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名古屋STREETDANCE HISTORY10 〜1997年:名古屋HIPHOP黄金期〜


どうもです。UCです。

(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次10です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )  
(2022.11.29 追記修正アリ)

時代とともにダンサー人口が増え、
その分出来事も増えるので、
今回も相当に長くなりました笑

なるべく、流れを途切らせないようまとめたつもりですので、
是非最後までお付き合いお願いします!!

(※文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)

これまでのおさらい

97年は名古屋ダンスシーンのHIPHOP熱が最高潮に高まった1年だと言っても過言ではありません。
振り返ると、
94年から起こり始めた出逢いなどが、
95年のチーム結成ラッシュに繋がり、
さらに96年編のラストで起きた『Hi-Problem Child』結成が一気に起爆剤となったのか、
97年は怒涛の展開を見せます!
乱暴に括れば、この96〜97年が”名古屋NEW SKOOL第二世代“が覚醒しだした年と言えると思います。

一応おさらいをすると、
名古屋NEW SKOOL第一世代“の象徴であるのが初代『P.D UNITS』であり、
その後輩世代で全国に名を馳せたのが『MOVE UP』, 『MIAMI FACE』、
そして、第一世代最若手が『J&J』からの『Jクルー』メンバーであり、
そこから『PINOCCHIO』や『NAGOYA SOUL SISTERS』が誕生しました。


そんな第一世代最若手がもはや、名古屋のGUESTクラスとなってきたのがこの頃です。
(とはいえまだ22歳前後。”TOMOKAZU“に至ってはまだ10代でした!)
シーン自体が非常にフレッシュな時代だったのでしょう。

そこに続く第二世代は誰が登場し、誰が担うのか?
今回もザクザク登場しますので、
出来る限り拾い上げていきたいと思います!!


DANCE DYNAMITE'97 春予選

この年の『DANCE DYNAMITE』の“春選考会”は、
Annex』で行われました。
ここで、鮮烈なデビューを飾ったのが、
ROSE HIPS』(”SHIZUKA“(現、『footworkDUCKZ』, ”HIJIRI“(のちに『HYZKETZ』))
でした。
彼女らは元々はクラブで踊るのが好きな”クラバー“の出身であり、
そこから二代目『P.D UNITS』の”TAKU-G“(現、”魂宮時“/『studio ku〜空〜』代表)や、”KING-BOO“(現、『Marble Studio』代表)などの生徒となった異例の経歴を持つチームでした。

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▲ROSE HIPS(左から、SHIZUKA, HIJIRI)

その後の東海のgirl's HIPHOPを代表するチームとまでなる2人の登場は、
当時、衝撃的だったみたいです。

今振り返っても、
この年の『DANCE DYNAMITE』を、
「ROSE HIPSが世に出た年のダイナマイト」
と形容する人が何人もいるほどです。笑


そんな『ROSE HIPS』以外で本選に選出されたのが、
・『カルビークッパ
※“KAZ“(現、『10GAME』), “KAZUMA“(現、『YAMAKAJI』, 『C.C.C』), ”RISA“(元『OOCHIE COOCHIE』, 現在役者活動中), ”MIKA“(現在役者活動中), ”AI“, ”KEI“の6人組。
師匠は”KOU“(現、『CAKRA DANCE COMPANY』主宰、『STUDIO CAVE』代表)です。

・『Hi-Problem Child
96年編で紹介した名古屋の新たなスターチーム!
RYO-Z“, ”OJIRO“, ”YOSUKE“の3人組!

・『Beeper
※2年連続通過!この頃は初代メンバー”JIRO“が脱退し、”K-Gee“が加入します。
KATSU“, ”You-Gee“, ”NAOKI“(現、”SEAMO“), ”MIYA“(現、”AKEEM“), ”K-Gee“の5人体制。

・『うずずSKOOL
※ダイナマイト本選常連チーム『うずず』(“YOHEI”, ”IMAYAN”)のユニットチーム!

・『D.I.L
※”MEG“(元『supremes dance school』代表), ”MARI“らのJAZZチーム。

・『DELITEFUL
※”KING-BOO“が当時教えていた岐阜のダンススタジオ『TRM』の教え子チーム。なんと、 ”KING-BOO“本人も出演していました!

