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名古屋STREETDANCE HISTORY11 〜1998年:名古屋ネクストステージ〜

どうもです。UCです。

(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次11です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )  
(2020.07.09 追記アリ)


さて、
今回は1998年です。
長野五輪での金メダルラッシュ、
サッカーフランスW杯での日本初出場などで、
日本が熱くなった1年でしたね。

名古屋のストリートダンスシーンも同じように熱くなっていた1年だと思います。

今回も長編となりましたので、
さっそく記していきたいと思います。

(※文中は敬称略です。ご了承ください。)

はじめに


前編で記したように、
愛知=HOUSE王国のイメージを経て、
名古屋HIPHOP黄金期と呼ばれる時代が到来した97年でしたが、
今回の98年はさらに色んなジャンルでターニングポイントがあった1年となりました。

何度も言いますが、
この頃には縦にも横にも非常に拡がっているので、
もはや全てを網羅するのは不可能に近づいてきています。笑

ただ、
僕が知り得た情報はなるべく余すことなく記していきたいと思いますので、
またひとつずつ振り返ってみたいと思います。


FIVESTARのネクストステージ


97年編で、その一世風靡ぶりを紹介した『FIVESTAR』ですが、
この年もカマしてくれます!

改めてメンバーを記すと、
RYO-Z“(『Hi-Problem Child』, のちに『Bush Babeez!!』)
TOMOKAZU“(『PINOCCHIO』,『C-HAIS』)
TATSUYA“(『C-HAIS』,のちに『THE BROTHERS』)
OJIRO“(『J.A.P.』, 『Hi-Problem Child』)
SAKAI“(『J.A.P.』)
の5人です。


当時、
破竹の勢いを見せていた『FIVESTAR』が、
次に進んだのが、
キングレコード』主催の新ダンスボーカルグループのオーディション『STYLE MOVEMENT』でした!

そこをグループ全員で合格を勝ち取ります。

▲ユニット決定の第一報記事


その後、
当時、大学生だった“OJIRO”は、“就職”の道を選びますが、
それ以外の4人は同じくオーディションを合格した関西のフィメイルダンサーたちと、
B-LAND』を結成し、
メジャーデビューが決定します!!

B-LAND
RYO-Z
TOMOKAZU
TATSUYA
SAKAI
エレニ”(現、“吾妻えれに”/『CHICHITA STUDIO』代表)
AYAKA”(ダンサー/京都)
CHIHARU”(ボーカル&ダンサー/京都)
の7人でデビューします!

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▲B-LANDデビュー曲『1999』(1998.07リリース)
※TX系「BREAK BEATS」エンディング・テーマ
※TBSテレビ系「チューボーですよ!」エンディング・テーマ
※NTT DOCOMO東海「インフォステーション」CMソング
とタイアップも多数!

名古屋からは、
MIAMI FACE』→『PARTY』、
OOCHIE COOCHIE』→『RA
に続くメジャーデビューですね!

しかも、今回はアングラ叩き上げということで、
仲間うちの応援もすごかったとのことです。


※余談ですが、
FIVESTAR』で唯一“就職”を選んだ“OJIRO”はその後、某大手会社で全国トップクラスのセールスマンとなります。
どの道選んでも『FIVESTAR』はカッコイイですね。

そんな『B-LAND』が上京してデビューするということで、
その送別会的なイベントが一宮の『ゆでりんず』で開かれます。


そのイベントに出演したスペシャルユニットが、
りあるなごやん
でした。

Hi-Problem Child』(“RYO-Z”, “OJIRO”, “YOSUKE”)
C-HAIS』(“TOMOKAZU”, ”TATSUYA“,  “MASAKI”, “TAKAOMAN”)
J.A.P』(“SAKAI”, “KUMAZAKI”, “AKIO”)
Beeper』(“KATSU”, “You-Gee”, “NAOKI”(現、“SEAMO”), ”K-Gee“)
ユテライツ』(”CHITOSE“, ”IZUMI“, ”NORI“, “MISUZU”)
NASTY』(“維月見”, “染香”, “MOTSU”)
山猫』(“RIYAKO”, ”AYA”, ”MEGUMI”)

総勢20名以上!
当時、名古屋のシーン最前線で切磋琢磨してきた仲間であり、ライバルたちの最初で最後の揃い踏みSHOWでした!


