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発達障害の子を持つ保護者にありがちなこだわり

発達障害などの生徒の保護者と接するとき、たまに見受けられる保護者なりのこだわりがある。



教員としては保護者のこだわりよりも生徒の成長や将来を重視したいのだが、決定権が保護者にある以上、こだわりを持たれると前に進まない。



こだわりは以下のふたつである。



▶︎「普通級」「全日制」に対するこだわり

わたしは「普通」という言葉をあまり使わない。「普通」に属さない者は「普通じゃない」と言われているようで、良いイメージを伴わないからだ。

そのため意味としてはおなじだが「普通級」ではなく「通常級」「一般級」と呼んでいる。

しかし保護者は「普通級」と呼ぶことがほとんどなので、本記事でもそれに合わせ、敢えて「普通級」と表記する。



さて、保護者のなかには、我が子の発達障害を認めながらも「普通級」に対するこだわりは捨てきれない、というタイプがかなり多い。

「今までは普通級へ通っていました」
「これからも普通級へ通わせるつもりです」

などと言われるだけでなく、

「普通級へ通わせてあげたいんです」
「どうすれば普通級へ通わせられますか?」

などと言われることもある。



おそらくその背景には、

・発達障害ではあるけれど普通級へ通っていれば軽度である(または文字通り「普通」である)

・発達障害ではあるけれど普通級へ通うほうが(または普通級の子どもたちと接するほうが)良い影響を受ける


という意図が込められているのかもしれない。




しかし、そもそも子どもが通う学級は、支援の必要性によって決まるものである。

生徒の成長を考えたときになにがいちばん適しているか。

あくまでも基準は生徒自身にある。

「通わせたい」という保護者の願望や「どうすれば通わせられるか」という保護者の工夫によって左右されるものではないはずだ。

支援を受けるのは保護者ではなく生徒である。



なお、学校は主に次のような支援体制がある。

・通級指導教室(通級)
通常の小中学校に設置され、通常級に在籍しながら、週に何時間かは教室を移動して個別の支援を受ける。

・特別支援学級
通常の小中学校に設置され、特別支援学級に在籍しながら、少人数クラスにおいて個別の支援を受ける。

・交流級
通常の小中学校に設置され、特別支援学級に在籍しながら、ホームルーム・給食・特別活動・本人の得意科目など、状況に応じて通常級へ移動して活動する。

・特別支援学校
専門の特別支援学校へ通い、支援を受ける。
幼稚部・小学部・中学部・高等部がある。

上記1〜3つ目は転級も可能である。
わたしも以前、小学校は特別支援学級、中学校は交流級から通級、そして高校は全日制へ通い、大学進学した生徒を受け持ったことがある。



上記のように支援体制はいくつもある。

しかし、子どもは素直なので、保護者から「普通級がいちばん良い」と言われればそれを鵜呑みにし、本人の希望として「普通級へ通いたい」と口にする。

とはいえ実際に「普通級」以外の道へ進んだ場合、ガッカリする保護者とは裏腹に、生徒は大抵ホッとする。



考えてみれば当たり前である。

たとえばわたしは黒板を爪で引っ掻いてギーという音が出てもあまり不快に感じない。

だからあなたも黒板のギーは平気だよね?
環境次第でわたしのようになれるよね?
応援するからがんばってごらん!

と言われたとしても黒板のギーを不快に感じる大半の人たちは決して納得しないだろうし、日常的にギー、ギー、ギーと聞かされたら慣れるどころかストレスが蓄積するだろう。

だから黒板のギーを取り除いた環境で過ごせればホッとする。

それとおなじことだ。



特性に合った支援を受けることは生徒の安心感・信頼感・自信・成長に繋がっていく。



ちなみに高校へ進学すると通級指導教室や特別支援学級という括りはなくなる。

そのため保護者のこだわりは「普通級」から「全日制」へと移行しがちだ。

「全日制高校へ通わせてあげたいんです」
「どうすれば全日制高校へ通わせられますか?」

中学生向けの説明会などで、普通級にこだわりを持ってきた保護者から、たまにこのようなことを言われる。

しかし高校は全日制だけがすべてではない。

定時制高校・通信制高校・高等専修学校など、さまざまなかたちで高校卒業の資格は取れるのだ。

もちろん取った資格に優劣はない。

さらに、高校は小中学校と違って義務教育ではないので、単位が取れなければ退学となる。

どんなに懇願されても規則は規則だ。

無理に全日制高校へ通わせ、結果的に退学となってしまうケースは残念ながらたくさんある。



小中学校の「普通級」にしても、高校の「全日制」にしても、保護者のこだわりを捨て、生徒にとって適した進路を選ぶべきである。



次にもうひとつのこだわりについて書く。



▶︎「手帳」に対するこだわり

保護者に「手帳を取得させたほうがいい」と勧めると、断固として拒否されることがある。

手帳を取得したらレッテルを貼られるような感覚があるのかもしれない。

それ自体が大きな偏見である。



なお、手帳には3種類ある。

・身体障害者手帳
身体に障害があると交付される。
ちなみに身体障害と聞くと四肢のような目に見えるものが浮かぶかもしれないが、実際は、視覚・聴覚・音声・言語・そしゃく・心臓・腎臓・呼吸器・膀胱・腸・肝臓・免疫不全など、目に見えないもののほうが多いことは有名である。

・精神障害者保健福祉手帳
精神疾患や発達障害があると交付される。
ちなみに発達障害専用の手帳はない。

・療育手帳
知的障害があると交付される。
ちなみに知的障害の基準は実は相対的であり、絶対的ではないのだが、これについては長くなるので割愛する。

上記のうち保護者が取得したがらないものは、 精神障害者保健福祉手帳である。

身体障害や知的障害と比べ、精神疾患や発達障害は「気の持ちようでなんとかなる」という誤解があるのかもしれない。



しかしここでも忘れてはならない。

手帳を取得するのも、手帳によるメリットを受けるのも、保護者ではなく生徒である。

特に手帳による就労支援は見逃せない。
本人の特性に合わない仕事に就かせて離職を繰り返すよりも、理解のある職場でしっかりと働き、自立できるほうがずっと本人のためである。

また、利用の有無は本人次第だ。
手帳を使う必要がなければ使わなくてもいい。

メリットを考えれば悩む余地はないはずである。



生徒を自立させるためにも、保護者のこだわりを捨て、積極的に手帳を取得すべきだ。





以上が保護者によるこだわりである。

保護者だからこそ、大切な我が子のことだからこそ、独特のこだわりを持つのかもしれない。

しかしそのこだわりにより、苦しめられるのは生徒本人かもしれない。

保護者と生徒を切り離して客観的に考えられる者からの意見が、生徒の成長や将来に合っていることもあるかもしれない。

だからなるべくこだわりを捨て、生徒主体で考えてもらえたらと思わずにはいられない。

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