・『Milky
94年編で紹介した『RA』の”RENA“, ”AYUMI“の2人。ダンスのみの時はこのチーム名だったみたいですね。

であり、
合計8組が本選進出となりました!(順不同)

ROSE HIPS”, “DELITEFUL”, “Milky”と、
プロローグ編”より紹介し続けている“KING-BOO”プロデュース(&出演)のチームが多数本選出場を決めており、
第一世代からの大御所ダンサーとしてシーンに影響を与え続けていました。(と言っても当時まだ20代)

そして、
昨年の『EDITS』に続き、
華の78年組“の『カルビークッパ』も予選を通過しました!

そして、
予選通過とはならなかったものの、
この時初めてダイナマイトにエントリーしていたのが、
・『hot time mind
※”HAYATO“(現、『DOPE FRESH』, 『PUPPETION』), ”LUPIN“(のちの『C-HAIS』『NIGHT RYDERS』), ”いっちゃん“, ”ゆーじ“の4人組。
(”LUPIN“は78年組。)

・『ラム・コーク
※”AIKO“(のちの『MINX』,『HONEY WAX』,『ViiLOVED』), ”HARUKA“(のちの『MINX』), ”ユキ“(のちの『木村由姫』)ら4人でエントリー。
(”AIKO“は78年組。)

・『2MN+ユキエ
※”MAKOO“(のちの『ASTONISH』, 『ARROGANT』)が当時組んでいたチーム『2MN』と”ユキエ“(のちの『THE FIRE』)のユニット。
(”MAKOO“は78年組。)

などなど、現在も名古屋のダンスシーンで活躍する『1978』メンバーが実はこの時に勢揃いしていたんです!

さらに、
AYUMI“(現、”AYUMI JAPAN“、『UNBELIEVABLE』,『ARROGANT』), ”CHIAKI“(のちの『UNBELIEVABLE』)も、
当時の同級生と”TAKU-G“(現、“魂宮時”)プロデュースのチームで出場していたそうです。

未来の金の卵たちがたくさんいた年だったんですね!


※余談ですが、
この年に『LUSH the underground』で、
ダンサーもシンガーもごちゃ混ぜのアーティストオーディションがありました。
そこに、“IZUMI”(現、“維月見”, のちの『TEASE.』)や、“MAKOO”(のちの『ASTONISH』, 『ARROGANT』)も参加しており、
また“AYUMI”(現、”AYUMI JAPAN”/ のちの『UNBELIEVABLE』『ARROGANT』)と ”CHIAKI“(のちの『UNBELIEVABLE』)も『ピーチP』というユニットで参加していたそうです!

そんなオーディションを合格し、
のちに”浅倉大介“のプロデュースでシンガーデビューしたのが、
当時“IZUMI”(現、“維月見“)や“TAKU-G”(現、“魂宮時”)の生徒であり、
前述の『ラム・コーク』の“木村由姫”でした。

▲木村由姫 動画

DYNAMITE’97 本選

そんな97年の『DANCE DYNAMITE』本選は、
相変わらずGUESTも豪華でした!

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▲DANCE DYNAMITE'97 フライヤー

GUEST STAGEは、
この年も『NA STYLE』でした!
そこに”with family”としてのメンバーも加え、
KOU”がステージプロデュースします。

(すごい世界観となったことでしょう◎)

さらに、
CLUB TIMEのGUESTが豪華です!

まずは、
P.D UNITS』メンバーでもある“DJ BUTCHER”が、
大阪の『WORD SWINGAZ』の“RYW”と組んだユニット、
EARTH GROW』が登場します!

そして、
名古屋の、いや日本のHIPHOP史に燦然(さんぜん)と輝くレジェンドユニット、
ILLMARIACHI』!!
言わずもがなの”DJ刃頭“(現、『OBRIGARRD』)と”TOKONA-X“(『M.O.S.A.D』)の最凶ユニットです!

贅沢な時間ですね◎

▲Young Gunz / ILLMARIACHI feat.茂千代&KENT

▲博徒九十七 / ILLMARIACHI


本当にいつの時代も色褪せない名曲ばかりです!


そして、そんな年の本選を制し優勝したのが、
Hi-Problem Child』!!

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▲Hi-Problem Child
(左から、“YOSUKE”, “RYO-Z”, “OJIRO”)


時代の象徴ですね(^^)
あまりのカッコ良さに後輩たちも相当憧れたみたいです。

そして、
この年の『ハイプロ』の勢いはまだまだ続きます!!


ダンスディライトでの活躍

ハイプロ』の躍進は、
96年編で紹介した『OSAKA DANCE DELIGHT vol.12』での”準優勝“に続き、
JAPAN DANCE DELIGHT(以下、JDD) vol.4』
でも活躍を見せます!