個人の感想になってしまいますが、
このSHOWは本当に感動的です。

みんなバイヴス高いし、仲の良さ伝わってくるし、SHOWのクオリティも高いし。
でも、床がめっちゃ滑りやすかったみたいです(笑)

私は画質のとても悪いビデオでしか観たことないのですが、
全員が個性的なので、顔が分からなくても踊りで誰だか分かる。
ていうのも好きなポイントでした。
やはり、シルエットや踊り方で誰か分かるっていう個性が、
ストリートダンスでは重要だなと自分では思ってしまいます。

(そして、この動画が入ったVHSテープを誰かに借りパクされたままです泣
 頭に強烈な印象残ってるものの、もう一度観たいです!笑)


この伝説のSHOW終了5分後にはみんなで涙したとの話もありますし、
みんなに愛され、みんなに応援され、
B-LAND』の名古屋組4人は上京していきます。


B-LAND上京後の名古屋

そして、
FIVESTAR』メンバーがいなくなり、
核を失った『Hi-Problem Child』や『C-HAIS』も活動休止となり、
アイコンを失った名古屋シーンを、
守ろう、盛り上げようと結成されたチームが、
PLAYS』でした。

メンバーは、
YOSUKE“(『Hi-Problem Child』/現、『Hello Store』代表),
OJIRO”(『Hi-Problem Child』,『FIVESTAR』, 『J.A.P.』)
MASAKI”(『C-HAIS』, のちに『NIGHT RYDERS』)
KUMAZAKI“(『J.A.P.』, のちに『HIPHOP CORN』も加入),
TAKAOMAN“(『C-HAIS』)
HARA“(『knowledge』)※”OJIRO“の高校同級生であり、大学時代は東京でダンス活動し、『knowledge』で『Japan Dance Delight vol.4』FINALIST!!

の6人であり、
B-LAND』メンバーと共に名古屋のシーンを盛り上げてきた同志たちが名古屋の盛り上がりを守るために集まりました!

そして、
新たな名古屋HIPHOPの顔として活躍していきます。


また、
HARA“のように高校卒業後に上京していたが、
また名古屋に拠点を移したダンサーがもう1人いました。

それが”K-TA“(のちに『HB』/現、『SUN-X Dance&Vocal School』代表) であり、
名古屋に戻ると、高校の後輩であった ”YOSHIN“(のちに『TとYの方程式』, 『moNsta』)から、
当時”YOSHIN“が習っていた “KATSU“(『Beeper』, のちに『DEGIL FIRE』, 『MASH BRUSH』)を紹介してもらいます。
そして、
わずか数ヶ月後には『Beeper』へと加入します!

さらに厚みを増した『Beeper』も、
PLAYS』とともに名古屋シーンを引っ張る重要チームとして、
さらに存在感を増していきます。

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▲Beeper(※写真は1999年時)
(左から、KATSU, You-Gee, (上)KAZUNORI, (下)NAOKI(現、SEAMO), K-TA, K-Gee)


当時、
RYO-Z“が毎週水曜に『LUSH the underground』にて、
Wednesday at LUSH』のレジデントを務めていましたが、
上京により水曜枠が空くということで、
後を引き継いだのが、
Beeper』の”NAOKI“(現、”SEAMO”)と、『PLAYS』の”KUMAZAKI“でした。

そして、
イベント名も『WILD SMILE』(のちの『WILD WILD SMILE』)(通称:ワイスマ)と改められ、
新たなダンサーの憩いの場となり、
またこれ以降のシーンを牽引する重要イベントのひとつとなっていきます。


このように、
95年編で紹介した”TAKU-G“の『Master of Quality』、
96年編で紹介した”KING-BOO“, ”SANO“, ”OZEHAN“の『XXX-NIGHT』、
そして、
95年編で紹介し、この年以降もずっと継続していた”SENBA“の『HOUSE TOPS』など、
90年中盤〜後半は、名古屋HIPHOPの聖地と呼ばれる”丸美観光ビル”で毎週のレギュラーイベントの一端を常にダンサーが担っていた時代が続いていました。

