将来の夢は、Wikipediaに載るようなクラゲになることです
将来どうなりたいか。そう聞かれると難しい。
生まれてこのかたずっと難しい。
の割によく問われる。自分も他人に聞いている気もする。
そこで対策を立てるために、自分の頭を整理したい。
思い返すと、昔は、何者かになりたかった。
中学生の時だったか、将来の夢を聞かれて困った僕は「Wikipediaに載ること」と答えた。
良くも悪くも、名声がある人間になりたかったのだ。今でも自己顕示欲はある。ので、このnoteも書いている。
大学受験のとき、どうも目指しているような学校へは行けなさそうだと自他ともに感づき始めたころ、やっと少し先の将来を考えることになった。
化学という教科のお陰で苦手な科目の勉強が恐ろしく苦痛だと気付いた僕は、大昔になりたかった「漫画家」や、「芸術家」や、「作曲家」などを思い出して、「クリエイター」というジャンルの道に行くことを決意した。
嫌いな勉強で努力するより、好きな創作で努力したほうが良いと思い至った。
それは、小学生のときに絵の練習がしたくなくて諦めた「お絵描き」にはじまり、様々な創作にまつわる努力から逃げてきた自分にとって、とても大きな決断だった。
結局、大学で勉強はしなければいけなかったのだが、幸い嫌いな科目は無視できた。好きな数学はプログラミングに使うが、嫌いな化学式は書かなくて良かったのだ。今でも大学に戻って授業を受けたいと思うし、今後のキャリアとして社会人から大学院というのもない選択肢ではないと思っている。それくらい大学の勉強は苦じゃなかった。
今、モーションデザイナーとして自分の名前が載っているページを見ると嬉しい。だけど、名前の載らない仕事や表に出ない仕事でも、クリエイターとしてこれはうまくいけたと思う仕事は表に出ていなくても満足感がある。
趣味で作っている音楽も、誰に聞かれなくても最悪自分が良ければ全然良い。
将来、もし自分のウィキペディアができたとしたら、きっとそこには記載のない仕事だろう。
いつの間にか何者かになりたいという欲求は少なくなったのかもしれない。
ただ面白いもの/興味をそそるものを作りたい。無意味でもいい。いや無意味なほうが本当に根源的な「作りたい」という欲求が全面に出るので、そっちのほうがより好みだ。音MADが好きな理由でもある。
作りたいと言いつつ何も作らないワナビーにはならないように注意したい。が、幸い環境がそうさせてくれない。これに関しては、本当に運がいいと思う。周りの人間に感謝感謝。
この現状、大局で見ると受動的に動いて、局所的に見ると能動的に動く人間になっている。
どこに行くかわからない不安感と、どこに行けるかわからない高揚感とともに生きている。そりゃ精神病にもなる。
大きな海流に乗って回遊する幼体のプランクトンのようなものだ。
ただ、もし、いつか、なりたかった「何者か」に成長してしまったとき、「漫画家」や、「芸術家」や、「作曲家」ではなく、今はまだ知らない「何者か」だったら、いいな。
ということで、
将来どうなりたいか。そう聞かれると難しいが、今回、自分の頭を整理してわかりました。
将来の夢は、Wikipediaに載るようなクラゲになることです。
よろしくお願いいたします。
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