上町台地界隈の地域情報紙「うえまち」

地域情報紙「うえまち」は、大阪・上町台地界隈の情報を中心に、文化や生活、街づくりの情報を発信しています。紙媒体は20年8月より休刊中ですが、こちらを使って連載記事等を継続して発信していきます。

上町台地界隈の地域情報紙「うえまち」

地域情報紙「うえまち」は、大阪・上町台地界隈の情報を中心に、文化や生活、街づくりの情報を発信しています。紙媒体は20年8月より休刊中ですが、こちらを使って連載記事等を継続して発信していきます。

    最近の記事

    「上町台地」名所図会 第19回

    ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 大阪市立美術館(大阪市天王寺区) 新世界を出て動物園の真ん中を貫く陸橋を東に向かい、階段を登り切ったところにある“白亜の殿堂”。あまり大阪に馴染みがない人は、さっきまでいた新世界とのギャップに驚くことでしょう。著者が初めて訪れたのは40年も前の高校生の時でしたが、「大阪にもこんな場所があるんだ」と誇らしく思ったものでした。  大阪市立美術館は1936年の開館(写真上)。公立美術館

      • らくごハローワーク 第12職

        落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 『道具屋』は客の手元で値を定め 道具屋と言うと、使い古した道具、つまり古道具を扱う店だ。骨董(こっとう)屋とも言う。中には、稀少価値や美術的な価値のあるものも含まれていて、客にとっては思わぬ掘り出し物を手に入れるよい機会と、愛好者は現代でも後を絶たない。  この道具屋が登場する落語は多いが、中でも有名なのは、これから紹介する別名『道具の開業』と呼ばれる滑稽噺の『道具屋』

        スキ
        2
        • 「上町台地」名所図会 第18回

          ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 慶沢園(大阪市天王寺区) 大阪を代表する名園「慶沢園」(写真上)は、もともとは住友家本邸の庭でした。1908年に造園を開始し1918年に完成。手がけたのは近代日本庭園の先駆者とされる作庭家・小川治兵衛(七代目)で、平安神宮の神苑や円山公園など小川の作品のいくつかは国の名勝にも指定されています。  有名な庭園の多くが池とその周囲を巡る園路を中心に作庭する池泉回遊式なのに対し、ここは

          • 大人のための文章教室 第27回

            ライター・編集者 松本 正行 身内を敬うのはNGとは知っているが…  敬語は本当に難しい。  たとえば、例文のような表現はごくごく普通に使われています。実際、どこがおかしいの? と思った人は多いことでしょう。しかし、「身内を立ててはいけない」という原則からすれば明らかに間違いなのです。どこがどうおかしいのでしょうか。  違いは「部長より」があるかないかで、例文だと「部長より」があることで、話し手が部長に対してへりくだった形になってしまいます。そのつもりはなくても誤解を招

            らくごハローワーク 第11職

            落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 関取は大きく見えるが『半分垢(あか)』 プロスポーツの中で、独自の“社会”を形成している大相撲(日本相撲協会)。そこに所属する競技者を相撲取(とり)又は力士と呼ぶ。中でも、十両以上の力士は関取(せきとり)と言う。本来は最高位であった大関を指す敬語だった。  歴史書『古事記』には、建御雷(たけみかづち)神と建御名方(たけみなかた)神が、力競べをして国譲りをしたと書かれてい

            スキ
            1

            四天王寺「新縁起」第40回(最終回)

            前・四天王寺勧学部文化財係 主任・学芸員 一本崇之 戦後復興から現在そして未来へ  焼け野原となった境内を前に、四天王寺の人々は決してあきらめず復興への道を進みはじめます。  昭和22(1947)年8月 焼失を免れた食堂を仮金堂として金堂跡に移築し、中心伽藍北西隅には仮設の北引導鐘堂が建てられました。この北引導鐘堂はほんとうに小さなバラックのお堂でしたが、戦争で失われた大切な人々を弔うため、多くの方が供養に訪れたのでした。  その後、3年に及ぶ大規模な発掘調査が行われ、調査

            スキ
            3

            「上町台地」名所図会 第17回

            ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 南大阪教会(大阪市阿倍野区)  大阪メトロの昭和町駅から北西に少し歩くと、大きな塔を持つ建物が見えてきます。1926年に設立された日本基督教団「南大阪教会」(写真上)で、1928年に完成したその塔屋と礼拝堂は、大阪を代表する建築家・村野藤吾が手がけました。村野が個人事務所を設立する前の年に設計した、事実上の村野作品の第一号です。  「〇+☐」をあしらった塔側面の窓枠や礼拝堂の特徴

            スキ
            2

            らくごハローワーク 第10職

            落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 駅伝の『明石飛脚』は元祖なり 1871(明治4)年に、前島密(ひそか)が郵便制度を始めるまで、日本の通信手段の主流は、“飛脚”であった。平安末期に源流を発する飛脚制度は、鎌倉期に入ると幕府が鎌倉に、西国に目くばりをする六波羅探題(ろくはらたんだい)が京都市東山区あたりにつくられ、両者で頻繁に文書の交換が行われた。これを「鎌倉飛脚」もしくは「六波羅飛脚」と呼んだ。  この