さらに、
Beeper』の”KATSU“がオーガナイズする『Check It Out』, 『From Behind』にも、
未来を担う若手ダンサーから、名古屋を代表する大御所まで出演し、
また、”KATSU“自身がどんな現場にも足繁く通い、繋がりを増やし、
良いと思ったチームは積極的にイベント出演をオファーします。

静岡の『Brand G』であったり、
三重の『entrance』であったり、
岐阜の『炭水化物』、『イカスタシー』など、
名古屋のみならず、静岡や岐阜、三重など近隣の県のダンサーともどんどん繋がりが増えていきます。

静岡の『Brand G』は、
プロローグ編でも紹介した“RYO”(現、『舞志道BBOY CREW』)、
NEILA”(現、”BOB“/『Dr.Funk』)、
GAN”(『ALL DEGREE』/現、『HOOD STUDIO』代表)
NOBB aka Y'z”(『ALL DEGREE』)
の4人のユニットであり、4人とも静岡の超重要人物ばかりです!


三重の『entrance』も、
この時までは、“YU-JI”, “MO-TA”, “RYO”の3人で活動していましたが、
初代リーダー”YU-JI“の脱退に加え、
名古屋の名物イベント『From Behind』への出演に向けて、
当時『RED HAND』で活動していた “TAKAOMI”(現、『(株)エントランス』代表取締役)が加入しました!

当時、
TAKAOMI“は「打倒entrance」を目標に活動をしており、
最初は倒すべきチームである『entrance』入りに難色を示したそうですが、
MO-TA“からの「チーム掛け持ちOK」の提案に加入を決意したそうです。


97年編でも岐阜の『炭水化物』,『イカスタシー』もこの年は東海を代表する活躍を見せますが、
これは今記事の後半でまた詳しく記していきます。


DANCE DYNAMITE ’98

そんな年の『DANCE DYNAMITE』も昨年に続き世代交代が進みます。

本選に進出したのは、
1.『Beeper×Honey
 ※後輩チーム『Warp』とのユニットで出演。予選大会“優勝”します!

2.『PLAYS
 ※前述の新・名古屋代表HIPHOPチーム!

3.『The Massage
 ※プロローグ編より紹介している“SHUNJI”率いるLOCKチーム!メンバーは、“SHUNJI”, “KIN”, “IKU”, “SHIGE”, “HIRO”の5人組。
 この年は名古屋OLD SKOOLシーンにとって大きな転換点のひとつであり、詳しくは後に記します。

4.『LOVE KNOT
 ※95年編96年編で紹介した『EDITS』リーダーの“WAKKAN“が、『FIVESTAR』のカッコ良さにやられ、「時代は5人組だ!」と『EDITS』の活動を一旦止めて組んだチーム!笑
 メンバーは、『EDITS』の“WAKKAN”, “JUNBO”、
 江南出身の『EDITS』後輩チーム『クリオネ』の“KENTA”(のちに『PUNCH』, 『HYZKETZ』), “CHIKAHITO”、
 そして、97年編では『hot time mind』で紹介した“LUPIN”(のちに『NIGHT RYDERS』)の5人でした!

5.『REAL SOUL FACTORY
 ※96年編では『D-JUNKY』, 97年編では『hot time mind』で紹介した“HAYATO”(現、『DOPE FRESH』, 『PUPETTION』)のユニットです。
 メンバーに、“TARO”(現、『DOPE FRESH』, 『dancing base Zenith』代表)もいた4人組!

6.『カルビークッパ
 ※97年編で紹介した時からメンバーが減り、“KAZ”(現、『10GAME』, 『CAKRA DANCE COMPANY』), ”KAZUMA“(現、『C.C.C』), ”KEI”の3人verでした!

7.『UNBELIEVABLE
 ※“AYUMI”(現、“AYUMI JAPAN“/『ARROGANT』), “CHIAKI”, “HATSUNE”(現、“DOSSA”), “AKIE”の4人組。
 当時、“TAKU-G”(現、“魂宮時”/『studio ku〜空〜』代表)と“MOTSU”(『NASTY』, 現、『CAKRA DANCE COMPANY』)の生徒だった4人が、“MOTSU”の進言で結成したチームです!

