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人生の分岐点には必ず勇気が試されるんだ(前編)

僕が好きになる女性は決まって僕のそばから離れていく。
ドラマの主人公のように、チクッといたんだ胸元をぎゅっと握りしめて空を見上げてしまう気持ちになったのは、9歳の頃だった。

僕はオカッパでサラサラヘアーの女の子を好きになる傾向があるようだった。小学校1年生の時にちょっぴり切ない恋が終わったあの子もオカッパのサラサラヘアーだったし、小学校3年生になって、どうも無意識に目で追ってしまっているあの子もオカッパでサラサラヘアーだった。

その子と一気に距離が縮まったようなイベントはない。同じ班に連続でなったとか、席が何度も隣になったとか、そういった神のイタズラと呼ばれるような偶然が惹き合わせたイベントもない。なぜ、他の子ではダメでその子じゃないといけなかったのか、今になっても分からない。

「好きになるのに理由は必要あるのか?」

漫画かアニメかのキャラクターの何人かは言ってそうなセリフだが、本当にその通りだ。特に小学校低学年の恋なんてそういうものなのかもしれない。
 
そんな行き当たりばったりの低年齢の恋愛とはいえ、僕にとっては二度目の恋だった。その辺にいる初恋がずっと忘れられないようなチェリー野郎共よりは経験値は高いのだ。

僕が最初の恋から学んだことと言えば、自分の気持ちを優先させる前に考えて話そう、というメソッドだろう。あの時は、自分の一緒にいたいという欲望を抑えられずに相手の状況を見極めることができずに悔しい思いをした。

いや、9歳ちょっとでそんなことできるか。
もう一回行き当たりばったりの恋にまっしぐらに決まっている。まっしぐらでピュアだ。そのピュアさと言ったら、年齢によってはストーカーだと勘違いされるくらいのピュアさだ。

当時、学校の遠足や社会科見学にカメラマンが同行していて、後日、写真を番号で選んで買えるシステムだった。
この時、僕が血眼になって探したのは、僕とその子が自然に一緒に写っている写真だ。その子が写っていても、はしゃいでいてとびきりにかわいい笑顔だったとしても、僕が写っていない写真を買うわけには行かない。
でも買いたい。番号を間違えたという理由で押し通せるかギリギリまで悩んだがやめておいた。

唯一見つけた写真は、その子が10人くらいの女子集団ともみくちゃになって笑顔でピースしていて、その集団を2mほど空けて横から突っ立って眺めている僕がいる写真があった。逆に集団より悪目立ちしていたが、結果オーライという奴だ。
その写真は当時の僕にとっては宝物だった。
この一連の流れは大人がやったらストーカーと呼ばれる行為だろう。

写真を入手したが最後、僕の想いは膨れ上がる一方だった。写真入手前は学校に行きその子が視界に入った時に意識する程度だったのに、写真が家にあるおかげで、家にいるとき、ふとした時に、机の引き出しから写真をそっと取り出して物思いに耽ってしまう。

どうしてくれようか。
僕はあまり我慢強くない性格だった。思いたったら吉日というか、よく言えば勇気がある。悪く言えば無謀。

僕が想いを伝えようと行動を移したのは3月だった。
3月にしたのはちゃんとした理由があった。
なぜなら、ホワイトデーがあるからだ。バレンタインデーは女の子が好きな男の子に告白する日。ホワイトデーはその逆だ。
男の子が好きな女の子に告白する日なんだ。
僕は当時、本気でそう思っていた。

バレンタインデーにその子から何ももらっていないのに、ホワイトデーを絶好のチャンスだと、絶対この日で決めてやる!と、息巻いていたのだ。


ホワイトデー当日。
捧げるものをどこで買ったのか、そもそも何をあげたのかは覚えていない。僕の生涯を振り返っても人生一大イベントの一つのはずの記憶なのだが、大事なところは抜け落ちている。
いや、むしろモノは大事ではなかったのだと思う。とにかく気持ちを伝えたくて伝えたくてしょうがなかったのだ。その先で恋人になりたいだとか、手をつなぎたいだとか、全く考えてもいない。とにかく好きだという気持ちを伝えたい。伝えなくてはならないという使命感まで宿っていたと言っても過言ではなかった。

写真を入手してからも、その子と特別仲良くなったエピソードはない。しかし、住んでいるマンションは知っている。もちろんストーカーレベルが上がったからではない。当時は学校で配られる連絡網プリントに自宅の住所も電話番号も書いてあったからだ。
とはいえ、インターネットのない世界で小学校3年生が住所だけを頼りに目的のマンションを特定させるのは少し苦労した。

とあるマンションの集合ポストで僕が好きだったあの子の苗字を見つけた。
目的地は三階だった。
僕は早くなる鼓動を誤魔化すように階段をダッシュで駆け上がった。
そのままドアの前まで走り、表札の苗字を確認する。
しかし、すぐに1階のエントランスに戻った。
怖気付いたわけではない。もとより訪問する家を間違えないよう最後の確認をしたら一度戻ることを考えての行動だった。

