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キャンセルカルチャーとKADOKAWA

アビゲイル・シュライアー氏の著書

「あの子もトランスジェンダーになった
SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」


翻訳本がKADOKAWAから出版される予定だった。
令和6年1月発売されるはずだったそれは、amazonが
予約受付を取りやめたことで世間にKADOKAWAが
「キャンセルカルチャー」に屈し
「言論封殺」に加担してしまったことを知らしめるに至った。

左派作家や書店員が大騒ぎしたことが理由だという。
作家は「自分の著書をKADOKAWAから引き上げる」と
書店員は「そんなものうちでは絶対に取り扱わない」と
脅し、抗議を重ね、本社前でデモ行進する予定まであったという。
そんなものに屈服したのだ。KADOKAWAは。

そもそも発売予定されていたこの本に、差別表現は一切ない。
トランスジェンダーだと自身を断じた若い世代が
乳房や陰茎を体から除去し、さまざまな治療を施したものの
思春期を過ぎ嘗ての判断が誤りだったと気付いたことで、
元に戻りたくても戻れない辛さを訴えるものであって
性的少数者に対するヘイトやバッシングなど、何ら記されていない。
トランスジェンダーと自身への理解を深めるまでに
あらゆるプロセスを経てからでないと、
後悔することになってからでは取り返しがつかないと
警告する内容となっている。

大体こういったキャンセルカルチャーに熱を入れる
LGBT思想界隈は、性的少数者の中の少数と仄聞する。
「全体の2%程度」とする当事者もいるほどだ。
そもそも日本に同性愛者に対する差別などない。
偏見や嫌悪はあってもそんなもの
「デブは嫌い」
「ブスは無理」
「あの人生理的に受付けない」
といった主張とほぼ変わりはない。
というのは、日本で「同性愛者であること」を理由に
・雇用されない
・社会保障が受けられない
・賃貸物件に入居できない
・それと知られたら殺害される
ような事実はどこにもないと断言できるからだ。
そんな話聞いたことがありますか?1度でも。
思想界隈は「差別は止めろ」と喧しいが
では彼らに
「いつ頃どういったことをされたのか、具体的に教えてくれ」
と尋ねても明確な回答は得られない。
「お前に言っても分からない」
「お前なんかに言う必要はない」
「そんなことを尋ねるお前は差別者」
とくる。俗にいう「話にならん」状態に彼らはいる。
ちなみに賃貸物件は、同性愛者ほど大切に住んでくれる人もいないという理由から
喜んで貸し出す大家多数であると、複数の本業の方から伺った。

私のようなストレートは勿論だが
平穏に暮す当事者の皆さんもいよいよ、
腰をあげねばならなくなったと口にし始めた。
LGBT思想界隈が実は性的少数者の中の少数であると
世間が知ることになったなら。

一体誰が困ると思う?

日本文学界が左傾化して久しい。
中央、若しくは右寄りの作家は片っ端から干され
左派と胸を張る作家の作品のみ、文芸誌に掲載される。
どんなにいいものを書いても
それまでどれほど貢献していても
「右寄り」「LGBT思想に関心はない」
若しくは「ついていけない」作家は、軒並み淘汰されてきた。
私は文学を愛する者としてその様を
眦に捉え続けてきた。

敬愛する夏目漱石や三島由紀夫が
現代の「日本文学界」を相手にするだろうか。
さっさと新派を立ち上げ、そちらで活動するであろう。
その点エンターテイメントは
まだ汚染されていないとする一部書き手もいたが、
今回のことでその認識が既に遺物であることが
図らずも証明されてしまった。

LGBT界隈はそもそも
「私たちを差別しないで」
「平等に扱ってほしい」
と訴えていた。
差別とは?平等とは?
日本社会にれっきとして属する彼らが訴えるそれらが
一体どのようなものであるか、まずはそれを知らねばならないと考え
様々な「当事者」に話を聞こうと試みた。
ところが彼らは
「貴様なんぞに用はない。『差別があるのか?』と聞くお前は差別者」
とこちらを侮辱・差別し
「可哀想に」
「そんなことだったなんて知らないでいた私を許して」
など、寝言をほざく連中にのみ集中して「洗脳」した。
お陰で実態をよく理解しないまま
「差別はよくない」
「人権保護の意味でも同性婚を認めるべき」
と軽口を叩く人々が出てきてしまった。

