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1歳11ヶ月の子と一緒に、1ヶ月間毎朝、「ファインディング・ニモ」を見て気づいた、ピクサー作品が面白い理由

2歳目前の我が子が、ファインディング・ニモにハマっていて、かれこれ1ヶ月くらい毎朝ファインディング・ニモ見ています。


毎朝、子は新鮮な気持ちで見ているのですが、私はもうだいぶ飽きてきていて、今日、試しに音声を英語にしてみると、変わらず楽しそうにみていてので、明日からまた見たいってなったら英語で流して、私はリスニング力の向上を目的にしたら、あと1ヶ月は毎日視聴も耐えられるかなと思っています。


子供は動いてるものが好きなのか、ニモを見てからは水族館とかでもテンション上がってましたし、なんなら動いていない、スーパーの魚売り場でもテンション上がってました。


なので、カーズとかトイ・ストーリーも見るのは見るのですが、結局はニモに戻ってくるんですよね。


大人としては、カーズとか、トイ・ストーリーも見たいのですが、ニモばっかり、毎日見ています。


正直、飽きてくるのは飽きてくるのですが、やっぱり面白いんですよね。


単純な友情物語とか、仲間との絆みたいなのでは、納得できないくらい面白くって、せっかく毎朝見てるので、なんで面白いんやろうなって考えながら見ていると、ニモとかトイ・ストーリーとかカーズに一つの共通点を見つけました。


それは、失った自己肯定感を取り戻すっていう点です。


友達、友情、仲間ってのも重要な要素だとは思うのですが、それらが失った自己肯定感の回復に一役買ってるように感じます。


ジャンプ作品でいうところの、成長とか勝利みたいな友情以外の部分だと思います。


ニモであれば、ニモのお父さんのマーリンは、奥さんとたくさんの子供を失ってしまいます。


そのため、ニモに厳しく接してしまい、ニモは「できると思ってもできない」というようなことを実の父に言われてしまいます。


これで、2人が離れ離れになるきっかけになるのですが、


捕まえられた水槽でも、脱走するにあたってニモにしかできない任務を任せられますが、できないよーと自信を失ってしまっています。


マーリンも、マーリンで手塩にかけて育ててきた子供をまたしても失ってしまいます。


マーリンが途中で出会う、ドリーも忘れっぽいという性格があって、作品の中では出てきませんが、これまでの人生で自己肯定感を失うことが、あったかもしれませんし、作中でも、マーリンに別行動を提案されるシーンもあります。


そんなドリーの一言から、ニモとの接し方でもっと工夫ができることがあったなとマーリンは感じます。


途中で、出会う海亀のクラッシュの子供への接し方を見て感じることもあったと思います。


マーリンは、ドリー、クラッシュの他にも出会う海の仲間たちとの出会いのおかげで、捕まえられたニモの元へ近づいていきます。


その頃ニモも、捕えられた水槽で、脱走しようとしますが失敗してしまい、またもや自信を失ってしまいます。


父であるマーリンが自分を探して海を泳ぎ回っているという事実を知って、再び脱走の下準備を試みて、今度は成功させます。


マーリンも、捕えられたニモの元に駆けつけ、その混乱に乗じて、水槽の中の魚たちの協力もあって、ニモは脱走して、父マーリンと再会を果たします。


再会するにあたっては、ニモもマーリンも途中で出会ったキャラが重要で、その出会いがなかったら、再会はなかったと思います。


最後の最後で、ドリーが捕まりそうになる場面でも、ニモは水槽の中での経験を生かしてドリーを助けようとします。


その場面でも、マーリンはニモを心配して止めようとするのですが、成長したニモはできることを強く父に伝えます。


できると言い切ったニモ、ニモを信じて行かせたマーリン、この瞬間2人の自己肯定感は取り戻せたと思うんですね。


このシーンに、この映画の全てが詰まっているように私は感じました。


ドリーもマーリンと一緒にいると覚えておけることがわかり、忘れっぽい性格でも認めてくれる人がいるっていう経験は自己肯定感の回復に大きく貢献したと思いますし、


水槽の仲間たちは、自己肯定感の回復とまで言っていいかどうかわかりませんが一応水槽から脱出して自由を手に入れました。


これ、トイ・ストーリーとかカーズも似てると思うんですね。


トイ・ストーリーとカーズは続編もありますし、ニモに比べると見てる回数も少ないのであくまでふんわりとした分析になってしまいますが、


トイ・ストーリーで言うと、ウッディはバズ・ライトイヤーの出現によって一番手のおもちゃからの陥落という自己肯定感を喪失する体験をします。


また、バズ・ライトイヤーも、自分はおもちゃなんだという自己肯定感を失う体験をします。


1であれば、おもちゃを粗末に扱う隣の子供や、3であればおもちゃのボス的なものの登場で、おもちゃの仲間たちも自己肯定感を失いかねない体験をします。


4でいうと、ゴミから生まれたおもちゃなんて自己肯定感がないと言っても過言ではない存在ですよね。


カーズも、レースで強いからって周りの仲間を大事にしなかった主人公が、レースには負け、仲間も離れていくといった、自己肯定感を失わざるを得ない経験をします。


その後、レースの世界からはかけ離れた街で知り合った仲間たちと、仲間の大切さを理解して、元々持っていたレーサーとしての強さを生かして、復活します。


どの作品も自己肯定感を失う出来事があっても、友情とか仲間との絆で、それらを乗り越えて自己肯定感の回復というゴールが感動を生むポイントだと思うんですよね。


この背景には多分、アメリカとかって多くの人が自己肯定感が高いっていう部分があって、みんなが当たり前に持っている自己肯定感も時に失うけど、友達とか、新たに出会った仲間とかがいれば、全然回復できるんだよ、ってのがありそうな気がするんですよね。


対して、日本って、謙遜の文化があって、私はこれはこれでいいと思うんですけど、このせいで、自己肯定感を持ちにくくなるっていう側面もあると思っていて、


自己肯定感関連の書籍も最近は多くなってきましたけど、多くなってるということは自己肯定感を持てていない人が多いという事実の裏返しだと思いますし、


アプローチとしては、自己肯定感を持ってもいいんだよ、自己肯定感が低い人はもっと高めていいんだよってのが多いように見受けられます。


自己肯定感て、自発的、内発的に高めることは難しいと思うので、自己肯定感をみんなが当たり前に持てるようになるためには、


まず自分へのリスペクトはもちろんのこと、周りの人も本人のことをリスペクトしている大切な人間なんだという前提で接しながら、


もしも自己肯定感を失ってしまう出来事があっても、自分1人で回復するのは難しいので、


身の回りの、友達や、これから出会う仲間がきっと、自己肯定感の回復に役立ってくれます。


逆に、自己肯定感を失っている人がいたら率先して声かけてあげてください。


あなたの周りでも、小さなピクサー作品のような世界が広がっていくと思います。


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