yukino kuronaga

やまぐち ふくおか とんで とくしま

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最近の記事

災害ボランティアとして、ボラキャンすず(鉢ヶ崎オートキャンプ場)に滞在予定の方へ/施設や周辺の情報

石川県珠洲市での災害ボランティア活動に参加する際、一番頭を悩ませたのが「荷造り」でした。「食料や水はどのくらい持っていくべきか?」「着替えはどのくらい持っていっておけば?(洗濯はできる?)」など。被災地の状況が把握できないがゆえにどこまでの準備をするかとても悩ましく。 さらに、今回わたしが滞在した「ボラキャンすず(鉢ヶ崎オートキャンプ)」についても施設や設備の細かい情報を見つけきれず。「念の為・・・」ともしもの備えで荷物は増える一方。 しかし、いざ滞在してみると、「持って

    • 被災された方の諦めたような言葉が、とても苦しかった/石川県珠洲市での災害ボランティア活動記録

      4月27日〜5月1日の4泊5日で石川県珠洲市へ。 「アウトドア義援隊」の一人として、能登半島地震で被災した地域・家の片付けなどに取り組みました。 元日に発生した「能登半島地震」。 スマホのニュース画面に出てきた輪島の火災の写真を見て、あまりの衝撃に言葉を失ったこと、今でも鮮明に覚えています。 発生直後はネット検索や報道系のYoutubeなどで被災地の状況を知ろうとしたり、「自分にもなにかできないか」「せめてもの」という思いから被災地域への支援を行う組織へ寄付をしたりしてい

      • ”伝わるように”と向き合うと、自分自身が理解を深める時間になった。

        つい先日、とある報告会を小さくひらいた。 1ヶ月ほど前に参加した「原発立地を訪ねる」というスタディツアーのなかで、わたしが見聞きしたことを報告する、というもの。 「原発銀座」とも呼ばれる福井県の若狭地方を訪れ、その地で暮らす方々の声や、2011年の震災当時に被災した方のお話を聞くという濃密な2泊3日間。 ツアーを通じて痛感したのは、いかに自分が日々のエネルギー(=電力)というものに意識を向けてこなかったのかということ。 朝起きてから、夜眠るまで、いや、眠っている間もずっ

        • こんな図書館が、身近な場所にあったらなあ。@岐阜市立中央図書館

          徳島から車で4時間ほど。岐阜県・岐阜市にある「みんなの森 ぎふメディアコスモス(メディコス)」に行ってきました。 この施設の2階にある「岐阜市立中央図書館」がほんとうに素敵で。一度訪れたら誰でもきっと「こんな図書館が、身近な場所にあったらなあ」と、思わずにはいられないんじゃないかと思う。 まず印象的だったのは、建物のつくりや内装。本棚も、机の並びも、カウンターの形も、ここではどれも丸い。 図書館って、ぎゅっと自分の背丈よりも高いところまで本が詰まった棚が、お行儀よく整列

        災害ボランティアとして、ボラキャンすず(鉢ヶ崎オートキャンプ場)に滞在予定の方へ/施設や周辺の情報

        • 被災された方の諦めたような言葉が、とても苦しかった/石川県珠洲市での災害ボランティア活動記録

        • ”伝わるように”と向き合うと、自分自身が理解を深める時間になった。

        • こんな図書館が、身近な場所にあったらなあ。@岐阜市立中央図書館

          「じぶん、だめだなー。」と、言うけれど。

          このところ、すこぶる調子がわるい。思い返せば、8月の頭からずっと、かなあ。平日の朝がとにかく憂鬱。目覚めて布団から出るまでに、それはそれは時間がかかる。 顔を洗って、一息ついて、化粧をしては、一息ついて、髪を整えては、また、一息つく。身支度しながら、心の準備を、ゆっくり、ゆーっくりと進めたり、引き返したり、またちょっと進めてみたり。 そうしてみんなが出社する時間から大幅に遅れて、ようやく職場にたどり着く。なんでそんな風なのか、を書くことはしないけれど、念のため、断っておく