その前に、
GWにあった『TRUE SKOOL GW special』でも”特別賞“を受賞します!

▲ハイプロの伝説ネタ その2(1997.05)

(2曲目聴くだけでハイプロ思い出すくらいにはなっていますw)


そして、
JDD vol.4
では、”特別賞“を受賞します!
94年のvol.1での『OOCHIE COOCHIE』, 95年のvol.2での『PINOCCHIO』に続く快挙でした!

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▲JDD vol.4 レポート(提供:ADHIP)

▲ハイプロの伝説ネタ その3
(YouTubeだと音ズレがツライ…)


(最後のMC LYTEにやられた人多数!)


というわけで、
結成1年足らずで一気に注目を集めるチームとなっていました!


ちなみに、
この時の『JDD vol.4』には『C-HAIS』も ”FINALIST“となっています!

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▲JDD vol.4 FINALIST(提供:ADHIP)

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▲C-HAIS
(左から、MASAKI, MOTO, TATSUYA, TOMOKAZU)


熱いですね!

そして、
実はこの頃、同時期に既に進行していたあの伝説のユニットがあります。
名古屋HIPHOPの熱さがホンモノだと知らしめた一連の流れについては、
それについてはまた後ほど記します。


始動イベントの続き


さて、
96年編で紹介した、昨年始動した新イベントのうち、
MAIN FLOOR
はこの年に2回開催されます。

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▲MAIN FLOOR vol.2フライヤー

vol.2もチームダンスコンテストと、ソロバトルコンテストがありました!
結果は、
【コンテスト優勝】
BeeperからKATSUとYou-Gee

【ソロ優勝】
<HIPHOP>
OJIRO“(『J.A.P.』,『Hi-Problem Child』,『FIVESTAR』)
<HOUSE>
TAKU-G”(現、“魂宮時”、『studio ku〜空〜』代表)

でした!
なみいる強豪をNY帰りのバイヴスで2人という最小人数で制した”KATSU“と”You-Gee“もまた名古屋を代表するダンサーですね。


ソロHIPHOP優勝の”OJIRO“はタットを得意としており、
三次元に展開されるタットや、フロアーも織り交ぜたタットなど、今見ても“フレッシュ”の一言に尽きます!

ちなみにこの時のソロバトルのHIPHOP決勝は、
RYO-Z”, “OJIRO”, “TOMOKAZU”, “KEI”(『カルビークッパ』)の4人だったそうです!
豪華すぎるサークルですね。
そして、“RYO-Z”の連覇を止めたのがチームメイトの“OJIRO”というのはドラマですね!
熱いですね〜

そして、この回からHIPHOPとHOUSEに分かれるわけですが、
HOUSEチャンピオンは、『P.D UNITS』の “TAKU-G”でした。
流石の一言ですね◎

さらに、
年末にはvol.3が開催されます!

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▲MAIN FLOOR vol.3 フライヤー


【コンテスト優勝】
TWIN STAR』(”TOMOKAZU“, ”TATSUYA“)
※あの伝説ユニットからの2人ですね(^^)

【ソロ優勝】
TOMOKAZU“(『C-HAIS』, 『FIVESTAR』)

でした!
この回は“TOMOKAZU”祭りですね!

TOMOKAZU“はもう中学生の頃から天才の名を欲しいままにしてきており、
この高校を卒業した時期はさらにキレも深みも増しています。
当時、名古屋以外の郊外にも”TOMOKAZU“のビデオは出回っており、名古屋の有名人でした。


そんな97年の『MAIN FLOOR』ですが、
ほかに特筆すべきことが2つあります。
1つは、vol.3から『nexx』が協賛に入っていることです。
nexx』と言えば、今では『nexx international co.』として、
SELECT SHOP『Living for nexx』『PRIVILEGE NAGOYA
DESIGN OFFICE『NEXX DESIGN
WEB SOLUTION『NEXX SOLUTION
DANCE STUDIO『STUDIO NEXX
PRODUCTION 『NEXX ENTERTAINMENT
などなど多岐にわたりストリートに関わる会社ですが、
そのアパレル店舗である『nexx』の初代店長だったのが”SHOGO“であり、
ダンサー、DJ、デザイナーなどマルチな才能を発揮していた人でした。

彼自身も『J-connection』(跡地に現在『club Lover:Z』)でパーティーを主催しており、
その関係でも繋げたダンサーやDJも多く、
また、当時の衣装製作やフライヤー製作でも頼りになる、
知識と技術を持った人でした!
こうした人がいたことが、
またそれぞれの活動を拡げ、サポートしていくこととなります。


そして、2つ目は、
vol.2、vol.3の目玉GUESTとして、
NYのHOUSEオリジネーターcrewのひとつ『DANCE FUSION』の看板メンバーの1人、
SHAN.S“が来たことです!

