上町台地界隈の地域情報紙「うえまち」

地域情報紙「うえまち」は、大阪・上町台地界隈の情報を中心に、文化や生活、街づくりの情報…

上町台地界隈の地域情報紙「うえまち」

地域情報紙「うえまち」は、大阪・上町台地界隈の情報を中心に、文化や生活、街づくりの情報を発信しています。紙媒体は20年8月より休刊中ですが、こちらを使って連載記事等を継続して発信していきます。

最近の記事

「上町台地」名所図会 第44回

写真/中原文雄 文/松本正行 第44回 阿部野神社(大阪市阿倍野区)  阿部野神社(写真上)は明治18(1885)年創建の比較的新しい神社です。主祭神は前回(第43回‐住吉行宮)紹介した北畠顕家(写真下)、そして顕家の父・北畠親房。親房は南朝の重臣で、南朝の正統性を説く『神皇正統記』を著したことでも知られます。  顕家は主に東北で、親房は伊勢や関東で活動しました。なかでも伊勢はのちに親房の子孫が拠点とし、南北朝合一後もたびたび兵を起こしています。それらと違って阿部野神社の

    • 「上町台地」名所図会第43回 

      写真/中原文雄 文/松本正行 住吉行宮跡(大阪市住吉区)  南北朝時代といえば吉野と京都の対立とされますが、南朝の天皇が一時的とはいえ、上町台地に住まいを移していたことがありました。南朝第2代の後村上天皇と第3代の長慶天皇の際、仮の御所が住吉に置かれたのです。住吉行宮(行宮とは仮の御所のこと。写真上)と呼ばれ、住吉大社の南に、その跡が残されています。  合わせて9年も帝(みかど)がいたのですから、もはや行宮ではなく「御所」と言っていいかもしれません。後村上帝はここで崩御

      • 「上町台地」名所図会 第42回

        写真/中原文雄 文/松本正行 第42回 堀越神社(大阪市天王寺区)   大阪には古くから「堀越さんは一生に一度の願いを叶えてくれる」との言い伝えがありました。それがネットなどで紹介されたこともあるのでしょう、最近では府外に留まらず外国の方も堀越神社(写真上)を訪問するようになりました。「ひと夢祈願」(予約制)は書いた願い事をお守りに入れもらい、ご祈祷を受けます。お守りを肌身離さず身につけていると願いが叶う、といわれます。  大江神社と同じく四天王寺の守り神(=四天王寺七宮

        • 「上町台地」名所図会 第40回

          写真/中原文雄 文/松本正行 第40回 天王寺動物園(大阪市天王寺区)  日本有数の規模を誇り、家族連れはもちろん、平日も遠足など子どもたちでにぎわう天王寺動物園(写真上)。その歴史は古く、2025年に110年の節目の年を迎えます。開園は東京・上野、京都・岡崎についで3番目でした。約60種でスタート。動物の種類・数は増え続け、戦前には日本最多の飼育動物数を誇った時期もありました。しかし、戦争の影響で猛獣を中心に殺処分が行われたほか、餌の不足で動物の数は激減。終戦時はわずか

          「上町台地」名所図会 第41回

          写真/中原文雄 文/松本正行 第41回 坐摩神社行宮(大阪市中央区)  平安の半ばから鎌倉の初めにかけて、皇族・貴族はこぞって熊野三山に参詣しました。「蟻の熊野詣」と称されるほど盛んで、後白河法皇などは34回も詣でたといわれます。都から淀川を下って上町台地の北端で船を降り、熊野街道を通って熊野三山に。写真上の坐摩(いかすり)神社行宮が、その熊野街道の起点だったとされています。  現在の坐摩神社の所在地は中央区久太郎町ですが、もともとはこの行宮の場所にありました(秀吉の大坂

          「上町台地」名所図会 第39回

          写真/中原文雄 文/松本正行 第39回 国立文楽劇場(大阪市中央区)  ユネスコの無形文化遺産にも指定される文楽は、大阪が世界に誇る芸能と言って間違いありません。人形劇は世界中にありますが、人形1体を3人が操るのは文楽だけ。それによって生み出す微妙な動きと、太夫の語り、三味線の伴奏によって登場人物の性格や心情を見事に表現します。「文楽は高度な総合芸術」と評した人もいますが、一度、文楽を鑑賞すればそれも納得できるでしょう。  そんな文楽の拠点が国立文楽劇場です(写真上)。設

          「上町台地」名所図会 第38回

          写真/中原文雄 文/松本正行 第38回 旧木子七郎自邸(大阪市中央区)  大阪には忘れられた芸術家が多くいて、建築家の木子七郎(きごしちろう)もその一人といって間違いありません。大阪の歴史に詳しい人でも彼の名を知らない人は多いでしょう。宮内省の技師の家に生まれ東京帝大を卒業後、大林組に入社。独立し事務所を開設したのち(1913年)、和洋を巧みに使いこなす建築家として活躍しました。  代表作は萬翠荘(ばんすいそう。旧久松伯爵本邸。愛媛県松山市)で、重要文化財に指定されていま