8.『AHNYA
 ※“MASUMI”率いるアフリカンダンススタイルのチームで、『studio ZOO』出身のチームでした。


の8チームでした!(順不同)

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▲DANCE DYNAMITE ’98 フライヤー


協賛に『UNITED STYLE』があるように、
この頃、“倉田サム”(現、『ダンスダイナマイト』代表)が栄にセレクトショップ『UNITED STYLE』をオープンさせました!
(2020年5月、実店舗は閉店。現在はネットshopを継続中→https://www.rakuten.co.jp/united-us/)
本場NYから直接買い付けてきたインポートブランドがウリのショップとして人気を博しています。

そして、
決勝で見事優勝したのが、
UNBELIEVABLE』、通称”アンバボ”でした!!
10代の若手ダンサーの優勝、
フィメイルのみのチームの優勝、
どちらもダイナマイト史上初のことでした!


その後、
UNBELIEVABLE』のメンバーは、
AYUMI“は“AYUMI JAPAN”(のちの相方“タエコバドゥ“が命名)と名乗り、HIPHOPチーム『ARROGANT』のリーダーとしてストリートシーンを牽引します。
一方で、
CHIAKI”はコンテンポラリーへと傾倒していき、
HATSUNE”はベリーダンサーに転向し “DOSSA”と改名して活動するなど、
それぞれの道を極めていくようになります。


フレッシュダンサーの続発

そんな『アンバボ』と近い世代のダンサーたちも次々と活動を活発化させていきます。

97年編で『2MN』での活動を紹介した ”MAKOO“(のちに『ASTONISH』, 現、『ARROGANT』)は、
95年編で紹介した『ネイヴクイーン』で活動していた”MIKI“(のちに『YO! YO!』)と、
植物物語』を結成し、
クラブイベントなどでの活動の幅を広げます。

そして、
MIKI“とのちに『YO! YO!』を結成することになる ”Mariっpe“(現、”Bambi“)は、
KATSU“(『Beeper』)の”若宮高架下“レッスン一期生として、
TEQULICO』というチームで活動しており、
SHOW前にテキーラショットを飲んでから踊るのを看板化していたそうです。
この頃には、
高校の後輩”UNO“(のちに『UNO』, 『five』など)を”KATSU”ストリートレッスンに引き合わせ、
ラブアクション』というチームで共に活動していきます。

MAKOO“や”UNO“も、97年編でも形容している ”華の78年世代”のダンサーであり、
同じ”78世代“の”SUGI“(のちの『PUNCH』, 『NIGHT RYDERS』/現、鉄板料理『らくだ』店長)も、
この頃は、『HEADZ』というチームを結成しており、
メンバーは、”SUGI“, ”YO-SKE“(のちの『DOW BOYZ』/現、ダンススクール『X-LAB』代表), ”AKIRA“, ”YANAI“でした。

同じく”78世代“の”TKC“も、地元江南から活動を拡げ、
MAKOO“と組んだり、”SUGI“と組んだりと、
同世代との交流を深めながら、のちに『EDITS』へと加入します。


このように、いよいよ”華の78年世代“が、
そう呼ばれるようになる礎が、さらに出来ていきます。

また、『DANCE DYNAMITE』の本選進出を決めた『REAL SOUL FACTORY』の”HAYATO“も、
この年に、住吉のクラブ『TOP TEN』で遊んでいた仲間と、
コンテスト出場を目的に新チームを結成します。
これが、今なお続くHIPHOPチーム『DOPE FRESH』であり、
初代メンバーは、
HAYATO“, ”ICHIRO“, ”RYUJI“, ”TAKUYA“(3人は『コンティニュー』), ”KEISUKE“, ”YOSHINORI“(『炭水化物』), “awachan
の8人でした。


