#01槇文彦×真壁智治① なぜいまオープンスペースなのか?
書籍 『アナザーユートピア』(NTT出版)を起点として、これからの街づくりのヒントを探るトークイベント「Talk Night オープンスペースから街の未来を考える」。2019年10月24日に開催した第一回目では、「アナザーユートピアをめざして」をテーマとし、建築家の槇文彦氏とプロジェクトプランナーの真壁智治氏をお招きしてお話を伺いました。(全3回)
▶ ②オープンスペースを活かした街づくり
▶ ③オープンスペースは誰のものか?
モダニズムというユートピアの終わり
槇:歴史家のチャールズ・ジェンクスは、モダニズムとは大きな一艘の船であったと述べていますが、1970年ごろまで、われわれ建築家は、モダニズムという名の大きな船に乗っかって、大海原を進んできました。向かうべき方向が必ずしも一致していたわけではありませんが、この船の中には、ル・コルビュジエや丹下健三をはじめ、あらゆる建築家がぎっしりと乗っていました。そこで、仲良くなった者同士が、メタボリズム・グループやチームⅩ、イギリスのアーキグラムといったグループをつくり、いろいろな議論を展開していったのです。それが、1960年代という時代の一つの象徴でした。
都市のあり方としては、大きな未来的空間をどうやってつくるかということに興味が注がれていました。ル・コルビュジェのアルジェや、丹下健三の《東京計画1960》、《新宿副都心計画》といった、メガストラクチャーのプロジェクトがありました。
しかし、1960年代後半から、パリ五月革命やヴェトナム戦争反対といった、若者たちの異議申し立てによって、大きな転換期を迎えます。端的にいえば、パリ五月革命の最大の特徴は、権威に対する挑戦でした。そこから、専門家主導ではなく、もっと住民を中心にしたアーバニズムが生まれてきます。
そうしたなかで、大きな建築をつくって、ユートピアをつくろうとしてきた、モダニズムの運動は力を失っていきます。モダニズムの大きな船はなくなり、建築家は大海原に放りだされて、自ら泳ぎ進めていかなければならない時代になりました。さらに、ベルリンの壁崩壊や、グローバリゼーションやインターネットの登場による資本と情報と欲望の流動化は、大きなうねりとなって、われわれ建築家をさらに揺さぶっています。
このうねりのなかで、私は、ヒューマニズムがこれから非常に大事になるのではないか、と考えています。そこで、より市民が自由に発言しうる、良いアイディアを実現しやすい、オープンスペースを起点に、建築を、都市を考えることが、新たな夢を描く契機になるのではないかと考えました。
オープンスペースは都市に秩序を与える
槇:この写真は、皇居を左手、日比谷公園を右手に、霞が関側から丸の内の空間を見渡したものです。私は、これを東京でもっとも美しい光景だと思っています。皇居の大きなスペースがあることによって、東京に秩序が生まれています。皇居前広場から西に国会議事堂という政治の中心があり、日比谷に向かって官庁街、丸の内にはオフィスや商業施設がある。そして北の方へ行くと大学等の文化の空間がある。このオープンスペースがなければ、東京はつまらない街になってしまっていたのではないかと思います。広場があることによって、テリトリーが自然にできているのです。
世界を見渡せば、良い都市には必ずといっていいほど、良いオープンスペースがあります。たとえば、ロンドンの中心にハイドパークがありますが、東の方向にメイフェア、北にパディントン、西にケンジントン、南にはチェルシーと、それぞれ趣のある街並みが形成されています。ニューヨークでは、セントラルパークを中心に、北にはもとは黒人の街だったハーレム、アッパーイーストサイドは富裕層の住宅地、アッパーウエストサイドにはコロンビア大学、南のマンハッタンにはMoMA(ニューヨーク近代美術館)と、それぞれ個性的なエリアとなっています。このように、これからの都市計画は、われわれの都市に秩序を与えてくれるオープンスペースを中心に考えていく必要があるのです。
オープンスペースの多様さ
槇:世界の都市にはさまざまなオープンスペースの歴史、特徴があります。たとえば、古代ギリシアのアゴラと日本の江戸時代の名所を比較してみると、その違いがよくわかります。
ギリシアのアゴラには、マーケットや運動施設や、賢者たちが話をしたりする学びの場所があったりと、いろんな機能が集約されていました。市民たちはアゴラに毎日通うことを奨励されていたのです。
一方、江戸時代の東京では、武士階級が統治する封建社会だったため、人々が集まることは好ましくないと考えられていました。ゆえに小さなオープンスペースこそあれ、大きな広場というものはありませんでした。その代わりに春夏秋冬を愛でる「名所」が無数にあり、人々はそこで風情を楽しんでいました。
このように、オープンスペースは、どこの国でも同じというわけではなく、それぞれに違う表情を持っています。その国の文化や統治システムを反映した、まったく違ったオープンスペースのあり方があったのです。面白いところでは、ブルガリアの首都ソフィアの広場があります。古代ローマの教会が中央に象徴的にあり、その周りがオープンスペースになっている珍しいケースです。オープンスペースが都市の記憶を喚起するのです。
そこで、私は、三角形のオープンスペースを考えました。たとえば、頂点の辺りに老人や子どもたちのスペースがあり、底辺の方には競技場や超高層の建物があるというように、ゆるやかに、違うスケールの都市空間ができているというものです。中心にカフェをつくれば、いろいろな年齢層の人たちが自然に集まってくる。オープンスペースを自由に考えることによって、そこから都市構造を構築していくことができるのではないでしょうか。
また、オープンスペースは汎用性が高いため、災害にも備えやすいという利点があります。避難する場所にもなり、延焼防止にも役に立ちますし、さまざまな物資の備蓄を含めた緊急時対応施設を地下に設けるなど、いろいろ考えられます。この夏、日本では台風による大きな災害がありましたが、浸水の多い、非常に脆弱なインフラを持つ東京、あるいは大都市では、逆に、少し高い場所に、自家発電や貯水設備のあるオープンスペースを考えることも、今後非常に大事になってくると思います。
→ 次回 01槇文彦×真壁智治
②オープンスペースを活かした街づくり
日時・場所
2019年10月24日(木)@シェアグリーン南青山
主催
NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室
企画
井上学、林正樹、吉川圭司、堀口裕
(NTT都市開発株式会社 デザイン戦略室)
+
山田兼太郎(NTT出版)
撮影
高橋宗正
グラフィックレコーディング
藤田ハルノ+津布久遊 (テクストの庭)