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▲MAIN FLOOR 集合写真

これについては詳しく述べさせていただきます。


HOUSE王国名古屋が見せた次の展開


改めて説明するまでもなく、
SHAN.S”はダンサーとしても、DJとしても本場NYで活躍する超一流です◎


当時、『MOVE UP』の”MICHI“や”SENBA“はお金を貯めては年1回は2〜3ヶ月NYへ行くという修行をしていました。
そして、『フェイジルダンススタジオ』が当時HOUSEダンサーの練習&憩いの場であり、
そこでHOUSEを磨いていた仲間で活動しようといって出来たのが、
Feet Stylers』でした!

NYキッカケの結成であり、
合言葉は”HOUSE“ということなので、
結果として全国のHOUSEダンサーが集結することとなります!

初期メンバーは、
名古屋の”MICHI“, ”SENBA“(ともに『MOVE UP』), ”KENJI“(『PINOCCHIO』), 
大阪は”HISA“(『Nappy Heaz』リーダー), ”TAKE“(『JIG』, のちの『W.C.O』),
東京から”YUSUKE“,
そこに加えて”SHAN.S“でした!!

ネットも十分に発達していない、
SNSなんて言葉すらまだない時代に、
このように地域も国境もまたいだクルーが出来たとかすごく熱いことですね。

▲Feet Stylers(MAIN FLOOR showcase)


このMAIN FLOORでのGUEST SHOWから始まり、
翌年には大阪『Best of Best』でもGUEST SHOWをしたり、
その後に伝説となるhouse party『[ha:n] party』を開催したりと精力的に活動します。

そして、徐々に、
「クラブで良い音楽聴いて踊るのが1番楽しい。」
と、イベントの規模よりも、音響や空間の質にこだわったpartyをしていくようになります。


名古屋HIPHOP黄金期の始まり


さて、最前線のHOUSEダンサーたちが県外、海外と交流を深め、その美学や価値観を深めている中、
HIPHOPダンサーたちも新たな動きを見せます!

まず、
大阪の『ベイサイドジェニー』で開催された『CLOSE UP』というSHOW CASEイベントに、
なごやん』というユニットで出演します。

当時、同じ練習場所で高め合い、コンテストで凌ぎを削り、クラブでは共に遊びまくり、
常に刺激しあってきた、
Hi-Problem Child』, 『C-HAIS』, 『J.A.P.』の3チームから選抜された9人が、
大阪の大規模イベントに、”名古屋HIPHOP代表“としてカマしにいきます!

▲なごやん(CLOSE UP showcase)

メンバーは、
Hi-Problem Child』の、
RYO-Z“, ”OJIRO“, ”YOSUKE“,
C-HAIS』の、
TOMOKAZU“, ”TATSUYA“, ”MASAKI“,
J.A.P.』の、
SAKAI“, ”KUMAZAKI“, ”AKIO
の9人でした。

まさにオールスターチームですね!
このSHOWの動画も散々見ましたね。
同じ名古屋というだけで勝手に誇らしくなりますね笑

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▲『CLOSE UP』イベント後の集合写真
「なごやん」メンバーのみならず、応援も含めて大人数で大阪まで遠征に行って盛り上がったそうです◎

そんな『なごやん』が話題になったのちに、
さらなる事件が起きます。


ある日、なごやんメンバーのうちの5人が、
いつものようにクラブに遊びに行った時に、
丸美観光ビルの正面にあった『LAWSON』にいた美女2人を”SAKAI“がナンパします。

話をしてみると、その美女2人は『セントラルジャパン』所属のモデルだったらしく、
「お兄さんたちは事務所所属してないのー?」と言われ、
「入ってないなら(事務所の)上の人に宣伝してあげるよー」
と言って、写真を撮ってもらったそうです。

すっかり舞い上がった5人は、
この5人で本当にチームとしてやってみようか?
と盛り上がり、出来たチームが、
FIVESTAR』です!!

