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おとうと

第41話

「風邪ひいて病院に行くのに保険証がないから
2万円貸してほしい。明後日カネ入るからそれで返す」

弟との最後のやり取り。
メールで寄越した内容だ。
事務的な連絡。それも一方的な。
うちだってかなり困っていた。タイミング悪く転職に失敗した私は
口にできないほどの薄給で働いていた。
正社員とは名ばかり。ボーナスも雀の涙。
1か年通して暮らすのがやっとな額面。
そこに母が加わった。すぐに仕事を始めたとはいえ
精神的にも肉体的にも、当時の私には大変な負荷であった。

「2万って。あんたおかしいよ。
そんな額メールで頼むの?保険証ないなら作れよ。
市役所行って。保険証作りたいんですって
窓口で言えばあとは教えてくれるから」

私の意見などそもそも求めていない。
カネ寄越せと言ってそれに応じるか応じないか。
弟がチェックするのはそんなこと。
姉の気持ちや家族の有り様などどうでもいい。
どうでもいい説教を垂れる姉からの電話など、即切り。

そんなこと、初めてされた。

家を出てから弟は箍が外れた。
気の優しいいいヤツだった弟は影も形も消え
あとに残ったのは醜く肥え太った、こちらを何故か敵視する拝金主義者。
お金のない母や私は謗ってよくて
お金を持っている誰かには猫なで声で擦り寄る。
子供の頃から潜んでいた人間性だが
それを徹底的に叩き潰さんとしていたのは母だ。
母の教育方針に則って育っていたら
弟の人生、少しは変わっていたかも知れないなどと考えてしまう。
母が厳しく叱れば父に泣きつき。
父が母を窘めたり、時に大声で怒鳴りつけたりするから
得意気な弟は家で無敵の輩になってしまった。
その父も行方知れずで探そうにも探せなかったのに。

「俺はもう何もできない」

電話でそんな風に告げられ
「あいつを頼む」
と面倒ごとを押し付けられ。
父の言う「あいつ」とは弟のことだ。
私が父と決別できたのはこの時、母について
一言も尋ねなかったから。

「お母さんはどうしてる?」

そんな問いかけがあったら気持ちもきっと解れた。
照れくさくて言わなかったのではない。
父の意識から既に母は消えていた。
不義理から始まった両親の関係は
父親の不義理で終息した。

日常があまりに殺伐としていて
母の気持ちに全く寄り添えなかったのだが、
この頃母は深夜帯、食品会社で製造のパートに従事していて
帰り道24時間営業のハンバーガーショップで
息抜きしたりなどしていたようだ。
母の苦しみは今は解けているように感じるが
この頃の気持ちは、母以外の誰にも分からない。

気儘に生きると決めたのか弟は
それきり私たちの前に姿を現すことはなかった。
薄給の職場でたまたま見たフリーペーパー。
ゲイバー特集が組まれていた。
あの当時は活動家など表に出てきておらず
寧ろ理解せねばならない人たち、といった風潮があり
皆当事者を温かく見守ろうとしていた。
だからゲイバーにも「ノンケでも飲める店なら」
いっちょ行ってみるか的な人は確かにいて。
私は行ったことないけれど
じっくり話を聞いてもらえたり
実社会では触れられない、一風変わった「人の心」に
触れられるとかで足繁く通う人もいた。

「店の中央にソファーがあって
そこに座ってる子は売春専門だから、話しかけたらダメ」

不文律を破りさえしなければ、楽しめる場らしい。
のは置いといて。
ふと開いたページの片隅。紹介されているある店。
店員の中に弟がいた。

オカマとか馬鹿にされてあんなに苦しんでたのに、
地元の知り合いにすぐバレるような真似どうしてするの?

弟の感性を不思議に思う。
どうせやるなら選ぶのは新天地じゃない?
何故嘗ての同級生らが小馬鹿にすること請け合いの
地元でゲイバー店員なんてやってんの。
源氏名は今でも覚えている。平仮名2文字。
写真に写る弟は少し顔を顰めていて
だから誰かに咎められても「ウチじゃない」と
躱せばいいくらいに考えていたのかも知れないけれど。

世間はそう甘くないんだよ。

心の中にほんの少しだけ残っていた
弟に対する情は、ここで枯れ果てた。

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