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”伝わるように”と向き合うと、自分自身が理解を深める時間になった。

つい先日、とある報告会を小さくひらいた。
1ヶ月ほど前に参加した「原発立地を訪ねる」というスタディツアーのなかで、わたしが見聞きしたことを報告する、というもの。

「原発銀座」とも呼ばれる福井県の若狭地方を訪れ、その地で暮らす方々の声や、2011年の震災当時に被災した方のお話を聞くという濃密な2泊3日間。

ツアーを通じて痛感したのは、いかに自分が日々のエネルギー(=電力)というものに意識を向けてこなかったのかということ。

朝起きてから、夜眠るまで、いや、眠っている間もずっとあたり前に使い続けているエネルギー。それなのに、どこから、どんな風にやってきているのか考えたこともなければ、そこにはどんな実情や問題があるのかも、わたしはまったく知らなかった。

でも、そんな人って意外と結構いるのでは?と。少なくとも、わたしは周りの人と「エネルギーについて話す」という経験を、これまでに一度もしたことがなかった。

せっかくならば自身の学びを共有する場を持ってみるのはどうだろうか。身近な人たちとエネルギーについて話したり、一緒に考えていける仲間を見つけたり、そんな機会にできないだろうか。そんなことを考えて、報告会をひらいてみることにした。

・・・

日程は早々に決まり、会場として場所を提供してくれる人も現れ、「参加したい」と手を挙げてくれる人も少しずつ集まり。あとは報告資料をこしらえるだけ、という状況だったけれど、仕事の慌ただしさも相まってどんどんと後回しに。刻一刻と開催日が迫るなか、ようやく手をつけられたのは報告会の2日前…。

「延期」という二文字も頭の中をちらついていたけれど、知人の「やるよね?」という言葉に「そうだよね。やる。やります」と奮い立たせて準備に向かった。

ツアー中に撮影した写真を寄せ集め、手元のメモと照らし合わせながら、原稿を練り上げようと試みる。が、これがなかなか、進まない。

”核のゴミ”って、つまりなんだっけ?どんな過程で生み出されるもの?
放出される冷却水はもとより7℃も水温が上昇して…って、”冷却水”が何で、どうして温度が上がるのかまで話さないと伝わらないよね。でも、その仕組みわたしもよくわかってないかも。
2011年の事故当時、浪江町で被災された方の体験談。そもそも浪江町はどこにあって、そこに暮らす人たちの関係性はどんなもので…。原発立地と浪江町の関係って?

メモとして残してあることの意味はわかる。でも、それを人に伝えようとすると曖昧な部分や、理解しきれていないことがたくさんあって、うまく説明がつかない。わたしはツアーで得たことを、自分の中にぜんぜん落とし込めていないことに気がついた。

「このままでは伝えられない」焦りを感じ、とにかく曖昧な部分をひとつ一つ調べて、つぶしていった。「なるほど」「わかったぞ」と自分が思える状態まで持っていく。その繰り返しで、思いのほか資料作りには時間がかかった。

それでもなんとか作り上げて迎えた、報告会。
集まった10名ほどの参加者は、熱心に話に耳を傾けてくれていた。時おり「うんうん」と頷いたり、すこし考えこむような姿もあったり。

会の最後に一人ずつ感想を伝えてもらう時間を持つと「わかりやすかった」と声をかけてくれる参加者が何人もいて、安心した。拙い説明ながらも、きちんと届いていることを感じられた瞬間だった。

当初の目的どおり、身近な人たちとエネルギーについて言葉を交わし、一緒に考えていける仲間の姿を確かめることができた。想定の何倍も資料づくりは大変だったけれど、会を開いてよかったというのが素直な気持ちとしてある。

なにより、ツアーで見聞きしたことを”理解”しているようで、ただ”知っている”状態でしかなかった自分に気づけたことがよかった。”知っていること”と”理解している”ことは、ぜんぜん違う。「ひとに伝わるように」と重ねた準備の時間は、結果的に、ツアーでの経験を深い理解にまで落とし込ませてくれるわたしにとって大事な時間となっていた。

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