名古屋HOUSEシーンのネクスト


この年は、
名古屋HOUSEシーンにもまたひとつのBIGチームが誕生することとなります。

97年編で紹介した”High-Leg“でのユニット後、
SENBA“は”UNIVERSE“と、
YASU“は”ESSENCE OF LiFE“と、
それぞれ当時のチームと徐々に方向性やバイオリズムが違ってきます。


そして、
ヒョンなことから大阪の『TRUE SKOOL』に2人で出場することとなります。
そのチームこそが、
FOOT ILLUSION』です。
(コンテスト出るのにチーム名が必要ということで、エントリー当日に名前を決めたそうです。)

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▲FOOT ILLUSION
(左から、SENBA, YASU)

そのまま出場した『TRUE SKOOL』では見事、”優勝“します!
さらに年末の『TRUE SKOOL GRAND CHAMPIONSHIP』でも、
見事、”特別賞“を受賞します!

▲FOOT ILLUSION 動画(時期不明)


これをキッカケに、『FOOT ILLUSION』は翌年以降もさらに爆発し、
全国へと影響を与えるチームとなっていきます。

その一方で、『UNIVERSE』メンバーの、
MICHI“, ”JUNYA“(ともに『MOVE UP』), ”ANN“(現、『YAMAKAJI』), ”イタ“は、
NIKKA SOUL』という別名義で活動するようになります。
この『NIKKA SOUL』には、
その後、”DELAYAS“も参加するようになり、
名古屋HOUSEシーンの中核を担うチームのひとつとして活躍します。


名古屋OLD SKOOLシーンの変革


そして、
名古屋OLD SKOOLシーンもこの年は変革の年になったと言えます。

拡がりすぎてしまうので、
これまであまり触れてはきませんでしたが、
当時は、プロローグ編よりずっと紹介している ”AKIRA“(現、”AKIRA SOUL“)が働くディスコやBarである、
SOUL MASTER’S CAFE』や『MO-MENTS』に後輩が集い、
ダンスや音楽を勉強していました。


SOUL MASTER’S CAFE』では、
ダンスイベントも多く開催されており、
AKIRA“のコネクションのおかげで、
BE BOP CREW』, ”TONY GO GO”, ”SKEETER RABIT”, “Popin Pete”など、
県外、海外からオリジネーターたちがSHOWをすることもありました。

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▲96年のMAHARAJAでのイベントフライヤー
 GUEST: 『BE BOP CREW
 CAST: 『アプローズ』(“AKIRA”, “KIN”, “HIMENO")/ 『2TIGHT』(”TOMOKO”, “KEIKO”)/ 『FIGHT MONKEYS』(“SHUNJI”ら)/ 『Boo Dee』(“KING-BOO“, “DEN“)/ 『ICE』(96年ダイナマイト優勝チーム)/ 『J.A.P.』/ 『D-JUNKY』など

そして、
同じくプロローグ編より紹介している “SHUNJI”が、
自身の“若宮高架下”レッスンでの生徒“IKU”, “SHIGE”, “HIRO”と、
レッスンアシスタントの“KIN”(『mo-Zone』, 『ROOT’S ON』)で結成されたのが、
先ほどダイナマイトで決勝進出した『the Massage』でした。

AKIRA”や”SHUNJI”が大事に育んできたLOCKシーンの新星が現れ始めた時でした。
The Message』もコンテストやイベントに勢力的に活動し、
名古屋シーンに欠かせない存在となります。


そして、
もうひとつの大きなキッカケが、
BUNPEI“(『ROOT’S ON』)の来名でした。
BUNPEI“は、九州出身であり、進学で大阪に拠点を移し、
そこで“POP“ダンスにハマります。
そして、大阪の”ANI“と結成したのが、
ROOT’S ON』でした。

この年、
就職を機に”BUNPEI“は名古屋へと拠点を移し、
しばらくは遠距離でチーム活動をしていましたが、
その後、”ANI“も拠点を名古屋に移し、
名古屋を中心に活動するようになります。

本格的な“BOOGALOO”スタイルを踊るダンサーが名古屋に根付いたのはこの時が初めてと言ってよいかもしれません。


そんな『ROOT’S ON』の噂を聞きつけ、
一緒にBOOGALOOを磨いたのが“KIN”であり、
KIN”(現、『Dandy5』/『HEAT UP』主催)は約一年後、『ROOT’S ON』に加入します!