          「じぶん、だめだなー。」と、言うけれど。

          「わたしが作らなくてもいい一冊には、したくない」

          待ちに待っていた郵便物が届いた。封を開け、あらわれる姿に「わあっ」と思わず声が漏れる。 艶や光沢のない黒地の表紙に、活版印刷で刻まれた銀色の「25th」という文字。綴じ糸もおなじく、銀色で統一されている。細部にもこだわりを持って丁寧に作り込まれていることが伝わってきて、「いいものを受け取ったなあ」と開く前から気持ちが高揚する。 そんな作り手の言葉から始まる一冊のZINEが、わたしの手元に届いた。 紙面を構成するのは、15人の25歳(=25th)へのインタビュー記事。とい

          「わたしが作らなくてもいい一冊には、したくない」

          自分のネガティブキャンペーンをしても、仕方がない。

          「すんごい、たのしかったんよ〜」 と何度も伝えてしまうくらいには、たのしい時間を過ごしていたみたい。はじめてのメンバーで、それぞれが持ち寄ったお酒とごはんを囲んだ。 思いのほかお酒がまわっていたようで、記憶はうっすらとしかないけれど。またおじゃまできるといいなあ、と淡い期待を寄せてしまう。 自分が発する言葉に関して、よく、一人反省会が脳内でひらかれる。 「あんなこと、言わなくてもいいのに」 「なんで言っちゃうかな〜」 「また余計なことを」 ひらくのではなく、ひらかれ

          自分のネガティブキャンペーンをしても、仕方がない。

          ぐるぐる目がまわる。

          比喩ではなく文字どおり、目がまわる。 明日のミーティングまでに企画書仕上げて、記事チェックの戻しは今日送らないと、このあとのミーティングの準備ができてない、あ、来週の取材のアポ取りが、って、もうぐるぐる目がまわる。今と明日と、もっと先の未来と、行ったり来たり。目がまわる。 労働時間で言うと、前職時代の方がうんと多かったはずなのに、一日を終えてのぐったり度合いは以前と今とでいい勝負。 頭が働かなくなる、とか、気持ちがついて行かなくなる、とか。そうゆう疲れって、仕事量とか時

          ぐるぐる目がまわる。

          手紙を書くように、誰かを思い浮かべて。

          しばらく会えていない人から、便りが届いた今日。 その人は、わたしが大切な時間を過ごした場所に宿を構えていて、過去のわたしと同じように、偶然にもその場所へ辿り着いた人たちを日々迎えている。 私が足を運べていない間に、新たな人がそこに根を下ろし、場を作ろうとしているらしい。風景が移り変わっていく様子が便りから伝わってきた。ついこの間まで、私もその場所に馴染みが深かった気がするのに、いつの間にか時間が経ち、知らないことが増えていくのを実感。若干の寂しさが湧いてくるような、来ない

          手紙を書くように、誰かを思い浮かべて。

          日記をしばらく書いてない。

          書けてない。 ぱたん、っと書けなくなる時期がたまにある。たしか、去年の5〜6月頃もそうだった。 理由はなんなくわかっている。 自分の中に向き合いたくない感情があるからだ。 その気持ちの存在に気付いてはいる。いるけれど、直視してしまうと、自分を立たせている何かが崩れる気がする。だから、見ないように、気付いてないように遠ざける。 気持ちと向き合わないようにしているから、日々のできごとや、心の動きを記す、日記が書けなくなる。 この状況から脱せる日は来るのかな。 ここのとこ