            スキ
            1

            らくごハローワーク 第9職

            落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 夏の夜や『たがや』見得切る橋の上 夜空を一瞬にして花畑に染め上げる打上げ花火、川面で繰り広げられる仕掛け花火。花火師が精魂こめた技で楽しませる花火大会は全国各地で行われるが、とりわけ有名なのは1733年に始まった江戸・両国の川開きの折の大会だ。墨田川に架かる両国橋を中心に、花火問屋鍵屋と玉屋が妍(けん)を競う。打ち上がる度に、「鍵屋あ」「玉屋あ」と喚声を上げて絶賛する。

            四天王寺「新縁起」第39回

            前・四天王寺勧学部文化財係 主任・学芸員 一本崇之 大阪大空襲 昭和20(1945)年3月13日夜遅く、274機ものB29が大阪市上空に襲来。空襲警報のサイレンが響き渡る中、焼夷弾による“火の雨”が降り注ぎました。 午前零時半頃、当時、五智光院近くに住んでいた牧村源三は「西門が危ない」との声を聞き、西門へ駆けつけます。すでに見真堂・引聲堂・短聲堂が轟々と音を立てて燃え、西大門の屋根にも小さな火が見えていました。その火も高所のためどうすることもできず、次第に大きくなるのをただ

            スキ
            1

            「上町台地」名所図会 第16回

            ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 近畿日本鉄道本社ビル(大阪市天王寺区)  建築家「村野藤吾」の名は知らなくても、梅田の阪急百貨店本店前に建つ、キノコのようなステンレス製の建物を知らない人は少ないでしょう。それは「梅田吸気塔」といって村野の作品で最も知られたものの一つ。1963年に竣工しました。  村野藤吾は1891年生まれで佐賀県出身。早稲田を出たのち大阪の渡邊節の事務所に入りました。以後、大阪を中心に数々の

            スキ
            3

            大人のための文章教室 第26回

            ライター・編集者 松本 正行 無意味な飾りはつけないように  「丁寧な言葉遣いをしている」と書き手は思っているかもしれません。しかし、「のほう」は余計で、無意味な飾りです。むしろ、それがあることで「あいまいな言い方だなぁ」と不快に思う人がいるくらいです。 「バイト言葉」とも言われる、このようなあいまい表現は、少なくとも書き言葉では使わないようにしましょう。  無意味な飾りは他にもあって、代表的なのが「いく」です。「ここで製造工程を見直していきます(ここで製造工程を見直し

            スキ
            2

            四天王寺「新縁起」第38回

            前・四天王寺勧学部文化財係 主任・学芸員 一本崇之 五重塔の再建 室戸台風によって倒壊した五重塔の瓦礫を前に、人々は呆然と立ち尽くすしかありませんでした。しかしすぐに一山の総力をあげて五重塔を再建すべく動き出します。  昭和9(1934)年11月、五重塔再建に伴う基壇の発掘作業が、京都帝国大学教授であった建築史家・天沼俊一氏を中心に行われました。その結果、文化再建の塔心礎に埋納された舎利容器が四方を銅板で囲う形で発見され、塔心礎の下からは木造薬師如来像や素焼きの釈迦如来千体

            スキ
            5

            「上町台地」名所図会 第15回

            ※名所図会(ずえ)とは名所の来歴などを絵も交え紹介したもの。 写真/中原文雄  文/松本正行 浮瀬亭跡(大阪市天王寺区) 夕陽丘にある清水寺から大阪星光学院を見た光景です(写真上)。星光学院の場所には江戸から明治にかけ、大阪を代表する料亭「浮瀬亭」がありました。浮瀬と書いて「うかむせ」と読みます。『曽根崎心中』のなかに浮瀬亭を思わせる描写があるので、17世紀後半にはすでにあったものと思われます。  松林に囲まれた2階建ての建物が2棟。『摂津名所図会』には、大坂湾を行き交う

            スキ
            3

            らくごハローワーク 第8職

            落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。 『お茶汲み』で遊女も客も騙し合い 1957(昭和32)年に「売春防止法」が施行されるまで、遊女(花魁=おいらん・女郎・娼妓・傾城=けいせい)は公認の職業であった。と言っても、江戸幕府を開設した徳川家康は、吉原のみを公認し、五街道の出発地の品川・新宿・板橋・千住の四宿(ししゅく)を準公認とした。他の岡場所(江戸で50ヶ所)や夜鷹(よたか)は私娼で、取り締まりの対象にあった

            スキ
            4

            四天王寺「新縁起」第37回

            四天王寺勧学部文化財係 主任・学芸員 一本崇之 室戸台風の猛威 昭和9(1934)年、京阪神地方を襲った室戸台風は、四天王寺にも甚大な被害をもたらしました。  9月21日。その日は彼岸で、縁日のため朝早くから多くの人々が境内を訪れていました。最初は小雨程度であった天候も午前7時頃から風が急激に強まります。参詣をあきらめて多くの人が帰路につくなか、中門や五重塔の周辺には避難する人々が集まってきました。当時五重塔には、中島・平野ら4名の番人がおり、おびえる人々に「この塔は未だか