そして翌年の99年、
ROOT’S ON』に加え、
古くからPOPを踊っていた“HIRO-C”, “FUJI”と共に、
名古屋城前ポッパーズ
が結成されます!

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▲名古屋城前ポッパーズ
(上: 左から、ANI, HIRO-C、下: 左から、FUJI, BUNPEI, KIN)

名古屋のPOPシーンが大きく前に動き出した瞬間でした。


そして、
当時のBREAKシーンとしては、
金山総合駅』が練習場所のメッカとして知られていました。
プロローグ編から紹介している“BREAK”(『 CENTRAL JAPAN ALL STAR BREAKERS』)はじめ、
BODY ROCK STYLE』(“シマ”,  “AGURI”(のちに『密林』), “タツミ”)や、
前方後円墳』(“TAKAYUKI”(のちに『CONTROL』), “コヘイタ”(のちに『コペルニクス』), “AYUMI”(のちに『女聖』))、
ユタカ”(『シュライン』), “イケチョー
などが練習場所で凌ぎを削っていたそうです。

98年の名古屋イベント

さて、
この年も名古屋に定着したイベントも続き、
その一方で新しく始まったイベントもありました。

まずは、
MAIN FLOOR』はこの年、vol.4を迎え、
以降、開催しなくなります。

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▲MAIN FLOOR vol.4 イベントフライヤー


そんな最後の『MAIN FLOOR』チャンピオンとなったのは、

【チームコンテスト】
優勝:『山猫』(“RIYAKO”,  “AYA”(ともに、のちの『TEASE.』, “RIE”)
準優勝:『PLAYS』(この時は“YOSUKE”, “KUMAZAKI”, “TAKAOMAN”の3人編成)

【ソロバトルコンテスト】
<HIPHOP male優勝>
MO-TA”(『entrance』, のちに『Bush Babeez!!』)
<HIPHOP female優勝>
MOTSU”(『NASTY』, のちに『CAKRA DANCE COMPANY』)
<HOUSE優勝>
YASU”(『ESSENCE OF LiFE』, 『FOOT ILLUSION』)

でした!!

山猫』は“IZUMI”(現、“維月見”)の生徒であり、
のちにNY帰りで“IZUMI”(現、“維月見”)が新しく結成するチーム『TEASE.』に引き抜かれるメンバーもいるフレッシュなフィメイルチームでした!

大御所『PLAYS』を抑えての優勝もまたドラマチックですね。

ソロは、
三重から殴り込みをかけた“MO-TA"が見事最後のHIPHOPチャンプの座になりました。
From Behind』への出演などもあり、徐々に『entrance』が名古屋シーンに食い込み始めるキッカケとなったのかもしれません。

女性ソロの優勝を果たした”MOTSU“は、
この後にNYへと移住し、2年半ほどNYで感性とダンスを磨きます。

HOUSEで優勝した”YASU“も、
どうしても『FOOT ILLUSION』=”SENBA“のチームという印象が強い中で、
相方としてのチカラもしっかり示したキッカケになったと思います。

MAIN FLOOR』は時代を象徴する多大な熱気とともに、
最初から最後まで多くのダンサーのキッカケとなった伝説のイベントだと思います。


そして、『MAIN FLOOR』と同時期に始まった『来い!』はこの後も続きます。
97年に開催されたvol.3は『C-HAIS』が、
そして、
この年開催されたvol.4では『e’f』が、
それぞれ優勝します!!

e'f』は、
94年編96年編で紹介した『BODY COUNT』, 『ICE』のリーダーであった“NORI”と、
その生徒“NANAKA”を中心とする4人組でした。