・”RYO-Z“(『Hi-Problem Child』, のちに『Bush Babeez!!』)
・”TOMOKAZU“(『PINOCCHIO』『C-HAIS』)
・”TATSUYA“(『C-HAIS』,のちに『THE BROTHERS』)
・”OJIRO“(『J.A.P.』『Hi-Problem Child』)
・”SAKAI“(『J.A.P.』)

この5人のスターダンサーが、
次から次へと大旋風を巻き起こしていきます!!

まずは、『LOFTアートピアホール』であったダンスコンテスト『バトルダンス』で、
大御所『P.D. UNITS』を抑えて”優勝”します!
一気に人気も高まり、
ポートメッセでのスノボイベント、ダイアモンドホールでのファッションショー、ラジオ『Zip-fm』のイベントなど企業の大イベントでも引っ張りだことなります。


ちなみに、『MAIN FLOOR vol.2』にもコンテスト出場しますが、
制限時間オーバー“で失格になったそうです笑

▲FIVESTAR(MAIN FLOOR)
(※制限時間2分30秒のところ、5分踊っています笑 さすがの規格外!)

(ちなみに『HAPPY SONG / BLACKSTREET』が名古屋のクラブでかかれば、みんなこの振りを踊る現象が数年前までは発生していました。)

とにかく『FIVESTAR』の勢いはすごかったです。
当時を知る人たちが口を揃えて言うのが、
「女子ウケ最強!」
との言葉です。
実際『FIVESTAR』のビデオを観ると、キャーキャーと黄色い声援多いです!

▲FIVESTAR動画(at diamond hall)
(黒: TOMOKAZU, 赤: RYO-Z, オレンジ: OJIRO, 黄: TATSUYA, 青: SAKAI)

▲FIVESTAR動画
(黄USA: RYO-Z, 黄cap: TOMOKAZU, 水色ボーダー: OJIRO, 赤: TATSUYA, オレンジ×青: SAKAI)

(何度も何度も観たビデオです!
 YouTubeにも上がっていたんですねー。)

当時は、イベントにしろクラブにしろ、
今よりももっと、”ダンサーじゃないお客さん”が多かったみたいです。

そして、
FIVESTAR』の噂は県外にまで届き、
大阪『ADHIP』が新しく始めた女性だけのダンスコンテスト『FEMALE TROUBLE』でも、
ゲストとして”JUDGE“と”GUEST SHOW“を務めます。

ちなみに、
この第一回『FEMALE TROUBLE』優勝チームが、
IZUMI”(現、“維月見”, のちの『TEASE.』), “SOMEKA”(現、“染香”, のちの『TEASE.』, 『SAM×2』), “MOTSU”(現、『CAKRA DANCE COMPANY』)からなる、
NASTY』でした!

まさに男も女も名古屋が熱かった黄金期ですね◎
(『NASTY』については、後ほど詳しく記します。)

そんな破竹の勢いを見せる『FIVESTAR』は、
翌年、また大きな動きを見せます!
詳しくは、次編で詳細に記します!

女のカリスマたち


さて、名古屋のMaleダンサーたちがカマしまくる中、
Femaleダンサーたちも黙ってはいません。

名古屋の元祖カリスマフィメイルダンサーと言えば、
これまでに”プロローグ編”からほぼ毎年、何度も何度も登場している“YUKOP”(初代『P.D   UNITS』)です。
この頃は、完全にNYへと拠点を移しており、
日本からNYへダンス修行に行った人たちの面倒などをよく見ていたそうです。

当時の若手ダンサーがドキドキしながらNYへ行くと、
NYのクラブでGOGOダンサーとして“YUKOP”がバリバリ活躍してるのを見て、度肝を抜かされていたらしいです。

そんな、“YUKOP”の一番弟子たちが、
95年編で紹介した『NAGOYA SOUL SISTERS』でした。
96年編では“IZUMI“(現、“維月見”), “CHITOSE“, “YUKARI“の3人での活動を伝えましたが、
この頃にはさらに方向性が違ってきます。

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▲NAGOYA SOUL SISTERS
(左から、“IZUMI“, “YUKARI“, “CHITOSE“)

女性らしい踊りを追求した“IZUMI”、
男勝りな踊りを追求した“CHITOSE”、
“HOUSE”に傾倒していった“YUKARI”、
三者三様ですね。

そして、
IZUMI”は、当時出会いよく遊んでいた “MOTSU”と意気投合し、
一緒に練習をする中でさらに盛り上がり、
IZUMI”のテレビ塔時代からの仲間の “SOMEKA”(現、“染香”)も呼んで、
練習しているうちにさらに盛り上がって、
「コンテスト出るかー」てなったのが、
前述の『NASTY』でした。