今度は息を整えて、ゆっくり階段を上がった。

部屋の前に着く。
僕は息を大きく吸ってすぐにインターフォンを押した。
息を吐き戻したら、ここまで振り絞った勇気までもが溢れてしまうような気がした。

インターフォンで対応したのは母親らしき声だった。残念ながら言葉を詳しくは覚えていないが、僕は同じクラスの同級生だということ名乗り、ホワイトデーうんぬんをアセアセと伝えた気がする。

しばらくしてドアが開く。自宅の玄関に立つその子の姿は、本来なら当たり前の日常であるはずなのに、僕のフィルターを通すと別世界にいる感じがした。暖かいホワホワした空気が目に見えるような気がしたのは、僕の頭が沸騰していたからかもしれない。

その子は不思議そうな顔をしていた。でも嫌そうな顔ではなかった。

ここで「好きだ」というストレートなことを言えるほど僕は肝が座ってない。勇気と無謀を履き違えた行き当たりばったり少年なのだ。僕はホワイトデーというキーワードをモニョモニョと交えながら、蚊の鳴くような声量で好意を持っているという気持ちを伝えた。好きというワードを使えたのかは正直分からない。もしかするとホワイトデーという言葉に自分の気持ちを代弁させかもしれない。もはやホワイトデーを告白の言い訳にしていたような気もする。ホワイトデーが僕を告白させただけなんだと。とにかく不器用でカッコ悪い告白だった。

だけど、伝わったと感じた。その子は照れたように笑って

「ちょっと待ってね」と言って部屋の奥に走っていった。

玄関で立ち尽くす僕。自分の家の茶色ベースの玄関と違って、白くて綺麗な玄関にオレンジの電灯。僕は一歩でも動いたら汚れてしまいそうな気がして、直立不動で立ち尽くした。

しばらくして、母親の背中に隠れるようにしてその子がやってきた。

「ありがとうね」

そう言って母親が手渡してくれたのは可愛い袋に入ったポッキーだった。僕は何がなんだかわからず無言で受け取ってしまった。
この日はとにかく気持ちを伝える日で、何かをもらえるとは想像していなかったので、なぜポッキーをもらえたのかがわからない。

とにかくぺこりとお辞儀をした。
顔をあげると、母の背中から真っ赤な顔を覗かせたあの子が小さく手を振っていた。
僕も小さく手を振り返し、家を出た。

本来なら体を震わすほどに冷たい冬の風がやけに気持ちよかった。
とてつもない高揚感が襲ってきて、思わず叫びたくなるのを堪えて、全速力で走った。
はっ、はっ、はっ、と呼吸が早くなっても息切れをする感覚は訪れなかった。このまま永遠に走っていけるような気がした。
とにかく「やってやったぞ!」という想いで胸がいっぱいだった。

冷静に考えればバレンタインデーにチョコももらってないのにホワイトデーに家に突撃して告白。そしてお菓子をあげて違うお菓子をもらって帰る、という聞いたこともないストーリーなのだが、僕は大成功だと信じきって夜の道を駆け抜けた。
ポッキーの袋を絶対に落とさないようにぎゅっと握りしめて。


後日、僕に日常が戻ってきた。
本当にただ伝えたかっただけなので反応を待つという頭はなかった。ただ、このまま好きな人がそばにいるという日常を毎日過ごすのだと思っていた。その日常が思わぬ形で変化した。

なんでもない普通の登校日。
好きなあの子と仲の良い女子が僕を走って追い越すときに信じられないことを言い放った。
「両想いだって。よかったね」
さすがの僕でもすぐに理解した。
これは、とんでもないことになったぞ、と。
初めて好きと伝えるその先のことを考えることになった。ただ、何もわからない。親に相談もできない。インターネットもない。男友達や兄はチェリー野郎だからどうせ何も知らない。

そして僕の頭を整理させる暇も与えずに、無慈悲な言葉が告げられた。
「転校するんだって」
僕は言葉を失った。
怒りで駄々を捏ねるわけもなく、絶望に涙するでもなく、ただただ意味が分からなかった。

転校が別れを意味することも知っている。痛いほど知っている。
ただ、前回と違うのは少しだけ抗おうと思ったことだ。
本当に会えなくなるのか?距離というのはどれほど僕たちを苦しめるのか?僕には何ができて何ができないのか?
一つ一つの疑問に答えなんて出せないけれど、疑問を持たずに終わらせることはできなかった。
だって両想いなんだと知ってしまったから。
その分、最初のあの子の転校よりずっと辛く重い気持ちなった。

僕らは告白後も、両思いと知った後も、何かを進展させることができずに時間だけが過ぎる毎日を送った。何度も視線は合う。その時は少しほっとする。しかし、そこからどうしようもない虚無感が襲ってくる。僕には何もできないんだ、と実感する。
大人になった今なら、ちゃんと話して住所を聞くとか、手紙をかくよ、と伝えるとか、家の電話番号を聞く、とか、未来のためにたくさんたくさんやれる事はあっただろう。でも、恥ずかしくて恥ずかしくて、彼女の前に立つことすらできなかったのだ。

