らくごハローワーク 第18職

落語にはさまざまな職業が登場します。演芸評論家の相羽さんならではの切り口で落語国の仕事をみてみると……。

お裁きはこれぞ『三方一両損』

 3両の大金を拾った正直者の男、落し主が分かったので本人に届けると、一本気の落し主「落とした金は俺の物ではない」と拒否する。そこで受け取れ、受け取れないと押し問答になり、大喧嘩が始まったので仲裁人が奉行所に訴え出る。
 裁きを担当した北町奉行大岡越前守忠相(ただすけ)は、2人の律義さを誉め、3両に大岡が1両足し、計4両を2人に分け与える。「おまえ達は3両を素直に受け取っていれば良いものを、2両になってそれぞれ1両の損、奉行も1両出して損。これ“三方一両損”だ」と見事な判決を下した。
 そのあと奉行のはからいで祝宴となり豪華な膳が出る。大岡が「空腹じゃと言って、あまり食すなよ」と声を掛けると、「へえ、多かあ(大岡)食わねえ」と1人が答えると、他方「たった一膳(越前)」。
     ◇       ◇
 奉行という役職名は、時代で異なるが、江戸期には、将軍直轄の勘定奉行(今の財務大臣)、寺社奉行(同文科大臣)と老中管轄の町奉行(同裁判官)の3奉行所があった。
 江戸町奉行は北町と南町の2つに分かれ、1ヵ月交代で法廷を開いた。休みの月は、訴訟準備についやした。たくさんの人が担当したが、大岡忠相はとくに裁定が公正で人情味があった。そこから「大岡裁き」という名句も残っている。8代将軍吉宗に認められ老中にまで昇格した。
 奉行の下には、検察官に当たる与力(よりき)、その下に警察官に当たる同心(どうしん)が存在した。
 江戸以外の地にも町奉行所があった。それを遠国(おんごく)奉行と称し、京・大坂(東町・西町)・伏見・駿府(すんぷ=静岡県)・長崎・山田(三重県)・日光・堺・佐渡・下田・浦賀・箱館(函館)の12ヶ所に設けられた。
 「遠山の金さん」こと遠山金四郎(景元)も江戸町奉行の一人で、江戸後期の名奉行として知られている。この頃の奉行の年俸は2500両だったというから、相当な高給取りである。大岡越前守が一両損するぐらい、たいしたことではない。


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