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心が折れても、たのしいと感じる暮らし。

暮らしの拠点を移し始まった新生活。1ヶ月という時間の流れと、自身が体感したスピードとの乖離があまりにも激しくて、動揺している。まだ1ヶ月しか経っていないと思えないほどに、濃密、濃厚。

同時に頭と心と体と、うまく噛み合っていないというか、ちぐはぐで。自分という箱の中にちゃんとそれぞれが収まって、機能し合うことができていない感じがする。頭ではこう考えている、考えたいのに、気持ちは違う方向に。かと思えば、体は勝手にぐったりしていたり。

それぞれが孤立しているというより、互いに絡み合って、足を引っ張りあって、もう手に負えん。という感じ。

そうして迎えた連休初日、やりたいことは山積みにあるのに、意欲という意欲は放浪の旅にでも出たようで。化粧もせず、着替えもせず、朝食も食べず、畳の上にごろんと寝転がるしかできなくなっていました。くろちゃんです。


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こうゆうときにこそ、文字を綴りたくなる自分がいるのはなんでか、気になるけれどそれはまた、その時がきたら考えるということで。わからんけど。

神山での暮らし。
ぽきっと心が折れる瞬間がありながらも、楽しんでいる自分がいる、と、思う。

初めてのボイラーへの給油。高さのある給油口に届くよう脚立を用いて給油していたら、手を滑らせ、あたり一面灯油がびっしり。着ていた服も、自分も、見事に灯油にまみれ、心が折れた。(あの特有の匂いが、より一層心に追い討ちをかけてきた)

自宅の敷地にある幅の狭い坂道。車庫から荷物を運ぶには遠いからと、坂道に駐車しようと試みたところ、あっさり脱輪、心が折れた。(その後、お世話になっているくるま屋さんが「何かあったらいつでも電話して」と笑顔で救出してくれた。この町にこの方がいてくれてよかった、と心から思った。)

窓を閉めていてもいつの間にか現れているカメムシ、羽アリ、蛾。時々、ムカデ。愉快な自然の仲間達に、住み初めの頃はぽきぽき心が折れていたけれど、もうずいぶんと慣れた。

今もこれを書きながら、いつの間にか伸びている庭の草が目に入る。抜かないとな。そういえば、畑の手入れもしないとな、と、一瞬心が折れる。(家とともについてきた、畑2枚。その手入れも入居の条件になっている)

、、こうして書いていると、心が折れる瞬間をこの1ヶ月にものすごく経験した記憶が蘇ってくる。書ききれないほどの”神山ぽきぽき記録”、まだまだたくさんある。

ここでの生活を甘く見ていた、というよりも、ただただ知らなかった。知らないから、想像もできなかった。


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で、心が折れる瞬間を繰り返して、絶望しているかというと、まったくもって、そんなことはなくて。憂鬱になったり、面倒に感じたり、は、はっきり言ってあるんだけれど、それらも含めてたのしんでいる自分がいるというか。

住まいのことだけでなく、仕事に、環境に、人に、たぶん自分にとってのおもしろさとか、心地よさを感じられている。だから、多少心が折れることがあっても、ここに来たことも、暮らしていることも、今のところ後悔することがないのだと思う。


社会人として生活をした場所が前職での東京か現職での神山かの2箇所しかないから、2択になってしまうけど。

目に入る人や情報から無意識のうちに刺激を受ける電車通勤よりも、目に入る山々が日々移ろいゆく様子を感じられる車通勤の方が合っているなと思ったり。

大きな組織で顔の見えない人と、仕事だからと割り切って働くよりも、できるだけ顔を合わせて、互いに関わり合って働く方が合っているなと思ったり。

ああ、多分あっちじゃなかったんだな、と。自分の収まりやすいところを見つけたような感じがする。のびのびとやっていけそうな。そんな気がしている。

おもしろいよなー、と。前職を経験していなかったら、神山にも辿り着いてなかったのだろうし、こんな風に考えることもなかったのだろうな、と。


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目的もなく、ただただ衝動に駆られてかいているから、どこに向かっているのかも迷子な文章だけど、最後に、最近出会い、心に残っている詩を一編。

『わたし』

私はどこかちっぽけで
こころ清らかではないけれど
近頃、
案外わるい人間でもないように思えて
なるようになるさと
まんざらでもなく生きている。

ワタシよ、ワタシでよかったかい?
ああ、ワタシはワタシでよかったよ。

『詩集 ヴァルネラブル』/田中重人

器用でなくて、自分の描いているようにはいかなくて、惨めになったり、歯痒い思いをしたり。何者でもない自分を痛感して、落ち込むこともあるけれど。

それらも含めて自分というか、そうであることで得られた経験も出会いもある。それらが積み重なった先に、今があると思うと、わたしはわたしでよかったかもな、と。

そう思えるようになった自分がいることにも、なんだか嬉しく感じる。

救われました。

と、しんみりしたいわけではなく。

今ここに、相変わらず不安定ながらも、しっかり立ってますよ、のご報告でした。

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