僕の転校に対する焦燥は当たり前のように何も成果も出すことができずに、彼女は転校してしまった。

目の前に残されたのはクラスのみんなに配られた「お世話になりました」という意味が込められたであろう新品のノート。男子はサッカーをテーマにしたノートだった。
僕のだけ何かメッセージが書いてないか?と、何往復も新品のページをめくったが、ノートは無常にも新品だった。

数日後、あの子のメッセージが欲しくて欲しくてたまらなかった僕に手紙が届いた。
集合ポストに見慣れない手紙。差出人に名前を確認して一瞬にして心臓が躍り出した。待望のあの子からのメッセージだ。

僕は一目散に階段を駆け上がり、自宅で手紙の封を開けた。
内容は「家に遊びにきませんか?」という招待状だった。といっても僕一人ではなく、男女6人ほどのクラスメイトの名前が連ねてあった。
その中の一人だった。

当時の僕の気持ちは複雑だった気がする。
どうしようという困惑と、もう一度会えるという期待と、漠然とした不安が折り混ざった感じだった。
確かみんなでプレゼントを買っていこうという話になって、一人千円ぐらいの予算でプレゼント選びをした。僕は街の小さな玩具屋さんでプーさんのぬいぐるみを買った。選んだ理由は不明だ。
ドアノブに引っ掛けることができるぬいぐるみだった。


家に遊びに行く日がやってきた。
クラスの子は僕がメンバーに選ばれることをさも当たり前かのようにイジった。
僕は照れくさいので、なんのことか分からないふりをした。

その子の家に行くためには電車を使う必要があった。当時、僕は公文の教室に通っていて、2駅くらいなら電車を使うことができた。だから切符の買い方も知っていたし、あの子の家だって場所さえわかれば自分一人でも行けると思っていた。
また気軽に会えるんだと期待していた。

しかし、池袋、新宿と大きい駅での連続的な乗り換えに恐怖を覚えた。お金も予想以上にかかった。行き方のメモを見なければもう二度と帰ってこられないような気がした。
これが遠足のような気持ちだったら何も怖いことはなかった。道中は仲の良い友達と知らない街に出かけるというワクワクイベントだったはずだ。
しかし、僕は本気で一人で遊びに行けるかどうかを検討していた。僕はわずかばかりのお金を握りしめて、広い駅で迷子になってしまう未来を想像した。
場所さえわかれば気軽に会える?そんはずはなかった。
小さい僕たちの前では、距離というのはやはり大きく立ちはだかる壁となるんだ。

あの子の家に着き、自宅で何をして遊んだのかは覚えていない。
緊張していたことと、何も進展させることができなかったことが記憶が薄い理由だろう。子供が6人入っても余裕で過ごせるリビングだった気がする。小さい僕たちは一体どんな言葉を交わしたのだろうか?体験しているはずで、こんなに知りたいと思っているのに思い出せない。

別れの時がきた。バイバイ、とみんなで手を振った。
最後まで二人きりというイベントを起こすことができなかった。
何度も振り返りながら歩いた夕暮れの帰り道。
僕はこれからどうすればいいのか分からなかった。

お互いに顔を合わせて好きだと言い合ったわけではない。僕はモニョモニョと伝えただけだし、あの子からは友達づてに気持ちを聞いただけだった。今になって思うのは、ちゃんと気持ちの確認はするべきだった。特に距離が離れるのならば。僕はこの1回だけ訪れたチャンスにそれをするべきだったのだ。

でも、それは無理難題だっただろう。だって、気持ちを伝えあうこと、お互いの好きを確認すること、そんなの大人にだって難しいじゃないか。
僕は大好きなあの子にも、何もできない自分にも、何もさせてくれない世界にも、誰にも感情をぶつけることもできないまま、大事な日を終わらせた。

何度も何度も手紙を書こうとした。でも自信がなかった。
僕はまだ好きだけど、あの子の気持ちはもう変わってるかもしれない。この手紙が重荷になったらどうしよう、と考える。いや相手を気遣う余裕なんかなかった。送って返事がこない自分が傷つかないように、自分を守ってしまっただけだ。
その癖、毎日ポストを開けてあの子からの手紙を探した。
そのうち毎日確認していた手紙の行方は1週間に1度になり、1月に1度になり、1年間に1度になった。

あの子を憂う数は大きく減った。思い出しても鼓動を波打つような感情はない。でも、まだ好きだという気持ちが霧のように心を覆っていた。明確な形のある好きではない。本当に霧のような気持ちだ。それが僕の中の未練という形なのだろう。

未練は女々しい男の中に潜み、ひょっこりと顔を出す。
それはホワイトデーの夜であったり、最後に手を振った綺麗な夕暮れの空気がリンクした時だったりする。
そういう時は、いるはずもないのに、周囲に姿を探してしまう。周りにはいないけど、あの曲がり角の向こうにはいるんじゃないか?
もちろん見つかるはずがない。
ふと冷静になって自分の行動の痛々しさに笑ってしまう。
笑ってしまえるようになった。

そして、あの子は僕の中で未練から思い出となっていった。

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