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忙しなくすごしていると、見過ごしそうになる。

茶摘みに茶作り、代掻きに田植え。そして、近所の川に蛍が舞い始めた5月は過ぎ去り、気がつけば6月に。

こう並べてみると、暮らしている土地が、それはもう、豊かな環境なのだと身に染みて感じる。季節の移ろいとともにある生活、というか。きっと本来のひとの営みは、そうゆうものなんだろうな。

忙しなく日々を重ねていると、そんな豊かさをついつい見過ごしてしまいそうになる。ふっと手を止め、周りの景色に目を向ける余白、意識的につくっていきたいな。

わが家の庭の、野良茶。
のびのびと茂ってもらうことにしている。


5月は友人が、わたしの暮らす神山町にやってきた。このまちに移り住んで、初めてのおもてなしである。

何日も前から予定していた、という訳ではなく、別のまちへ行った帰り、「時間あるし行ってみる?」と、ノリで決まった、突然の訪問。

「いつか足を運んでくれるといいな」と思っていたけれど、そのいつかがこんなにも早く来るなんて。と、少しの動揺がありつつも内心にんまり。うれしかった。

わたしの車に乗り込んで、いざ、弾丸神山ツアー。

道中、これでもかと言うほどにずっとしゃべり続けていた。

目の前に広がる山々。かつて集落はその傾斜面に存在していたこと。家が高い位置にあることが、裕福さの象徴となっていたこと。今では、多くの家が鮎喰川沿いの低い地に降りてきて無くなった集落も数多くあること。

美しい棚田の風景。その景観は自然発生しているのではなく、地区の自治によって、丁寧に人の手が加えられ保たれていること。それも、年々担い手の高齢化によって自治が難しくなってきていること。

ただひたすら、まちのなかを縦横無尽に駆け巡り、息継ぎを忘れそうなほどに、しゃべり続けた。

帰りの時間が決まっているにも関わらず「あ、ここも寄っておきたい」「あそこも紹介したい」で少しづつ寄り道した結果、予定時刻を少し押してしまっていた。

それでも、まだ、まだ、伝えたかった、まちのこと、ひとのこと、伝えきれなかったし、見てほしい風景も、十分に見せられなかったな、と、残ったのは悔しい気持ち。

神山へ移り住んで2ヶ月。「まだまだ神山のこと、全然知らないなー。」と思っていたけれど、わたしはわたしで知ったり、学んだり、感じたり、受け取っているものがちゃんとあったよう。

思いがけない友人の来町は、そんなことを気づかせてくれたのでした。ありがたいなー。

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