MOTSU”は、高校時代より”JAZZ“を踊り始め、『STUDIO ZOO』へと入り、
94年編ではTAPダンスチームで『DANCE DYNAMITE』に本選出場するなど、
”JAZZ“, ”バレエ“, ”TAP“なども踊りこなす多彩な才能を発揮するダンサーでしたが、この頃はストリートにドップリハマり、
クラブと音楽にまみれていたそうです。

SOMEKA“(現、“染香“)は、93年編で紹介した『gooffy』で“IZUMI”とチームを結成していたくらい長い付き合いであり、
IZUMI”が“MOTSU”と練習で盛り上がった時も、“SOMEKA”も一緒にやりたいってなったのも頷けますね。

FEMALE TROUBLE 優勝レポート


というわけで、
ノリで結成したにも関わらず、
FEMALE TROUBLE』でいきなり“優勝“した『NASTY』は、
その後も、活動を続けることになります。

翌年の『FEMALE TROUBLE』のGUEST出演、
FOXY BROWN”のフロントアクトなど、
名古屋でももちろんのこと、
地元シーンを越えても活躍をしていきます!

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▲NASTY × FOXY BROWN
(左から、“SOMEKA”, “IZUMI”, “FOXY BROWN”, “MOTSU”)

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▲FEMALE TROUBLE GUEST出演時の楽屋にて
(写真は98年時)


そして、
CHITOSE”は、
イズミ”(“維月見”とは別人, のちの『ASTONISH』), 
そして、
95年編で紹介した『ネイヴクイーン』の “NORI”(のちの『ASTONISH』)と、 “MISUZU”の4人で、
ユテライツ』を結成します。

こちらも名古屋を代表するフィメイルダンスチームとして、
イベントにコンテストに勢力的に活動していき、
名古屋の主要なダンスイベントには欠かせない存在となっています。


そして、
YUKARI”は96年編で紹介した名古屋の最前線ダンサーが集結した『UNIVERSE』のメンバーとなり、
HOUSEシーンでも活躍します。
しなやかなダンスとともに、小柄で美人なキャラも相まって、
大阪の方でもアイドル級の人気を誇っていたという話も聞いております◎


そんなこんなで、
名古屋のカリスマフィメイルチームが、
三方向に分かれることでさらに後輩のダンサーも各方面で増えていくことになったのではないかと思います。

このように、名古屋のHIPHOPが男女ともに熱く燃えていたこの年は大阪のダンスディライトマガジンでも、
その熱さが紹介されるほどでした。

名古屋のNEW GENERATION CLOSE UP紹介ページ

どのチームも熱いです!胸熱です。



97年の流れ

さて、96年編で紹介したように、
昨年始動したイベントは前述の『MAIN FLOOR』以外にも多数ありました。


来い!』は、第二回目から“ダンスコンテスト”となりますが、
vol.2での初代『来い!』チャンピオンは、
Hi-Problem Child』でした!!
強すぎます。
(※正確には96年の年末に開催)

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▲『来い!』GUESTの『STYLE OF OLD SKOOL』や『ex//change』の皆さんとの集合写真


そして、豊橋の『D-NIGHT』ですが、
Moody Parson』(”TONE“, ”ウッチー“, ”ユーキャン“)が、
vol.1&2と“連続優勝“を果たした後、
vol.3を制したのが、『Hi-Problem Child』でした!
最強すぎます。

ちなみに、このときのGUESTは東京から『Mo’Paradise』でした。
豊橋に年々東京NEW SKOOLのレジェンドダンサーが来ていたのは、
当時ダンスを始めていた若手ダンサーにも刺激が大きかったみたいです。

そんな豊橋はこの年HOTなnewsの多い年でした。

まず、豊橋シーンを牽引し続けている ”SHUICHI“(『THE LiFE』,『ESSENCE OF LiFE』/現、『grand space Quark』代表)が、
アパレルショップ『NU』をオープンさせます。
(翌年にはレコード屋『NU RECORD』もオープンさせます!)

