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ちょっと特殊な合唱団が歌う意味

津和野中・高合唱部合唱団、気がつけば島根県合唱コンクールまで2週間となりました!!

7月2日,9日は普通の全体練習、16日,24日,30日は本当にすごい先生方にレッスンしていただき、8月3日にはホール練習…と、(個人的な理由によりnoteで発信はしていませんでしたが、)貴重な時間を重ねておりました。

中でも7月30日は、自由曲として演奏する「ぼくの村は戦場だった−あるジャーナリストの記録−」の作曲者である信長貴富先生によるレッスン!!
その場面で何をイメージし、どのような想いで作られたのかということも、ご本人から伺うことができました。
曲に対する想いや理解を深めることができた有意義な時間となり、貴重な体験をさせていただきました。

信長貴富先生との記念写真!
本当にありがとうございます!


8月6日は久しぶりに、いつも通りの全体練習。
何と、親子で合唱団に参加してくださっている方が、過去にボスニアヘルツェゴビナに在住されていたとのことで、お話を伺う時間もありました。
戦争・平和とは何か、現地の人にとっての日常、祈りや願い、私たちはそれをどのように捉え考えていくべきか…などなど。

ボスニアヘルツェゴビナは「ぼくの村は戦場だった」の曲中にも出てくる国です。東ヨーロッパに位置し、首都はサラエボ、人種・民族はクロアチア系,セルビア系,ボシュニャク系などその他にも様々なルーツを持ち、言語も文化も宗教も違う人々が暮らしています。

そして街中には銃撃や爆撃の跡が残り、建物もそのまま現存しているそうです。紛争などで犠牲になった人とその家族、その人の命を奪った人とその家族が、日常生活で顔を合わせることも珍しくない。現地の人にとっては、「今は戦争がないだけ。近い未来に必ずまた起こる。」と捉える日常の風景。ボスニアヘルツェゴビナに限らず、世界各地で戦争や紛争が今現在も起きているのです。

今私たちは


今私たちはどのくらい世界のこと、日本のこと、周りの人のことを知ろうとしているのでしょうか。

今も戦場にいる人にとって、遠い国から願う平和への言葉はあまりにも酷かもしれないし、世界中の平和への道のりは果てしなく長いのかもしれない。
それでも私たちは、知ろうとすることをやめてはいけないし、平和を願う,祈ることを諦めてはいけない。

そして今、津和野中・高合唱部合唱団にできることは、曲を通して戦争を知り、学び、考え、想いを歌にのせてたくさんの人に届けることです。
しかし同時に私たちは、伝えるという覚悟も持っていなければなりません。信長貴富先生のお言葉をお借りすると、「何かを伝えるということは、背後に膨大な『伝えないこと、伝えられないこと』がある」からです。

だからこそ、私たち合唱団はみんなで練習を重ねています。
これからも学び、考え続ける姿勢を忘れないため、本当に自分たちが伝えたい願いや祈りを、音楽を通して表現し、人の心に届けられる良い演奏を目指すためです。

経験も、住んでいる場所も、年齢も違う中で集まったこの仲間にしかできない演奏がきっとある。
年齢も立場も関係なく、自分ができることを提供し合っています。
パート練習での技術面の指導、今回のようなお話、資料の紹介、勉強してきたことの伝授など…、団員全員で合唱団を日々作り上げています。

本番を前に…

少しずつですが成長中!!
しかし、島根県合唱コンクール本番の21日(日)までの練習はあと1回、前日練習のみ!
これが学校と地域が一緒になって活動する難しさでもあるのです…。

それでも今は、もっとこのメンバーとの合唱を楽しみたい、たくさんの人にメッセージが届けられるように頑張りたい、少しでも長く一緒に歌いたい、願わくはあこがれの大きな舞台にみんなで立ちたい…、そんな想いです。
(少し欲張りな気もしますが…)

中・高生に負けず劣らず、大人も本気です!
あと2週間。全員で元気に舞台に立てることを祈るのみです。

並び順を決めているところです笑
いい写真が無かったので…


最後に

久しぶりの投稿は、戦争について扱うこともあり、書く言葉一つ一つ悩みました。戦争・平和についての想いや合唱団のこと、全てをここに書ききることはできませんでしたが、少しでも考えるきっかけや知っていただくきっかけを作ることができたなら嬉しいです。
他の投稿でも津和野合唱団の様子を発信していますので、ぜひご覧ください!!



#合唱 #音楽 #部活 #学校 #地域 #島根県 #津和野 #戦争と平和 #願い #祈り

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