 「どうするの、これから!」 と、こちらも普段にない対応を見せた。 高校1年の1学期で退学など、どんな不良だと世間から呆

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          第34話 ゲームをしていた。 確かドラゴンクエスト6。 私も弟も無類のドラクエ好きだ。 ポテチを開けジュースを置き弟のプレイを眺める。 弟はゲーム全般上手かった。 私はかなり引っ掛かるドラクエもサクサク進めていく。 弟のプレイを見るのは好きだった。 ポテチを口に運びゲームに口を挟み ウザい姉はその日、呑気に過ごしていた。 弟が溜息をもらすまでは。 「やっぱりお姉ちゃんの母校を受けていればよかった」 「え?」 思わず聞き返す。「やっぱり」って何よ? 私が決して褒められた

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          第33話 将来は介護福祉士になりたいと語ってくれた。 私の母校に介護福祉科がありそちらで資格を取りたいのだと。 夢が大きいのはいいことだ。 社会に役立てる自分になりたいと願うことも。 ただ。目指す職業に就くために必要な学力や才能。 それらを網羅してからの「未来」であり「将来」であると 弟は今ひとつ理解していないようで、私はそれが引っかかっていた。 「そんな軽い感覚でやっていける仕事じゃないよ」 声掛けしても生返事。 「あんたの言うことなんてどうでもいい」 といった気持

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          第32話 気の優しいお兄さんに弟はすぐ心を開いた。 実に楽しそうに勉強を教わっていて 一緒に夕飯を囲みつつ、母に 「どうですか?勉強ついていけていますか?」 と尋ねられても彼は 「理解すれば問題を解くことはできるので 大丈夫だと思います」 と答えてくれ、私はこのまま一気に 「ごく一般的な学力を持つ中学生」と 弟が進化を遂げるような誤解をしてしまった。 私自身中学時代の学習なんてほぼ手付かずで卒業しているため、 受験生の苦労など知らずにいる。 優秀な大学生があっという

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          第31話 ついていけない。 カネならあった、当時は。 父は羽振りがよかったし母もある程度稼いでいた。 だから教育費なんてものは、湯水のごとくとまではいかなくとも 子供に必要と親が感じる程度のものなら しっかり出してもらえていた。 だからアホな私が高校をやっと卒業してから 2年もの間、専門学校に通うことができたのだ。 成績が悪いことは知っていたが これほどまでとは母も私も考えておらず、 弟は冬休みが終わってすぐ、塾に放り込まれた。 「学校には行かなくていいけど勉強はしな

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          第30話 中学2年の2学期から弟は不登校になった。 奇しくも私がいじめを理由に転校したのは、中学2年の夏休み前。 せめて理解者でありたいと願い、一通りの話は聞き続けた。 「学校に行かなくていい」という大前提は 弟の心に大きな安心を与えていると、信じて疑わなかった。 (姉弟だな) 弟には言わなかったけれど、変なところに血のつながりを感じたものだ。 個性が強すぎて他者から迎合されることはあまりなくて、 そういう自分に気付けなくて「みんなと一緒の私」と思い込んで 思い切り殴られ

          キャンセルカルチャーとKADOKAWA

          アビゲイル・シュライアー氏の著書 「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」 翻訳本がKADOKAWAから出版される予定だった。 令和6年1月発売されるはずだったそれは、amazonが 予約受付を取りやめたことで世間にKADOKAWAが 「キャンセルカルチャー」に屈し 「言論封殺」に加担してしまったことを知らしめるに至った。 左派作家や書店員が大騒ぎしたことが理由だという。 作家は「自分の著書をKADOKAWAから引き上げる」と 書店員は

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          第29話 その日。 季節は冬になろうとしていた。 寒いのでぬくぬくのジャンパーを着こんだのを覚えている。 弟の担任も学年主任もその人となりは知らないが 家庭訪問してくれるということは ある程度こちらの話もきいてくれるものと、 母が思い込んだのは致し方ない。 私は教師の冷酷さを知っているから そんなものに期待することはなかったけれど、 母は学校を出ていないし。 「学校の先生」という存在を高みに立たせていた。あの頃は。 自宅に来訪した中年男性と初老男性。 中年が担任で初老が学

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          第28話 掃除の時間、みんなが机や椅子を教室後方に引き 弟もそれに倣って自分の机やらを引く。 にも拘らず「その音がしない」ことに気付くのに 少し時間がかかってしまったのは 聞こえなくなったのが右耳だけだったからだ。 騒がしい昼休み。ざらついた音が耳に障るのはいつものことで、 それらは弟の左耳にのみ届いていたのだけれど 本人はそれと気付かなかった。 「最近悪口を言われなくなった」 喜んでいたのだが、そうではなくて。 弟の右後ろから、いつも弟に罵詈雑言吐く連中は それらを言

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          第27話 「やっていいヤツ」 「言っていいヤツ」 なんて、よく分からないが。 そういう価値基準があるらしい。 下らない時間を下らない連中が下らなく過ごす。 私が現役の頃からそんな輩はいくらでもいた。 あいつなら机をボコボコにしていい あいつなら机にしまってある教科書捨てていい あいつなら あいつなら あいつなら 私は中学2年の頃友達だと思っていた子たちにいじめられ 通学できなくなり転校した。 転校先はそれまでより遥か、ろくでもない不良校で 私の居場所なんかなかった。