この場所が豊橋のダンサーを中心としたhiphopヘッズの溜まり場になっていき、
そこからどんどん後輩も生まれていきます。

そんな”SHUICHI“の後輩の1人であった”Tar-Q“(のちに『YORK』, 現、『C.R.E.A.M』代表)が、
KATSU“(『Beeper』,『MASH BRUSH』)を紹介され、運命の出会いを果たすのもこの年でした。
Tar-Q“はこの時から”KATSU“を師と仰ぎ、「HIPHOPで生きていく。」と決意したそうです。
豊橋を熱くする人がまた1人誕生した瞬間でした。


そして、
SHUICHI“の後輩チーム『ZIMA』が立ち上げたのが、
DANCE TRIBE』であり、こちらも豊橋の人気イベントとなります。
ちなみに、vol.1のGUESTで登場したのが、
24-7Soulbrothers』でした。
これが新城市出身のイケてる兄弟チームであり、
弟は現在、”DJ OBA“(『Bush Babeez!!』『GPD』)として全国で活躍するあの”OBA“です!(当時は、東京で『やります なります』というダンスチームで活躍していました!)

そんな豊橋で、
当時勢いのあったHIPHOPチームが『SKOOL』であり、
CHIKAC”, “MOTO”, “YOSHIKI”, “KAITO”, “KAZU”の5人で始まったチームでした。
のちに、“NORI aka NICCO”(現、『BIONICMAN』代表)も加入するチームです。

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▲97年の豊橋にて。
(左から、NORI aka NICCO, MOTO(後ろ姿), NISHI(CHIKACの兄), YOSHIKI, CHIKAC, KAITO)


そして、
名古屋でも“KATSU”(『Beeper』, のちの『DEGIL FIRE』『MASH BLUSH』)が仕掛けるイベントも勢いづいていきます。
96年編で紹介した『From Behind』は、
当時の東海シーン最前線のチームが出演できるイベントとして人気を博していました。


その上で、若手にも踊れる場、下克上の場があるようにと、
“出たい人が出れる”という『Check It Out』というイベントも始めます。

誰でも出れる『Check It Out』ですが、最後の3部に踊るチームは、
イベント側がオファーをした“イケてるチーム”のみ。
という構図が、
若手ダンサーに、「『Check It Out』の3部で踊りたい!」という目標を与えるようになります。
(これは、その後の『TOSS IT UP』でも同様に続きます。)

コンテスト以外に、こういうモチベーションを与えられるというのは当時としては斬新だったのではないかと推察しています。


そして、そうしたイベントがダンサーどうしを繋ぐ場にもなりました。

96年編でも紹介した三重の『entrance』に所属する“MO-TA”と、
同じ三重ダンサー“TAKAOMI”(現、『(株)エントランス』代表取締役)が初めて出逢ったのも、
実はこの年、名古屋での『Check It Out vol.1』でした。
(”TAKAOMI“は既に”KATSU“と繋がっており、イベントスタッフをしていたそうです。)

その後、同じチームで活躍するこの2人ですが、
まだこの頃はライバル関係でした。

当時の“TAKAOMI”は『RED HAND』で活動しており、
同じくチームメイトとなる“COZY”(現、『DELI DELI』代表)も『PHATBRANCH』での活動を継続しており、
三重では『entrance』(当時、“YU-JI“, “RYO“, “MO-TA“)を軸に、
RED HAND』、『PHATBRANCH』の3チームが県内を盛り上げる構図が続きます。

そして、
この頃岐阜で精力的に活動していたのが、
炭水化物』であり、メンバーは、
TOMO”(のちに『PUMPKIN HEADS』,『激辛リベンジ』)
YOSHINORI“(のちに『DOPE FRESH』)
SHINOBU
HASEBE
YORIKI“(のちに『PUMPKIN HEADS』, 『激辛リベンジ』)
の5人でした!
次編以降に述べる『RAVE2001』などでも活躍したHIPHOPチームでした。


そして、岐阜では『Dancing Heart』というスタジオで”KOU“(現、『CAKRA DANCE COMPANY』主宰)がレッスンを始めており、
進学で岐阜に拠点を移した、91年編で紹介した江南市の練習場所のメッカ『江南文化会館』練習メンバーの1人、
TARO“(現、『DOPE FRESH』/『dancing base Zenith』代表)や、
95年編でも紹介した『よそほひ』の ”SHIGE“(現、”DJ TETSU aka Duddy1“)や、
のちにシーンを賑わす『イカスタシー』など、
岐阜から存在感を示すダンサーも徐々に増えていきます。

