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名古屋STREETDANCE HISTORY12 〜1999年:90年代凝縮からの過渡期〜


どうもです。UCです。

(これは名古屋STREETDANCE HISTORY企画の目次12です。その他の目次はこちらから確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )  
(2020.07.09 追記アリ)

さて、
今回は1999年です。
世紀末ですね。
コンピューター2000年問題とか懐かしいですよね。
ノストラダムスの大予言とか(笑)

この時期は、
いよいよNEW SKOOLシーンの“過渡期”に入り始める時期と捉えています。
続く、拡がる中で少しずつ新しいスタイルが増えていくような感じと言いましょうか。

少しずつ記していきたいと思います。
(※文中はすべて敬称略です。ご了承ください。)

はじめに〜スタイルの変遷まとめ〜


時代とともに流行するダンススタイルというものは変遷していきますが、
80年代後半〜90年代前半の黎明期は、
常にアメリカから新しく入ってくる情報をいかに早く消化して自分のものにするかというところがベースにありましたが、
90年も終盤に差し掛かると、
1度流行ったスタイルが定着する、
または流行とは別に自身の得意なスタイルを追求することを表現として目指すなど、
様々な踊りのスタイルが存在するようになったのではないかと思います。

90年代は音楽としても”HIPHOP黄金期“と呼ばれ、
今なお“HIPHOPクラシック”として定番化している曲が多数あります。

そんな時代だからこそ、
クラブでかかる新譜こそが、ダンサーが踊りまくれる絶好の曲であり、
最前線のダンサーたちのダンススタイルも概ね同じものを共有していました。

ALIVE TV』(92年編参照)の影響からか、
乱暴にまとめると、80年代後半から隆盛を極めた西海岸の”ギャングスタラップ“よりも、
90年代前半〜中盤の”イーストコースト・ルネッサンス“と呼ばれる東海岸のHIPHOPの方が、
HIPHOPダンサーには人気でした。

名古屋でも、『Hi-Problem Child』, 『C-HAIS』, 『PLAYS』といったいわゆる“90's”と呼ばれる王道スタイルが主流であり、
多くの後輩ダンサーも影響を受けていました。

その一方で、『Beeper』のようにHIPHOPに様々な要素を組み込みながら、“エンターテイメント色“溢れるSHOWをするチームもありました。

また、
KOU”が得意とした重たい音ドリでウネリと捻れを感じさせる独特なHIPHOPは、
KOUファミ系”と称され、
よそほひ』『カルビークッパ』『イカスタシー』など、
流行にとらわれない独自スタイルで活躍するダンサーも一定数を占めるようになります。

そこから派生して、(私の勝手なイメージです。)
ウェーブやスライド系を多用する『DOPE FRESH』みたいなチームも生まれます。


フィメイルHIPHOPも、
女性版『AFRO BLUE』を目指したという『ユテライツ』や、
フィメイルで唯一”ゴリゴリ系”だった『EASE』、
そこに憧れた”KOUファミ系”の『イカスタシー』のように、
女性ながら男勝りに踊るチームもいましたし、
逆にセクシー系のガールズHIPHOPを得意とした”維月見”(『TEASE.』)なども、
山猫』『MINX』など生徒チームが次々と活躍しだすなど、常に影響を与えており、
また『TLC』などに憧れてた『ROSE HIPS』なども同じガールズHIPHOPの代表としてシーンに影響を与えていきます。


このように、
ダンススタイルが徐々に区別化され、
徐々に”HIPHOP DANCE”と一括りにしづらくなってきたのもこの頃かと推察します。
まさに”過渡期“の始まりですね。

翌年から”BIG BEAT”が流行ったり、
その後には”ハーレムシェイク”がブレイクするなど、
さらにスタイルが多様化していくキッカケが生まれつつあったのがこの頃なのかもしれません。

また出来る限り振り返っていきたいと思います。


B-LANDの活躍

98年編で紹介したように、
名古屋ダンスシーンの期待を背負って上京・メジャーデビューした『B-LAND』は、
98年に2枚のシングルを出したあと、
この年も3rd singleをリリースします!

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▲ONE & ONLY LOVE(1999.07リリース)
※宝酒造「CANチューハイ・プレミアム」CMソング
※TX系「出動!ミニスカポリス」エンディング・テーマ
※TX系「男前」エンディング・テーマ
とこちらもタイアップ多数!!

さらに、
当時、国内最大級のストリートダンスコンテスト『JAPAN DANCE DELIGHT(以下、JDD) vol.6』
の地区予選6会場すべてでGUEST出演します。
まさに日本のダンスシーンのスターですね。

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▲ネットで拾ったB-LANDのサイン写真
※この頃には諸事情により、”TOMOKAZU“は脱退しています。


そんな、
B-LAND』が地区予選でGUEST行脚をした『JDD vol.6』に中部予選を通過してFINALISTになったのが、
Beeper
PUMPKIN HEADS
の2チームでした!

PUMPKIN HEADS』は、
後述する『激辛リベンジ』のメンバーであった、
TOMO”(『炭水化物』、のちに『ARRIVA』『dig』など),
YORIKI”(『炭水化物』、現『BLACK ELEPHANT』),
TAKURO”(現、『EXPG TAIWAN』校長)
が3人で結成した岐阜を代表するHIPHOPチームであり、
この年から様々なコンテストで活躍していきます!


そして、
PUMPKIN HEADS』と同様に、この年大爆発したのが、
95年の結成以降(前身の『ジャイアント馬場股関節骨折君』)、名古屋を代表するチームで存在感を示してきた『Beeper』でした!


