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うつ病のジュリエット

│優雅に、シンプルに、美しく│


他の人の場合はどうか分からないが
わたしは自分のうつ病について
こう分析している。


うつ病になることでわたしは

主人公になりたかった



これはアドラー心理学の本で紹介されていた
『ひきこもり』の目的と同じだと思う。
(実際わたしもひきこもった)


今思えばわたしの周りにだって
わたしに好意的でいてくれた人は
両親や親戚を含めたくさんいたはずだ。
いいことだってたくさんあったはずだ。


だが当時のわたしは
それらを意識することも感謝することもなく
嫌な人や嫌なことたちばかりに
意識を向けていた。


わたしってなんて可愛そうなの。
みんなもそう思うでしょ!?
誰か理解してよ!誰か助けてよ!
誰かかまってよ!!


意識はしていなかったが
こんな願望があったんだと思う。


足も速くないし勉強も普通だし
特技もないし不細工だしお金持ちでもないし
そういうところで注目を引けなかったわたしは

悲劇のヒロインになることを選んだ



わたしの場合
悲劇のヒロインなら簡単になれた。
努力しなくてもいいしお金もいらない。


具合が悪いと嘘をつけば学校を休めた。
心配もしてくれた。
心配されると氣にかけてくれていると
感じることができた。
始まりはきっとこんなものだったのだろう。
(ただし看病されるのは苦手)


そう思うとわたしはこどもだった。
自立していなかった。
自立なんかしたら
誰からも心配してもらえないし
独りぼっちになる氣がしていた。


それは間違った思い込みだった。
自立した性格で自立した生活を送っていたって
誰かと尊重し合いながら協力しながら
生きていくことができるのだ。


ルフィーの海賊船の船員たちだって
1人でも十分戦える能力がある。
お互いにお互いの能力を認めている。


だができないことはできないと認め
そういう自分も認め
それぞれが自分の得意分野を提供している。
有事の際には更に協力し合っている。


こういう生き方は
うつ病にならなくてもできるのだ。
わたしはこういう生き方を知らなかった。


1人っ子のわたしは
親の注目は浴びまくっていた。
特に母親はもう過干渉なほどに。
(過干渉はちょっと困りものだが)


だがわたしの求める注目ではなかったらしい。
先生から怒られたりもしていた
(怒らせようとした訳ではない)
が、それもわたしの求める注目では
なかったらしい。


過去のことはほぼ記憶にないので
奇跡的に感情に強く結び付き
今も覚えていることだけを書いているが
それも間違って覚えているかもしれない。
(記憶の仕方が他の人と違うと
 カウンセリングで言われたことがある)


だから記憶違いもあるかもしれないが
要するのにわたしが言いたいことは
当時のわたしの望む『注目』は
精神を病むことで得られていたということ。


今のように見方を替えれば
あっさり分かることなのに
当時は真っ暗な中にいて
「なんで他の人はうまく生きられるの?」
なんて思っていた。


もっと早くにアドラー心理学に出会っていれば
うつ病にまではならなかったかもしれないが
これも『命はわたし1人のものじゃない』を
心から実感するための伏線であり
必要なことだったのだ。
(よく頑張って乗り越えてくれたもんだ)


タイトルの
『うつ病のジュリエット』
とはまさに当時のわたしのことだ。


うつ病についてわたしが話せることは
あくまでも『わたしの場合』であって
他の人の場合は分からないし
『命は自分1人だけのものじゃない』
と発信することはできても
誰かを変えることはできない。


うつ病になることで自分を救っている人も
いるかもしれないし
うつ病になることで自分以外の誰かを
救っている人もいるかもしれない。
それも含めて人それぞれで
いいんじゃないだろうかと私は思っている。


(2024.1.13 言靈実践53日目)



夢がどんどん叶う
洗練された優雅な世界がわたしの世界

夜空 🌃

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