ゲストにも、『ELECTRIC TROUBLE』や『STYLE OF OLD SCHOOL』など関西からトップダンサーが来ていたそうです。

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▲ELECTRIC  TROUBLEとの集合写真


そして、
新しく始まったコンテストもありました。
名古屋では、『CLUB OZON』が旅行会社と提携して開催した
DANCE EXPRESS
です。

このコンテストは予選を開催し、
通過した10チーム前後が数ヶ月後に決勝を行う方式で、
JUDGEに、”OHJI“(『JUNGLE』, 『HYDRA』), ”BOBBY“(『J.S.B』『HYDRA』, 『ZOO』), “SKEETER RABBIT”(『ELECTRIC BOOGALOOS』, ”SHOJI”(『Dance field』主催)など、
東京、海外から超大物をJUDGEに招聘するなど、
かなり本格的なコンテストとして初回から注目を集めました。

そんな栄えある第一回の優勝チームは、
フーリガン
でした!
これは『Beeper』と『Warp』のユニットだったんですが、
KATSU“が主催側で動いていたので、
公平を期す為にこのときは参加しておらず、
その為にユニット名を変更して臨んでいたそうです。

そして、
その次の回に優勝したのが、前述の『PLAYS』でした!!
しかも、この回はTV放送があったとのことです。
(この回が98年か、99年かは不明です。申し訳ございません。)

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▲優勝賞品NYチケットで旅行中のPLAYS

というわけで、
この『DANCE EXPRESS』は、翌年、翌々年と開催され、
名古屋の人気チーム、実力派チームが相次いで参加し、盛り上がっていきます。


新たなダンステレビ番組


全国的にも新たなダンステレビ番組が放映されます。
SAM”(『trf』)監修で始まった『RAVE2001』であり、
名古屋でも予選大会が行われました。

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▲RAVE2001 予選大会フライヤー

そして、
この年の名古屋大会を勝ち抜いたのが、
・『極悪ネイション
※こちらも『Beeper』×『Warp』のユニットです。

・『炭水化物
97年編でも紹介した“TOMO”, “YORIKI”, YOSHINORI“, ”SHINOBU“, ”HASEBE“の岐阜を代表する5人組。

・『イカスタシー
※”KANI“, ”NON“(ともに現、『CAKRA DANCE COMPANY』) , ”SAKI“, “MAYUMI” のフィメイル4人組。師匠は”KOU“。

・『コンティニュー
※”ICHIRO“, “TAKUYA“, “RYUJI“(全員のちの『DOPE FRESH』)からなる一宮のHIPHOPチーム。

の4チームでした。
そして、
名古屋大会優勝を『イカスタシー
個人MVDを“NAOKI”(現、“SEAMO”)
がそれぞれ獲得し、
イカスタシー』は全国大会に出場します。

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▲RAVE2001名古屋予選時 イカスタシー×LINK(ELITE FORCE)
(左から、NON, LINK, SAKO, MAYUMI, KANI)


ちなみに、前述の『B-LAND』は、
この『RAVE2001』にも、GUEST出演します!!

当時のレッスンやスタジオ情勢

95年編で、スタジオとストリートの関係性についても少し触れましたが、
この頃もまだストリートダンスのレッスンは、
ストリート“が多かったです。

メッカだったのは、”若宮高架下“であり、
第一世代の”SENBA“(『MOVE UP』, 『FOOT ILLUSION』)が始めたのを皮切りに、
KITOH“, ”KATSU“, そして“SHUNJI“らがレッスンを始めます。
そして、
この頃にもうひとつのメッカとなるのが、
日土地ビル』であり、
ここでは、
ANN”(『UNIVERSE』『NIKKA SOUL』), ”OJIRO“(『Hi-Problem Child』, 『FIVESTAR』, 『PLAYS』), “MASAKI”(『C-HAIS』, 『PLAYS』), 
そして、
この頃には”SENBA“(『MOVE UP』, 『FOOT ILLUSION』), ”YASU“(『ESSENCE OF LiFE』, 『FOOT ILLUSION』)などもレッスンをしていました。


さらに、
LUSH the underground』で、
イベントオープン前にダンスレッスンがありました!
IZUMI“(現、”維月見“/『NASTY』, 『TEASE.』)がそのパイオニアであり、
その後は”SHIZUKA“(『ROSE HIPS』)などもクラブでレッスンをするようになります。


一方で、
新しいダンススタジオも生まれ始めます。

上前津にあったトレーニングジムの中に、
KITOH“(現、『FORCE DANCE STUDIO』代表)が、
”ストリートダンス専門“のスタジオ『OSSU!!』を立ち上げます!

