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その3. ライターがインタビューで得ている情報は2種類ある

こんなタイトルですけど、今回はちょっと違う話からはじめてみます。

先日、誕生日を迎えまして。
なんとなく鉛筆とスケッチブックと鏡を取り出して、自画像を描いてみたんです。自分の顔をしっかり見つめて描くなんて、本当に久しぶりでした。

描いている途中、鏡に映る自分を見ながら、いろいろな考えが浮かびました。昔から鏡を見ると考えることも出てきました。
それはこんな内容です。

「この鏡に映る像を私は“自分”だと思っているけれど、反転した像である限り実際の“自分”ではない。それでは写真に撮られた“自分“や、誰かが見る“自分“を真の”自分”だと認められるかというと、それもちがう。それらは私らしきイメージ像にすぎず、真の“自分“の実態は自分自身の目では決して見ることができない・・・」みたいな。

要するに、自分ですら自分の本来の姿を見ることができないし、自分が見る他者も本人からしたら本来の姿ではなく、あくまで虚像だっていう。

私は自分の見た目にはこだわりがあって、そこそこの努力もして、気に入っているところもあれば、気に入らないところもある。だけど大前提として、そんなのあってないようなものなんだよな、と思い出しました。

不確実な自我2

そんなことをぼんやり考えていたら、こんな絵に・・・。
思念体的自画像。笑

ということで話を本題に戻します

ライターがインタビュー中に得ている2種類の情報について。
そもそも大前提の話をすると、インタビューには、読む人に伝えたい情報を、当本人から引き出すという目的があります。

インタビュー記事で伝えたい情報とは、主に取材対象者自身のこと、その人が手掛けていること、考えていることなど。つまり、言語化される情報です。インタビュー慣れしている方や、普段からしゃべり慣れている方に話を聞くと、とてもまとまりのある言葉で伝えてくれて、すごいなと思います。大半は事前調べですでに知っている事柄も多いのですが、多くの方が取材の意図を理解した上で、私やメディアの読者に刺さるストーリーを語ってくれるので、新鮮にへぇー! すごいー! って感動します。

そしてこれらの情報に加えて、雰囲気や口調、その場の空気感など非言語情報も伝えたい情報に含まれます。私は特にクリエイティブ系の方にインタビューすることが多いので、この情報もとても大事だと思うのです。クリエイティブに興味がある読み手にとって、作り手の人となりも気になる情報じゃないですか。こういった非言語情報は、言語化することはもちろん、写真やイラストなどのビジュアルで伝える場合も多いです。カメラマンやイラストレーターも、ほんとすごい。

大切なのは、相手のイメージ像をどれだけ鮮明に描けるかどうか

ライターの本分は書くことなので、インタビューが終わった後の執筆もまた苦労します。文字起こしをしたら、はい終わり。というわけでもありません。その場で得た情報をどう切り取って伝えるか、そのために構成はどうするか考えて、伝わるように編集していきます。

しかしクリエイティブ系の方々にインタビューをしていると、一筋縄ではいかないんですよ。というのも「その場ではスムーズに会話が進み、盛り上がりすら感じたのに、文字に起こすと意味不明すぎる現象」がたびたび起きるからなんです。聞き手である自分の話もかなりめちゃくちゃで、相手もよく話の意図を汲み取ってくれたなと思うほど。

この現象って、雰囲気とか感覚とか、身振り手振りでなんとなく話が通じちゃうから起こることだと思うんですけど、そうなるってことはつまり、その場に一種のグルーヴ感ができていたからじゃないかと思うんです。

グルーヴ感の中に漂う非言語情報で、意思は通じ合うんだ・・・。
えっ?って感じですけど、右脳派ライター的にはあるあるです。

とはいえ、そういった支離滅裂な話はそのままじゃだめで、伝わる文章にする必要がある。だから「なんとなく掴んだ“相手が伝えたいこと”を、どう書けばいいのかな?」と考えを巡らせます。ここでも取材時に得た非言語情報がすごく重要で、まさに最初に見せた自画像みたいに、自分が捉えたその人のイメージ像や、その時の現場の空気感を頭に描くんです。脳内再現映像みたいな感じです。そしてイメージ像にセリフを言い換えさせてみる。そうすると、しっくりくる言葉が見つかりやすくなるんですよね。

ここでも、取材時に得た非言語情報がすごく重要で、情報をちゃんと得ることができていないと、イメージ像が薄かったり、ぼんやりしてしまいます。解像度が低いので、「本来言いたかったことってこういうことかな」という想像もかなり大変になります。

まとめ

このように、ライターは取材時に言語化できる情報と、非言語情報を得て、それをうまいこと整えながら記事化しています。1時間程度話しただけでも、取材相手のことをより知った気になって、好感も抱きます。
(普段の人間関係も、これくらい頑張れたらいいのかもしれない)

ただ、最初の話に戻りますけど、そこで得たその人についてのたくさんの情報は、あくまでも自分と相手のあいだで生まれた虚像にすぎないんですよね。事実はたしかに事実だけど、相手の全てや、真実を捉えているわけではないんです。相手の抜け殻を一生懸命咀嚼して、伝わるように消化しているだけ。もちろんそれはそれで、とても大切なことですけど。

記事が出る頃には、相手はとっくに変化している。それはいつまでもちゃんと意識しておきたいです。




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