「上町台地」名所図会 第36回

写真/中原文雄
 文/松本正行

第36回 摂津酒造跡(大阪市住吉区)


 いまや、世界5大ウイスキーのひとつに数えられる日本のウイスキーですが、本格的なウイスキーづくりが始まったのは1923(大正12)年のことでした。製造の指揮を執ったのは竹鶴政孝。彼と妻・リタはNHKの朝ドラ『マッサン』(2014年放送)のモデルにもなったのでご存じの人も多いでしょう。
 当時の竹鶴は寿屋(いまのサントリー)の社員でした(のちにニッカウヰスキーを創業)。実は、寿屋に勤める前は帝塚山にあった摂津酒造の社員だったのです。住まいも帝塚山にありました。ウイスキーづくりのための英国留学も社命だったのですが、第一次大戦後の不況により、国産初のウイスキーを、という摂津酒造の計画は頓挫します。予定どおり進んでいれば、「国産初の栄冠」は上町台地の会社がつかんでいた可能性もあったわけです。
 さて、1964(昭和39)年に摂津酒造は宝酒造(いまの宝ホールディングズ)に吸収され、その大阪工場となりました。しかし、73年に工場は閉鎖、神ノ木公園にある取水口跡がモニュメントとして残ります。また、顕彰碑(写真上)が地元のライオンズクラブの寄贈で建てられました。
 一方、摂津酒造のあった場所から400mほど北にある帝塚山学院小学校(写真下)では、妻のリタが一時期、英語の先生を務めていました。古い卒業アルバムには「竹鶴先生」の写真も掲載されています。「ジャパニーズ・ウイスキーの源流」の名残は、いまも上町台地にとどめているのです。

中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。

松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。

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