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存在を亡くした悲しみと向き合い、受容し、サバイブしていくための良書3冊を選んだ 《書評:『悲しみの秘儀』 、『きのこのなぐさめ』 、『怖れ』》

長く飼ってきた猫を亡くした。

子のいない自分と妻にとって、どんなときであっても慈しむことのできる生命というのは、かけがえのない存在だった。

妻と、互いに感情の底が抜け、どう現実と向きあえばよいかわからなくなったような日々を過ごした。心に猫の形をした穴があき、穴の「へり」から血と痛みがどうどうと流れ出して、自分ではとても止める術もなく、ただただじっと堪えるほかはなかった。

しかし日々が過ぎ、時が経つにつれて、心の穴は美しい猫の形をしたまま、傷は徐々にかたまって生乾きになってきた。

そんな自分の1年を支えてくれた本を、いくつか紹介したい。

①『悲しみの秘儀』若松英輔

妻を亡くした著者が、言葉により、祈りにより、喪失と向きあってきた心情を編んだ1冊。

26編の小エッセーとなっており、「辛くてとても本など読めない」という時でも、気になるところだけ少しだけ読む、という読み方ができる。

1編ごとに、死や孤独、痛みにまつわるさまざまな詩やテキストが紹介され、筆者自身がそれらの言葉をどう読みどう体験してきたかがつづられる。

和歌について書かれた文章では、死者への歌「挽歌」を紹介しながら、著者は読者に次のように呼びかけている。

文字を記すことができないなら、呻きよ、言葉になれ、と願うだけでもかまわない。その想いは必ず、見えない言葉で刻まれた手紙となって、天へと駆け上がるからである。

『悲しみの秘儀』 若松英輔

言葉にもできぬような悲しみ、苦しみ、痛みと人はずっと共に生きてきた。そして言葉は、その無数の呻きと向き合う知恵を、人類の共有知とする手段のひとつでもある。

著者は、それらと向き合うことで次のような心情に至る。

今では、悲しみとは絶望に同伴するものではなく、それでもなお生きようとする勇気と希望の証しであるように感じる

『悲しみの秘儀』 若松英輔

もしあなたが、身体が引き裂かれるような悲しみと暗闇の中にいるのならば、本書はかすかな光を見いだす助けとなってくれるかもしれない。

②『きのこのなぐさめ』ロン・リット・ウーン

文化人類学者である著者が、夫の急逝の悲しみのなか、キノコという生物の神秘性と出会い、それに惹かれていく日々を通じて、受容と再生を果たしていく現実の物語。

若松英輔氏の『悲しみの秘儀』が悲しみとの直接的な向き合いや言葉による再生を描いているのに対し、こちらはキノコという不思議な「存在」と関わっていくなかで間接的に悲しみが溶かされていく日々を描いている。

夫が亡くなった後の自分を、著者は次のように描く。

全てが粉々に砕け散り、絶望しか残っていない中で、喜びが輝きを伴ってあふれてくるなんて、あり得るのだろうか。

きのこのなぐさめ

そして、なんとはなしに気晴らしとして受講したキノコ講座をきっかけに、徐々にキノコの神秘に魅入られていく。

そして、あるとき森の中でキノコを探していて気づく。

キノコの宇宙が開けると、同時に再生への道は思ったより単純だとわかった。それはちかちか、きらきらきらめく喜びをただ集めることだ。

きのこのなぐさめ

本書では、夫との日々やその不在の絶望と、キノコについての知識や体験とが、ほぼ交互に語られる。

曰く、キノコには「魔女の卵」「トロルのバター」「オオカミのミルク」「森の金塊」など魔術的な異名を持つ種が多数ある・・。曰く、最長寿の個体は数千年生きている・・。などなど。キノコは、食の愉悦、幻覚と快楽、そして死を司る。

本書は喪失と再生の物語としても、存在の不思議との出会いとしても、キノコ学の本としても読める。

不在の日々をどのように意味づけたらよいか苦しむ、自分と同じような読者の力や発見になるかも知れないとこの本を選んだ。

③『恐れ 心の嵐を乗り越える深い智慧』ティク・ナット・ハン

ティク・ナット・ハン師は、「マインドフルネス」の概念を西洋で広めたベトナム仏教僧。

実は2冊目に挙げた『きのこのなぐさめ』にも、森の中でのキノコ狩りが「いま・ここ」への集中をもたらし、マインドフルネス的体験ができるという一節がある。これも、仏教的な体験理解が「苦しみとの向き合いの知恵」である一端だろう。

こちらの書籍『恐れ』は、将来への恐怖、人間関係の恐怖などさまざまな恐れを、どのように「気づき」で包み、受容できるものにしていくかを、平易な言葉で一歩ずつ教えてくれる。

同師の言葉は、とにかく美しい。

例えば、『ティク・ナット・ハンの般若心経』という著書は、次のような話からはじまる。

ベトナムの山々には、何千羽もの鳥たちが巣を作る洞窟があります。鳥たちは朝早く巣を飛び立ち、ひなのえさを探してはまたそこに戻ってきます。ときどき洞窟の入り口に雲がかかって霞んでしまい、巣に戻る道を見つけられなくなることがあります。

ティク・ナット・ハンの般若心経』ティク・ナット・ハン

こうした詩的な比喩をちりばめ、明晰な論理で私たち日本人にも親しみ深い般若心経の深みを説いてくれる。

また同著者に、死との向き合いという意味では『死もなく、怖れもなく―生きる智慧としての仏教』が、日本人にとっての親しみやすい題材としては上述のほか『禅への鍵 〈新装版〉』が、トレーニング法として『ブッダの〈今を生きる〉瞑想』シリーズなどがそれぞれあり、いずれも仏教という知恵の泉に現代的な光をあてる素晴らしい名著だ。

ただ、現代社会に生きる私たちに多く共通に必要な知恵として「恐れ」との向き合い方をまとめた『恐れ 心の嵐を乗り越える深い智慧』を選んだ。

『恐れ』のなかには、こんな段落があった。

愛する人を失うことは辛いものです。しかし深く見つめる方法を知ったとき、逝った人の本質には生も死もないのだと悟る鍵が手に入ります。物事には「あらわれるとき」があり、次のあらわれが可能になるために「あらわれることが終わるとき」があります。

『怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~』ティク・ナット・ハン

愛する相手の「新たなあらわれ」に気づけるよう、いつも注意していてください。実践に努めれば気づくことができます。木の葉や花々、鳥や雨など、周囲の世界に感覚を開きましょう。立ち止まって深く見つめれば、愛する人が何度も何度も様々なかたちであらわれてくるのがわかるでしょう。あなたは怖れと苦しみを手放し、人生の喜びを再び抱きしめられるのです

『怖れ~心の嵐を乗り越える深い智慧~』ティク・ナット・ハン

自分にとって、家族を失った悲しみと共に生きるためにもっとも支えになった箇所だ。

喪失感は辛いが、輝いた時間と記憶は新しく心に生きはじめる。


悲しみの呻き、言葉。存在との新たな出会い。無常とマインドフルネス。3冊は、同じ希望を様々な形で述べたものだ。

耐え難い喪失と向き合う知恵を育み、共有し、世界に伝えてきた先人たちに、心からの感謝を捧げたい。

紹介した書物たちが、苦しむ誰かのいくばくかの参考になりますように。


後記

2024/1/7 このリストに追加したいオススメ本を適宜追加してく。

2024/2/15 『きのこのなぐさめ』の訳者さんがnote書いてらっしゃるのに気がついたので少しメモ補足した。


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