インストラクターも、
KITOH“, ”SENBA“, ”IZUMI“, ”PLAYS“などなど、
当時の名古屋シーンを牽引するダンサーばかりであり、
このスタジオキッカケでダンスにハマっていったメンバーの中には、
SHIGEKI”, “TAKESHI”(ともにのちの『FUTURE TRIPS』)や、
AKO”(のちの『enokeen』『龍五娘』)など、
のちに名古屋を代表するダンサーとなるメンバーも多くいました。

また、
SUGI”(のちに『PUNCH』, 『NIGHT RYDERS』/現、鉄板料理『らくだ』店長)、
Coko-1“(現、”CONiY“/『DANCE STUDIO HIGH STARS』代表)の杉浦兄弟もそれぞれ、
OJIRO”&“IZUMI”レッスン(“SUGI”)や、
MASAKI”レッスン(”Coko-1”)などで、
そのダンス力を磨いていたり、
J.A.P.』を生み出した“KITOH”ストリートレッスンには、“INO”(『青空』, のちに『NIGHT RYDERS』),  “YO-SKE”(のちに『DOW  BOYZ』)などが通っていたこともありました。


そして、
黎明期から“HIPHOP“のスタジオインストラクターとして活動を始め、
名古屋ストリートダンサーのインストラクターとしてのパイオニア的存在の1人でもあった “KOU”(現、『CAKRA DANCE COMPANY』主宰/『STUDIO CAVE』代表)は、
年々生徒や後輩を育成し、それがファミリー化していきます。

そこで、この年に、
イスラエルの世界的舞踏団『バットシェバ舞踏団』に衝撃を受けた“KOU”は、
「世の中をあっと言わす傾(かぶ)いた舞台をやろう。」
と決意し、自分の生徒の中で熱い気持ちを持ったメンバーを集めて、
KOU family LIVE〜Alternative World〜』を敢行し、これを成功させます!

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▲KOU FAMILY LIVEフライヤー

これが、のちに“HIPHOP”, ”ストリートダンス“を武器に、
アート界/コンテンポラリー界に勝負を仕掛けていく、
CAKRA DANCE COMPANY
結成のキッカケとなりました。


さらに、
その後の名古屋ストリートダンスシーンに大きな影響を及ぼす会社もこの頃立ち上がります。

それが、『top up production』です。
95年編で紹介した、世界的なGRAFFITI ARTIST“DA KOOLAID”(現、“CAZUL”)が立ち上げたプロダクションであり、
立ち上げメンバーは、
TAKE”, “DJ Butcher”, “KOU”, “TAKU-G”,の『P.D UNITS』メンバーに、
KIHO”(97 年編で紹介した”木村由姫“の姉)でした。

のちに名古屋で最もストリートに近いダンススタジオと称される
pineapple studio
を創設したり、数々のBIGイベントを仕掛けるようになっていきます。

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▲CAZUL 作品
※これまでにジャマイカのスケボーパークの壁画やUSJでのVAMPSステージを手掛けたり、
あの“KRS-ONE“主宰のHIPHOP crewに所属したりと、
名古屋が世界に誇るアーティストです!
(現在は、東京を拠点に活動中です。)

ここまで記してみて、
98年は前半の『B-LAND』上京という大ニュースがありつつも、
そこにとらわれ過ぎぬよう時代の流れを掴むべくここ名古屋でも多くの出来事、多くのダンサーの進化、出逢いがありました。

この年もまた、たった1年の間にいろんなことが凝縮されていますね。

道無き道を行った第一世代に始まり、
先人の道を太くしつつ、新たな道を切り開く第二世代を続き、
ここからまたさらに選択肢が拡がっていくものかなぁなんて思ったりもします。
もちろん、時代背景などもありますが。

次回は1999年です。
この年もまた味わい深い1年となります。


まとめ

名古屋HIPHOP黄金期を彩ったアイドルチームが上京しつつも、
地元でもさらなる看板ダンサーが続出し、
縦にも横にも繋がりが拡がり続けた1年でもあった。

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