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村上春樹「一人称単数」を読んで

 村上春樹は僕が最も好きな作家の一人である。
 初めて村上春樹の作品を読んだのは、僕が高校生の頃。作品は「ノルウェイの森」だった。  
友人が面白いよって貸してくれたのが最初だった。
 でも「ノルウェイの森」は彼の作品の中では異例とも言える恋愛小説で、もちろん村上春樹だから単純なラブストーリーではないんだが、彼の王道を行く作品ではない。
 彼の作品は、最新長編である「騎士団長殺し」や「1Q84」など、人間の深層心理や異世界に迷い込んでいく物語が多い。

 今回の「一人称単数」にもそんな要素がある。
 かつて一緒にピアノを習っていた少女から届いたピアノリサイタルの招待状をきっかけに、「中心がいくつもあって、しかも外周を持たない円を思い浮かべることができるかね」と尋ねてくる不思議な老人との交流を描いた「クリーム」。
 大学生のときに架空のレコード批評を書いたら、15年後、仕事で訪れたニューヨークの中古レコード店で自分が創り上げた架空のレコードと全く同じ内容のレコードに出会ってしまう「チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ」などはその代表例だろう。
 同時にこの短編集を僕は、「村上春樹流私小説」として読んだ。

 かつて村上氏は「若い読者のための短編小説案内(文春文庫)の中で「僕はいわゆる自然主義的な小説、あるいは私小説はほぼ駄目でした。・・・サイズの合わない靴に足を突っ込んでいるような気持ちになってしまうのです。」と書いている、吉行淳之介や庄野潤三といった第三の新人には心惹かれるが、私小説は駄目だったと。
 でも、それから約25年後に書かれた今回の作品に僕は「私小説」を感じた。
 大学2年生のときにひょんなことから一夜を共にした同じアルバイト先の女性と彼女がつくる短歌を巡る物語「石のまくらに」
高校生の時のガールフレンドとその兄との出会いと別れを描いた「ウィズ・ザ・ビートルズ」
 村上春樹流のひねりは加えてあるが、「僕」のキャラクターがこれまでの村上作品とは違い、作家本人と重なるのだ。
 2019年には「猫を棄てるー父親について語るときに僕の語ること」で初めて実父との関係を作品として書いた村上氏は、今回の「一人称単数」という短編集で、村上流私小説に挑戦したんだと思う。

 それにしても村上春樹の短編は相変わらず美味い。文章も上手い。
 村上春樹の作品を読むと心地良いジャズを聴きながら、とびっきり美味しいウイスキーを飲んでいるときと同じ感覚を味わうことができる。
 比喩も文体のリズムも冴えに冴えている。村上春樹の小説は、僕にとって音楽でありお酒でもある。
 そして、僕にも短編小説が書けるんじゃないかと思わせる何かがある。
 音楽でもそうだが、上手いミュージシャンほど、難しいパッセージを簡単そうに弾いてしまう。
 村上春樹はそんな作家である。
 
 
 
 

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