そして、人気クラブ『toopa』にも多くのダンサーが集まるようになり、
愛知と岐阜を繋ぐ重要なハコでした。


Beeper × BLACK INDIANS


そして、もうひとつ特筆すべきは、
96年編でも少し触れた『BLACK INDIANS』です。

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▲BLACK INDIANS ライブフライヤー

パフォーマー集団として人気を博していた彼らの中に、
イベント共演を経て、徐々にシンクロし、
遂には入団したのが、
Beeper』の“NAOKI”(現、“SEAMO”)でした。

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▲BLACK INDIANS × Beeper


この『BLACK INDIANS』こそ、
リーダー“GM大野”を中心に、
名古屋のクラブシーンを代表する大バコ『CLUB  OZON』を創設した方々です。
ちょうどこの頃に住吉に『CLUB OZON』をオープンさせました。

そして、
BLACK INDIANS』に入団後の “NAOKI”(現、“SEAMO”)は、
その後、股間に天狗のお面がトレードマークの“シーモネーター”として、ラッパーでも人気が出るようになります。

そんな彼を、
BLACK INDIANS』リーダーであり、『CLUB OZON』代表である“GM大野”がマネジメントをすることで、
シーモネーター”が後々メジャーデビューへと進むキッカケとなります。
また年を追って記します。

また、
Beeper』の“KATSU”も、
BLACK INDIANS』リーダーの“GM大野”に頼られ、
CLUB OZON』の“ストリートダンス”部門のアドバイザー的な立ち位置として入るようになります。

これにより、
以降、“KATSU”の仕掛けるイベントが『CLUB OZON』でスムースに開催でき、
そこに“GM大野”のコネクションでbigアーティストが来るようになったり、
翌年から『CLUB OZON』で行われるダンスコンテスト『DANCE EXPRESS』にも日本のレジェンドダンサーが多数来たりするようになります。

やはり出逢いとタイミングですね。

芽吹いたチーム


最後に、この年生まれた新チームを紹介します。
まずは、『DANCE DYNAMITE '97』の春予選に出ていた、
ラム・コーク』の“AIKO”と“HARUKA”が、
IZUMI”(現、“維月見”)クラスの同じ生徒だった“MIE”, “AIRI”, “MEG”の5人で、
MINX』を結成します!

この『MINX』はその後、
メンバー編成を繰り返しながらも、常に名古屋クラブシーンのアイドルチームとして人気を博します!


そして、
当時、“HAYATO”(現、『DOPE FRESH』/『PUPPETION』代表)や”KITOH”(現、『FORCE DANCE STUDIO』代表)のストリートレッスンに通う高校生だった“INO”(のちの『NIGHT RYDERS』, 現『EXPG NAGOYA』校長)は、
同世代の”RYUICHI“, ”ユージ“らと、
青空』を結成します!

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▲青空(右から2人目がINO)

高校生チームとして、
前述の『Check It Out』などクラブシーンで活躍します。


そして、最後に紹介するのはユニットです。
この頃、”TAKU-G“(現、“魂宮時”)は、
明と暗』という3回建のビル一棟を使ったインスタレーションを発表し、その空間内でSHOP運営するなどしており、
その高まった感覚をさらに磨く為にNYへの移住を決意します。

その移住前に一緒に踊ろうと声をかけたのが、
先輩の“SENBA”(『MOVE UP』)であり、
同じHOUSEダンサーでDJ活動もしていた ”YASU“(当時『THE LiFE』, 『ESSENCE OF LiFE』)も誘い、
High-Leg』というユニットを結成します!

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▲High-Leg(左から、TAKU-G, YASU, SENBA)

このユニット後、”TAKU-G“はNYへと移住しますが、
残った2人が翌年以降、全国を席巻するチームとなります!!
また次編で詳しく書きます。


というわけで、
この年もとにかく色んなことがありました!!
爆発した人、爆発したチームも多ければ、
一歩を踏み出した人やチームも多く、
定着しだしたイベントも増え、
名古屋NEW SKOOL第二世代”がど真ん中世代となり、
新たなシーンが確立してきたと言える年だったと思います。

長くなりすぎてすみません(笑)
次回、1998年もかなり色んなことがあります!!


まとめ

名古屋HOUSEシーンが深みを増す中、
HIPHOPのスターダンサー、アイドルダンサーが次々と爆発し、
シーンの熱気とともに、名古屋HIPHOP黄金期と言える時代を築いた1年だった。

↓NEXT↓


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