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「強制参加ではありません」の解釈とは?

今日の出来事

「強制参加ではありません」の解釈とは?

補足(それは自分にとってどんな意味がある?)

会社から補助金が出て、部署内で新年会をやることになった。
新年会開催の目的は、部署内の交流とかコミュニケーションといった感じのよくあるやつ。
うちの部署はパートさんが多いので、昼のランチ時間を利用して、かつ一部業務時間も使っての新年会。
でも一方で、注釈付きで「参加は強制ではありません」という一文も。
まあ会社として強制できないのはわかるが、「強制」って何か? の解釈が難しい。

「新年やるけど来る?」
「いや、なんとなくやめておきます。すいません」
「おk」
強制しないって、こういうことなのかな?

僕の解釈では、
普段喋らないような他のメンバーと交流深める、
そこまでかたくるしくなくても、
普段喋らない人と一言二言喋るきっかけをつくる、ってのが目的なので、
この目的や趣旨は絶対に伝えないといけないと思う。

その上で、めんどくさいのもわかる、
めんどくさいかもしれないけど、自分一人で完璧なパフォーマンスができるわけではないから、他のメンバーとの会話を交わしておくのは今後働いていくのに絶対にプラスになるということ、
そして金銭的負担はないし不必要な時間的束縛もないことを伝えたうえで、
どうするか? の判断を委ねる。
そこまで説明した先に、やっと「強制じゃない」という注釈が出てくると思っている。会社側の意図も知ってもらう必要は絶対にある。

そうか!(気づいたことは何?)

が、これらの説明をするほう(上司側)が、めんどくさいのか、パワハラを怖れているのか、
「そこまでしなくていい」といった温度感。
まあ確かに強制じゃないから、間違ってはないんだけど、なんか腑に落ちない。

やってみよう!(自分ならどうする?)

新年会に参加するしないはあまり重要じゃなく、
新年会に参加したくないという「理由」は把握しておくべきな気がする。
どうしてその結論に至ったか?
たいていこういう場に参加したくない人ほど、コミュニケーションが必要な人だったり性格だったりするので。
「多様性」みたいな、勝手な便利な解釈で終わらせてはいけない。
明日しっかりヒアリングしよう。

参考:『1行書くだけ日記 』伊藤羊一

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