          「上町台地」名所図会 第37回

          写真/中原文雄 文/松本正行 第37回 府立夕陽丘高校清香会館(大阪市天王寺区)  大阪府の公立高校はかつて9つの学区に分かれており、そのうち第5学区には高津、八尾、清水谷、夕陽丘など伝統校が多くありました。なかでも夕陽丘高校は5学区の女子中学生にとって憧れの的。セーラー服が評判でしたし、高等女学校の流れを汲む知的な雰囲気も人気の要因でした。  夕陽丘高校は1906(明治39)年の設立。当初の名称は島之内高等女学校でいまの東心斎橋にあり、2年後に天王寺区の夕陽丘町に移転し

          「上町台地」名所図会 第36回

          写真/中原文雄  文/松本正行 第36回 摂津酒造跡(大阪市住吉区)  いまや、世界5大ウイスキーのひとつに数えられる日本のウイスキーですが、本格的なウイスキーづくりが始まったのは1923(大正12)年のことでした。製造の指揮を執ったのは竹鶴政孝。彼と妻・リタはNHKの朝ドラ『マッサン』(2014年放送)のモデルにもなったのでご存じの人も多いでしょう。  当時の竹鶴は寿屋(いまのサントリー)の社員でした(のちにニッカウヰスキーを創業)。実は、寿屋に勤める前は帝塚山にあった

          「上町台地」名所図会第35回

          写真/中原文雄  文/松本正行 安居神社(大阪市天王寺区) 大坂冬の陣は和議で終わり、真田丸は破却されます。さらに、すべての堀が埋めたてられたため、大坂城は丸裸になりました。こうなると豊臣方は野戦に打って出ざるを得ません。夏の陣では、真田信繁(幸村)も茶臼山に本陣を構え、徳川方と相対します。   この時の天王寺口の戦いはまさに激戦で、数に勝る徳川方でしたが、3里も逃げた旗本がいるなど大混乱を来たしたそうです。家康が切腹を覚悟したといわれるくらいでしたが、なんとか態勢を立て直

          「上町台地」名所図会 第34回

          写真/中原文雄  文/松本正行 第34回 三光神社(大阪市天王寺区) 戦国最後の合戦である「大坂の陣」は、上町台地上で繰り広げられました。なかでも、「真田丸」をめぐる攻防は真田信繁(幸村)を一躍有名にします。大坂城の南につくった出城にこもった真田軍が徳川側に与えた損害は1万人以上。20万の大軍で大坂城を取り囲みながら徳川が和議にしか持ち込めなかったのは、この出城の存在が大きかったのです。  和議によって完全に破壊されたため、長く真田丸がどこにあったかは謎とされました。候補地

          大人のための文章教室 第30回

          ライター・編集者 松本 正行 「頑張りたいと思う」では覚悟が足りない? 自己紹介でよくあるフレーズのひとつです。開幕前のプロ野球選手なども使いそうですが、ちょっと待ってください。「頑張る」を実行するのは自分です。そうであるなら、わざわざ「思う」をつける必要はないのでは。むしろ、「思う」をつけたことで、「本当に頑張るつもりなの? 覚悟を決めろ!」と言われかねません。  読みやすい文章は、文末がすっきりしています。無駄な言葉がなく誤解を生まないのです。文意が明確になるだけでな

          大人のための文章教室 第30回

          らくごハローワーク 第18職

          落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 お裁きはこれぞ『三方一両損』 3両の大金を拾った正直者の男、落し主が分かったので本人に届けると、一本気の落し主「落とした金は俺の物ではない」と拒否する。そこで受け取れ、受け取れないと押し問答になり、大喧嘩が始まったので仲裁人が奉行所に訴え出る。  裁きを担当した北町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)は、2人の律義さを誉め、3両に大岡が1両足し、計4両を2人に分け与える。「お

          「上町台地」名所図会 第24回

          ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 難波宮跡(大阪市中央区) ある人物がいなければ、難波宮跡はビジネス街になっていたかもしれない――。そう聞いて驚く人もいるでしょう。実は、難波宮(写真上)は長らく「幻の都」だったのです。陸軍用地だった法円坂一帯こそ、難波宮があった場所に違いない、そう考えた山根徳太郎博士(元大阪市立大学教授)が調査をしなければ、あれだけの一等地です。今頃は多くのビルが建ち並んだことでしょう。  第二

          「上町台地」名所図会 第24回

          らくごハローワーク 第17職

          落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 『湯屋番』の微妙に動く二つの目湯屋とは、今日で言う銭湯・風呂屋・公衆浴場のことで、料金を取って入浴させる商売である。  飛鳥期(6世紀)に、奈良の寺院で人民救済のために大浴場を設けた。これを「功徳(くどく)風呂」と呼び、湯屋の始まりとされる。江戸期には、男女混浴の頃もあったが、風紀を乱すとの理由で分浴になった。      ◇       ◇  居候ぐらしの男に湯屋での働

          「上町台地」名所図会 第23回

          ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 阿倍王子神社/安倍晴明神社(大阪市阿倍野区) 安倍晴明の影響もあるのでしょう、安倍氏といえば陰陽師の印象が強いようです。しかし、陰陽道の家として知られるようになったのは平安中期以降。飛鳥期は蘇我氏などにつぐ有力豪族で、平安前期までしばしば高位高官を輩出しました。その安倍氏が治めた場所が、いまの阿倍野区あたりです。安倍氏はもともと「阿倍」と表記しており、区の名前もそれに由来している

          「上町台地」名所図会 第23回