日本に「同性愛者に対する差別はない」ことは、先述した通り。
偏見はあっても差別はない。ブスデブハゲチビに対するそれらと遜色ない。
彼らは日本にはない差別を「ある」と定め
これまでの人生とても辛い思いをしてきたと訴え
「何度死のうと思ったことか」と落涙して見せる。
「だからどんな差別を受けてきたというのだ?」と尋ねれば即
「お前は差別者!」と抗弁する。
そんなことを私は、ここ4年ほど経験してきた。
元は「彼らに対する理解を深めたい」と望んでの行動だった。
お陰で知ることができたのは、
彼らは別に「平等に扱ってほしい」と希求しているのではなく
・社会の主導権を握らせろ
・ルールは自分たちが作る
・お前らは社会の片隅で生きていけ
・これから「産める男」「種付けできる女」を輩出する
と雄叫びをあげているのだ。「社会を変革する自分たちを神と崇めろ」と。

「心は女なのに女性スペースに入れないのはおかしい」
そう訴える中年男性が女湯に侵入し逮捕された。
昨日追起訴されたそうで
「下手すりゃ不起訴で出てくるかも」という懸念は払拭された。
しかし油断はならない。
最高裁は10月、性同一性障害特例法に定められた手術要件を
「憲法違反」と判断した。
年末には手術要件は撤廃されるとする大学教授もいる。
有志はそれらに対抗するべく、日夜活動している。
私はその端っこにしがみ付き、自分の微力さを呪いながら
自分にやれることを行っている。

今回KADOKAWAが下した「刊行中止」は
LGBT活動家に成功体験を味わわせてしまうという
最悪の事態を招いてしまった。
騒げば黙らせることができる。言論封殺できると
自信を付けさせてしまったわけだ。出版社が。
KADOKAWAの理念のなさには呆れるばかりだが、
こんなものに屈してしまった以上、更なる要求を
あの界隈が訴えることは必定で
私たちのようなこれまで「何の問題もなく生きてきた」人々は、
異性愛者・同性愛者の区別なく
このまま黙っていれば大変な苦境に立たされることになるだろう。

欧米で同性愛者に対する差別が横行したのは
HIVがきっかけだったと理解している。
ゲイストリートなど耳にすれば日本人男性は
「あんなとこ近付いたら掘られるぞ」と警戒するが
そうではなくて、彼らは自分たちの居場所を作らねば
生きていくことができないから、その環境を構築したに過ぎない。
日本で「レインボーフラッグを掲げた店以外で、同性愛者は買い物できない」
など、聞いたことはあるまい。
同性同士でショッピングや外食、旅行だって日本ではいくらでも楽しめる。
ところが、欧米諸国はそうではない。
法律で同性愛者を守らねば、彼らはいとも容易く殺されてしまう。
そういう社会に生きる人たちにとって、LGBT法は確かに必要であったろう。
しかしそんな国々でも活動家らは無茶な要求を社会にし続け、
「差別があったことは事実」
「反省せねばなるまい」
と、唯々諾々とそれに従ってきた市民たちも我慢の限界に達した。
反動が起き、子供たちを包括的性教育から守ろうと親たちが立ち上がり、
LGBT法を排除する動きが各地で出ている。

ついでに記すが「G7の中で同性婚が認められていないのは日本だけ」
という言説は嘘だ。アメリカの半数の州は認めていない。
オハイオ・テネシー・ミシガン・ケンタッキーに至っては禁じている。
イタリアも認めていない。
世界196か国のうち同性婚を認めている国は、35か国に過ぎない。
アジアで認めているのは台湾だけだ。
日本が突出して「同性愛者に理解がない」というのは、
LGBT思想界隈がマスコミを利用し誤誘導させたものである。
真に受けている人がいるなら「洗脳されている」だけだ。
事実を俯瞰して見てほしい。
日本にLGBTに関する法律など、全く以て不要なのだ。

KADOKAWAが犯した罪は重い。
彼らがこの先起こるであろう事案の全てに対応できるはずもなく、
またするつもりもないことは明白だ。
何故なら早々に白旗をあげてしまったのだから。
私たちにできることは

「日本に同性愛者に対する差別などない」
「日本ほど多様性に富む国はない」
「刊行中止された著書に差別表現などなかった」
「ないものを『ある』とするのは活動家に顕著に見られる傾向」

という理解を深め、声をあげることだと痛感する。
KADOKAWAのお陰でとんでもない事態に陥ってしまったが、
憂慮してばかりもいられない。
性的少数者の中の少数に屈した企業が後に
自らの判断を恥じ後悔するくらいには、
日本社会を元の「真っ当な姿」に戻す努力を怠らないこと。
これに尽きる。

教会で結婚式を挙げ
生まれた子供を連れ神社に参拝し
ご葬儀には数珠を持参する。
こんな自由な国が他にあるかよ。いい加減にしろよ。

KADOKAWAが刊行中止するなら
KADOKAWA以外の出版社に期待する。
KADOKAWAに一泡も二泡も吹かせてほしい。

最後に
「あの子もトランスジェンダーになった SNSで伝染する性転換ブームの悲劇」
は、同性愛者やトランスジェンダーに対する差別的著書でないことを
再度記しておく。

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