「上町台地」名所図会第35回

写真/中原文雄
 文/松本正行

安居神社(大阪市天王寺区)

 大坂冬の陣は和議で終わり、真田丸は破却されます。さらに、すべての堀が埋めたてられたため、大坂城は丸裸になりました。こうなると豊臣方は野戦に打って出ざるを得ません。夏の陣では、真田信繁(幸村)も茶臼山に本陣を構え、徳川方と相対します。
 
この時の天王寺口の戦いはまさに激戦で、数に勝る徳川方でしたが、3里も逃げた旗本がいるなど大混乱を来たしたそうです。家康が切腹を覚悟したといわれるくらいでしたが、なんとか態勢を立て直して攻めに転じたのでした。結果、真田軍は総崩れに。敗れた信繁が討ち取られたのが安居神社でした。いまは戦死跡を示す碑と、兜を脱ぎ片膝を立てた信繁の像が建ちます(写真上)。

 ただ、夏の陣直後から信繁生存説はささやかれていたようで、よく知られるのは秀頼を連れて薩摩に渡ったというもの。イギリスの商館長も東インド会社に「秀頼薩摩逃亡説」を報告しています。一方、家康死亡説もあり堺市の寺には家康の墓まで建っているのですから、伝承とはいえ興味は尽きません。

 その安居神社ですが菅原道真にゆかりがあり安居天神とも称されます。大丸の創業者・下村彦右衛門が信仰したため大丸天神といわれることもあるようです。小高い場所にあり北に下ったところで天神坂(写真下)につながります。坂の途中には、天王寺七名水のひとつといわれた「安井の清水」のモニュメントもつくられていました。「日本一の兵(つわもの)」も歩いたかもしれないこの坂は、歴史の息吹が感じられる石畳が美しい坂でもあります。

中原文雄
1948年生まれ。建築工房日想舎 主宰。NPO法人まち・すまいづくり会員。

松本正行
1965年生まれ。ライター・編集者。NPO法人まち・すまいづくり会員。

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