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母と子のトラウマ -その深淵へのアプローチ例

ここ数日の寒暖差のせいか、久しぶりに風邪を引きました。

以前であれば無理も出来そうな症状ですが、昨今の状況では微熱や咳があるだけで対面の予定などはキャンセルせざるを得ないですよね。
トホホ…です。

しかし、そんな折…これも久しぶりですが、自分自身で内観すべき特大のトピックが降って来ました。
この空き時間は「ハヨ観ロヨ!」という天の催促なのだろう…ということにして、取り掛かります。

トピックは、私と母の関係です。

少し別の話から入ります。
今から15年ほど前ですが、中堅どころのサラリーマンをしていた私は、例のごとく休暇を使い、ブータン国への一人旅を敢行しました。
自由旅行は出来ないのがブータンですが、一人でも旅行代理店でガイドと車、ドライバーと全行程の宿泊を押さえることが出来れば、ビザが降りて旅ができます。
だいぶ豪勢な旅になりますが、団体ツアーなどまっぴらゴメン!な私は、日本の代理店に依頼してすべてを整えてもらい、勢いよく出掛けていきました。

ガイドとしてアサインされたのは、私より4~5歳上の、ウゲン・オンモさんという女性。それほど年も離れていない彼女でしたが既に4人もお子さんがいて、一番上の子はもう二十歳になるという、肝っ玉おかあさん。
来日したことも無いのに日本語がペラペラで(ついでに英語はもっとペラペラ)、容姿もものすごく日本人っぽい彼女に、私はこれまで経験したことのない感情を覚えました。

私だけの“ツアー”なので、ガイドと客というより一緒に旅行をしている感じ。
私のことをケイコチャンと呼び、あちこちの案内も説明というより語って聞かせてくれるよう。
毎食一緒に食事をしながらたわいもない話をし、朝から晩までずっと一緒。
道中の道端で地元民が売っている山菜やチーズを一緒に見繕ったり、ウゲンさんの手持ちの民族衣装を着せてもらったり…。

ほどなく、ウゲンさんをいつもピヨピヨと追っかけている、ヒヨコのような私自身に気がつきました。

ちょっと姿が見えないと、ピヨピヨピヨピヨ…お母さんどこ~?と探し回る。
見つかると「あ、いた!」とホッとする自分に、もう一人の自分は「マジかよ…」と突っ込みますが、どうしても止める気になりません。

その関係性に何一つ心配がいらない母と子というのはこんな感じなんだ…という実感は、当時の私にとってそのくらい恋焦がれていたものだったのです。

その旅の終わりはとんでもなく悲しいものでした。
最終日の前の夜から悲しくて悲しくて、まともに笑顔が作れません。
当日空港で別れるときは泣き崩れてどうしようかと思いました。
そんな私に「早く行きなさいっ!」と、これまた母親のようにまなじりを吊り上げて叱り飛ばしてくれたウゲンさん。
私にとって、完璧なお母さん像を教えてくれた、忘れられない人です。

この時の私に起こっていたのは、これまで母親に甘えること、頼ることを許されていなかったインナーチャイルドが表に出てきて、思う存分にお母さん役のウゲンさんに甘えていたという現象です。
当時はそんなことを知る由もなく、帰国後も1週間くらい、事ある毎にウゲンさんを思い出しては涙が出てきてしまう症状に困り果てていました。
徐々にそんな涙も治まりましたが、それはとりもなおさずそのインナーチャイルドがまた心の奥底に閉じこもっていったということでもあるわけです。

さて、そして現在。
私と母の関係は、これまでの人生から見ればすこぶる良好です。
母のど~でもいい愚痴も、いくらでも聞いてあげられるように思います。

ただ…私はど~でもいい愚痴を母にしゃべる気持ちにはなっていないことに、今更ながら気付きました。
というか、母が私について何か知りたいという気持ちを持っていそうな気がしない、ということに思い至ります。
私が好きなことや嫌いなこと、関心があること、大切に想っていること…そんな話はほとんどしたことがありませんが、そもそも母から質問された記憶が乏しすぎる。

母から私へ…愛情が無いという以上に、関心が無い。
これはものすごい恐怖だと、そういえばMOMOYOさんにも言われていましたね。

かのインナーチャイルドは、今の状況を仕方がないと受け入れながら、それでもさめざめと悲しい想いを抱えたままでした。

癒されてはいなかったのです。

私は母からどんな風に思われている気がするか?
ここが、深く内観し掘っていくところです。
ウゲンさんとの体験を指針にし、その違いを感じ取れるのが大変な助けになりました。

なんの心配をせずとも自分を向いてくれていると心底信じられている関係と、
自分にエネルギーを向けてもらえていないことを日々実感する関係…。

家族という“箱”の中で、母親や妻という“役割”を果たさなければいけないという、母の中にあるであろう夢の世界。
彼女を母親にするために必要なのは、子供という“パーツ”。
…そんな無機質なイメージが、私の中に見出されていきます。

成績優秀で、聞き分けが良く、先回りして自分のことも周りのこともこなしてしまう私は、彼女に母親の役割をさせてあげにくい存在。
逆に、抜けているところがありたまに問題も起こす、可愛らしく甘え上手な弟は、彼女を存分に母親にしてあげられる完璧な子供。

だから、弟の方がずっと愛されるし、私は努力すればするほど彼女の愛情や関心から離れていく。

いつもあらぬ方向を向いていて、なんなら弟の方ばかり見ていて、私を正視することのない母。

私は私の世界の中で、そんな母になんて思われてそうか。

『あんたは子供失格』

これが、私のトラウマでありセルフイメージのようです。

…子供では居られないから、家族の中に居場所を見いだすため、別のアイデンティティを担おうとしました。
母を守るために、父をバッシングする役割とか、
情けない母の性根を叩き直そうとする役割とか。

そして、本来の子供としてのアイデンティティは深く封印するしかありません。
そこに私の母は存在しないのですから。

トラウマやインナーチャイルドなどを扱うこの世界にあまり馴染みのない方のため、セルフイメージをもう一度正確に記します。

”私は「私の母に『あんたは子供失格』と言われている」と思い込んでいる”

そう、間違えないで頂きたいのは、この世界観は私の心の中に存在するフィクションだということ。
どんなに現実感があったとしても、私の思い込みの結果でしかないのです。

…ただ、う~ん、気持ち悪くなってきた。
そして、マインドがこの言葉を打ち消そうと、ありとあらゆる言い訳を運んできたな…。
そしてそして、急に熱が上がって来た…なんだよこれ、微熱じゃなくて高熱じゃん💦

ちっ、今日はここまでかな。

次に、このセルフイメージを360度さまざまな観点から料理するとともに、
隠れるしかなかったインナーチャイルドたちを癒していく必要もあります。
その過程で、もっと深いセルフイメージが見つかるかもしれません。

人のトラウマにアプローチしてどのように癒していくか、久々に私の実例をがっつりシェアしました。
サラリと書いているように思われるかもしれませんが、現場はソコソコ壮絶です。

機会があれば、後日談もシェアしますね。

このようなお話も、どなたかのご参考になれば幸いです。

長年の公私に渡る不調和を正面から受け入れ、それを越える決意をし、様々な探究を実践。縁を得て、不調和の原因となる人間のマインドを紐解き解放していく内観法を会得。人がどこで躓くのか、何を勘違いしてしまうのかを共に見出すとともに、叡智に満ちた重要なメッセージを共有する活動をしています。