「上町台地」名所図会 第38回

写真/中原文雄
文/松本正行

第38回 旧木子七郎自邸(大阪市中央区)


 大阪には忘れられた芸術家が多くいて、建築家の木子七郎(きごしちろう)もその一人といって間違いありません。大阪の歴史に詳しい人でも彼の名を知らない人は多いでしょう。宮内省の技師の家に生まれ東京帝大を卒業後、大林組に入社。独立し事務所を開設したのち(1913年)、和洋を巧みに使いこなす建築家として活躍しました。
 代表作は萬翠荘(ばんすいそう。旧久松伯爵本邸。愛媛県松山市)で、重要文化財に指定されています(これを含め重文に指定された木子作品は3つ)。加えて、愛媛県庁本館、新潟県庁本館(現存せず)、京都日仏会館など数多くの公共建築を手掛けるなど、木子の名は全国に知られていました。
 木子作品である夕陽丘高校清香会館は前回紹介しましたが、彼が住んだ家も上町台地に残っています(写真上)。大正時代にできたと思われるスパニッシュスタイルの洋館ですが、残念なことに戦災にあい当初の姿は判然としません。木子自身も戦争後は熱海に移り住み、そこで没したのでした。
 内部は非公開ですが、塀越しに建物を楽しめます(建築士会主催の見学会が催されることもあるようです)。また、北に上がってすぐに太閤下水の見学施設(写真下)があるので、木子邸を訪れた際はそちらも訪ねてみましょう。できた時期は江戸時代ともいわれますが、下水の原型は秀吉時代につくられました。見学施設から覗けるだけでなく、予約をすれば立ち入ることも可能です。


中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。

松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。

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