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失うことがめちゃくちゃ怖かった

嫌われた

去っていかれた

悪口言われた

怒らせた

不快にさせた

迷惑をかけた

不安にさせた

泣かせた

ぜーんぶとてつもなく怖くて

そんなことが起こるたびに

人間と関わる価値がないように感じていた。

最近になってようやく

人が去っても

私を選ばなくても

ちょっと嫌な顔されても

自分の中の不誠実じゃなければ

謝ったり

償ったり

取り繕ったり

尽くさなきゃと感じたり

空気読みをしたり

そうゆうことを過剰に行うこと

やめることができた。

焦燥感とか

無価値観とか

自己否定とか

そうゆうの感じなくて良くなった。

他人の不愉快を察知した時

常に精神自傷行為状態だったから

自己肯定感は常に底辺だったし

やりたくてもできないことがあった時

死ぬほど自分責めてたんだよね。

逆にそんな自己否定を友達や身近な人がしてる時

私はなんて声をかけたいだろうと考えた。

できるだけ自分を他人だと思い込み続けた。

私は宇城ありさちゃんという友達が

そんな精神状態だったらなんて声をかけるだろう

きっときっと

「大丈夫だよ。気にしてないよ。

 悲しい顔をされたら私も悲しいよ。

 傷ついていたら私も痛いよ。

 リラックスして、安心して、

 自分らしく接してくれたら

 私もすごく嬉しいな。」

そう思っていたと思う。

他人には簡単にできる

優しくする、許す、愛する、

愛おしむ、可愛がる、甘やかす、

そんなことがなんで自分になった瞬間

できなくなっちゃうんだろうな、

下手くそだなぁ。なんでかなぁ。

そんなことに気づいて

6、7年がたったんだけど

ようやく少しずつ

自分を許す習慣がついてきた。

自分の無意識にその習慣を

すり込んだ時間を考えると

早期回復だったと思う。

普通だったら一生かけて治さなきゃいけない

むしろ一生治らないかもしれない病だったと思う。

自分の言葉は信じれなくても

他人の言葉は信じよう。

自分に優しくなれなければ

他人だと仮定して優しくしよう。

そんな小さな意識の努力が

ようやく最近形になってきた。

と言いますのも、

毎日本当に不安になる出来事ばかりなのです。

恐ろしいのです。全てが。

だからこうやって今日も

自分の軸を言語にします。

あなたは大丈夫だよ。

恐れなくても自分らしくいて

できないことを責める人

できなかったことを否定する人と

もう付き合わなくて良いのだよ、と。

だって自分は人を許せるのだから

怖がらなくて良いのだよ、と。

自分が許せないことを

許してもらった分

受け入れてもらった分

助けてもらった分

誰かに優しくしてあげよう。

そう思えたら

なんとか今日も

穏やかに生きていけそう。

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