          日記をしばらく書いてない。

          明日が待ちどおしくなる試み

          最近のわたしには、毎朝たのしみにしていることがある。それは、カレンダーをめくるということ。 ことし初めて、日めくりのカレンダーを買った。SNSを見ていて、偶然広告として表示されたもの。普段、広告なんて煩わしくて避けるのに、このときだけは目に止まってしまった。そうして、思わずタップして、遷移先のページでお買い上げしていた。あまりの即決に、われながらちょっと驚いた。 めくるたび現れるのは、食にまつわるオノマトペ。 たとえば「さくさく」「かりかり」といった、食感にまつわる音。ほ

          明日が待ちどおしくなる試み

          スマホでぽちっと買える時代だけど、

          ホットカーペットを導入した。購入したのは、今の家に移り住んできた昨年の春。だけど、上に敷くものがないために、押し入れの中で長らく眠っていたんだよね。まあ、無くても平気かなって、存在すら忘れかけていた。 けど、ちょうど先日の帰省した時に、見つけてしまった。あざやかで、やさしいグリーンの敷物を。それも、シンプルでひかえめなかわいらしい柄の入った面と、肌触りのいいボアの面との、リバーシブル。そのうえ、洗濯機でも洗えるというから、なんて優秀! どうしよう、今すぐ必要なものじゃない

          スマホでぽちっと買える時代だけど、

          応えたい、と思ってしまうけど。

          1/1 の夜行バスで帰る予定だったけど、 山での暮らしが恋しくなってしまい。 急遽、帰りの手段を電車に変更。 意識せずとも、情報が目や耳からどっと入り込み、 刺激ともなる町での生活。 ちょっといろいろ受け取り過ぎちゃったかも。 はやく神山の家へ帰って、布団にくるまりたい。はあ〜って息を吐いて、落ち着きたい。日常に戻りたい。 ・・ 会おう、と声をかけてくれる気持ちがうれしくて、 多少無理してでも予定を詰めてしまう。 せっかくだから、と言う母の気持ちを汲んで、 要ら

          応えたい、と思ってしまうけど。

          おもいがけず、のご褒美。

          先日宿泊した宿で迎えた朝が、とても清々しかった。 6:30には起きて、軽く身支度。 7:15から、みんなでラジオ体操。 そして、そのまま宿の女将の案内で、ご近所さんぽ。 いっぱいに降り注ぐ太陽の光。 心地よく肌に触れる風。 ほんの少し歩いて宿へ戻ってきた頃には 頭と心がすっきりしているのを感じた。 ・・ 偶然いつもより早く目が覚めた昨日。 あの清々しい感覚を味わいたくなって、外へ繰り出していた。 ごみ捨てがてらの、ほんの数十mだけど。 いつもは歩くことのない時

          おもいがけず、のご褒美。

          忙しなくすごしていると、見過ごしそうになる。

          茶摘みに茶作り、代掻きに田植え。そして、近所の川に蛍が舞い始めた5月は過ぎ去り、気がつけば6月に。 こう並べてみると、暮らしている土地が、それはもう、豊かな環境なのだと身に染みて感じる。季節の移ろいとともにある生活、というか。きっと本来のひとの営みは、そうゆうものなんだろうな。 忙しなく日々を重ねていると、そんな豊かさをついつい見過ごしてしまいそうになる。ふっと手を止め、周りの景色に目を向ける余白、意識的につくっていきたいな。 5月は友人が、わたしの暮らす神山町にやって

          忙しなくすごしていると、見過ごしそうになる。

          心が折れても、たのしいと感じる暮らし。

          暮らしの拠点を移し始まった新生活。1ヶ月という時間の流れと、自身が体感したスピードとの乖離があまりにも激しくて、動揺している。まだ1ヶ月しか経っていないと思えないほどに、濃密、濃厚。 同時に頭と心と体と、うまく噛み合っていないというか、ちぐはぐで。自分という箱の中にちゃんとそれぞれが収まって、機能し合うことができていない感じがする。頭ではこう考えている、考えたいのに、気持ちは違う方向に。かと思えば、体は勝手にぐったりしていたり。 それぞれが孤立しているというより、互いに絡

          心が折れても、たのしいと感じる暮らし。