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オリジナリティへの0歩目

多様性という言葉が一人歩きしているような感じもするが、一応まあ若干ではあるが多様性に寛容になってきたような気がする。

違いを認められる社会というか、違いを認めましょうね、みたいな社会になった結果、何者でもない者は、何者でもないような感覚を個人的には感じる時もあり、


他者との違いを無理やり作ることが大多数になってしまっているという、ある種、皮肉のような状態を感じてしまうこともある。

昇進したくない勢は昇進ギラつき勢を小馬鹿にし、もちろん、その逆も然りで、


身近にあるこのような例は数え出したらキリがないように思え、まだ多様性という言葉だけが一人歩きしており、本当の意味でのダイバーシティ社会の実現には時間がかかってしまうことが容易に想像できる。



私は、サッカーが好きで、昔は自分でもプレーをしており、今もJリーグや代表戦はやっていれば観る。

サッカーは11人で行うスポーツで、チームごとに色というか、特色のようなものがあり、もちろん、個人レベルでも同じポジションでもタイプの違う選手が存在している。

そこがサッカーの面白いところでもあり、難しいところでもある。

よく代表選手の選考などで、〇〇選手より⬜︎⬜︎選手の方が上手いんじゃないか、みたいな議論が起こるが、


正直プロになった時点で、どの選手も基本的な技術はあるし、その上でどんな特徴があって、他の選手との組み合わせの兼ね合いや、監督の好みなどに左右される部分が大きいと思う。

日本人の上手い選手を上からピックアップしていったのが代表選手ではないことが、その証明になると思う。


今であれば、三笘選手のようなドリブラーに憧れる子供が多いと思うし、第二の三笘選手になってほしい指導者や親も多いと思う。

それに対して、プレッシングサッカーでアプローチが早く、ゲームがコンパクトになってきているため、これからは三笘みたいな選手は流行らへんから、戦える選手、走れる選手が必要になってくる、っていう考え方もあると思う。

確かにこういう考え方も一理あると思っており、海外の選手なんかは上手いのが当たり前で、それにプラスしてサイズがあったり、走れる選手が活躍していて、現代サッカーに求められるところと、三笘ブーム的なところの逆をついてニッチな選手になった方が競争の少なさと活躍する可能性って部分だけで考えると分があるように思う。


ロート製薬の「肌ラボ」シリーズは、百貨店などの高級スキンケア商品と、市販されている安いスキンケア商品しかなかったところに、コンビニ、ドラッグストアで購入できる、1000円から2000円の価格帯の商品を投入したところヒットしたらしい。


サッカーとは関係のない例だが、競争率の高いところではなく、そもそも競合がいないところで勝負をするというのはビジネスはもちろん、サッカーなどの相手がいるスポーツでは当然の戦い方である。


ただ、だからと言って、三笘を目指すことが、個人的には悪いことだとは思わない。

続く


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