Beeperの隆盛

昨年の『DANCE EXPRESS』優勝に続いての『JDD vol.6』FINALIST!

そして、
98年編で紹介した『RAVE2001』にも、
再度出演します!
(『イカスタシー』も出演しています!)

昨年は『Warp』とのユニットである、
Beeper×Honey』, 『フーリガン』, 『極悪ネイション』などの名義で活動していましたが、
この年はすべて『Beeper』で活躍します!

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▲Beeper
(左から、KATSU, You-Gee, (上)KAZUNORI, (下)NAOKI(現、SEAMO), K-TA, K-Gee)

しかし、
メンバーの”NAOKI“(現、”SEAMO”)は、
この頃よりラッパー”シーモネーター“としても人気がでるようになり、
徐々にラッパーの活動がメインとなっていきます。

また、
You-Gee“もこの頃より『UGS』を創設し、
ダンススタジオ事業“, ”イベント事業“, ”アーティスト・タレント事業“を軸に、
その活動を多岐に渡らせるようになります。

以前より、
今の『studio Uの前身となる地元半田市でのレッスンを始めており、
高校生時代の”Coko-1“(現、”CONiY“/『DANCE STUDIO HIGH STARS』代表)や、
この年大学生だった“TAE”(現、“タエコバドゥ” /『ARROGANT』, 『名古屋ソウルフード隊』)などがレッスンを受けていました。
また、アーティストとしても“シーモネーター”や”DJ TAKI-SHIT”などと音楽活動もするようになります。

さらに、昨年メンバー入りした”K-TA“も、
ひょんなことから”KATSU“に歌を聴いてもらった時に、
その上手さに感動した”KATSU“が、
「そのままにしておくのはもったいない!」
と自身のイベントなどで歌わせるようになります。
そこで”K-TA“はシンガー”Ryu-B“としても活動を始めるようになります。
このキッカケがのちに大きなことに繋がっていくのですが、
またそれは時を追って記します。

また、
KATSU“もこれまで紹介してきたように、
From Behind』, 『Check It Out』(のちに『TOSS IT UP』)など名古屋ダンスシーンに欠かせないイベントオーガナイズをする一方で、
平日にも『CLUB OZON』で『空前絶後』なるpartyも開いていました。

そして、
アパレルショップ『BEAT AROUND』を開くのもこの頃でした!

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▲BEAT AROUND内で写るSHIZUKA×CREAM


このように、
Beeper』は非常にマルチな才能に溢れた集団だったと言えますね。

ちなみに、
Beeper』の“You-Gee“, “K-TA“, “K-Gee“で、
携帯電話会社“ツーカー“のCMにも2作出演します!
この辺のエピソードからも、そのマルチ集団たる所以が窺えますね。


DANCE DYNAMITE’99


そんな『Beeper』も本選進出を決めた名古屋の風物詩イベント『DANCE DYNAMITE』はこの年も東海ダンスシーン情勢を現す結果となりました。

予選を突破し、
本選に通過したのが、
1.『Beeper
※96年からこれで4年連続の通過!

2.『PLAYS
98年編でも紹介した名古屋代表HIPHOPチーム!
B-LAND』脱退後、名古屋に戻ってきた”TOMOKAZU”も加入し、
この時のメンバーは、”YOSUKE“, ”OJIRO“, ”MASAKI“, ”KUMAZAKI“, ”TAKAOMAN”, “TOMOKAZU”にパワーアップしています。

3.『ASTONISH
97年編より紹介していた“CHITOSE”率いる『ユテライツ』を母体に、”MAKOO”, “OKAN”が加入した新たなフィメイルHIPHOPチーム!
のちに詳しく紹介します。

4.『entrance
95年編以降、三重を代表するチームとして毎年のように紹介しているチーム。
この年より”COZY“(現、『DELI DELI』代表)も加入し、
RYO“, ”MO-TA“, ”TAKAOMI“, ”COZY
の4人体制になります!

5.『激辛リベンジ
※ダイナマイト本選進出常連チームの『うずず』が98年の予選敗退を受けて、新たに組んだチーム!
うずず』の”YOHEI“(『来い!』主催者), ”IMAYAN“が、
PUMPKIN HEADS』の”TOMO“, ”YORIKI“ などを加えて5人で結成!
時系列としては、『激辛リベンジ』→『PUMPKIN HEADS』となります。

6.『DOPE FRESH
98年編で紹介した実力派チーム!結成直後より全国的なコンテストでも活躍していたHIPHOPチーム。この時は”HAYATO“, ”ICHIRO“, ”RYUJI“, ”TAKUYA“, “TARO“の5人体制。

7.『d-d
※伏見にあったスタジオ『LSD』代表の“ITSU IKAWA“(『HOOFERS』)が創設した『LSD DANCE COMPANY』所属のチーム。
メンバーには、“NOBUYO”(現、『REAL STUDiO』代表), “MEG”(元『supremes dance school』代表), “MARI“などがいました。
 この年の予選”優勝“チームでした!

8.『S.P.CREW
※”SHOJIN“がプロデュースしたKIDSチーム。
メンバーは、“TAKUMI”(現、『enjoynt dance school』代表), “YASUTO”, “TATSUYA”(すべてのちに『密林』), “KAZUTO”(のちに『KoRock』), “AKIE”。
そして、本選では”AYUMI“(現、”Ahyumi“/のちに『Ah!!!』, 『GLITTER』など)も参加します!
また、
SHOJIN“本人の活躍については次編以降詳しく記します。

の8チームでした!(順不同)

メンバー内にベテラン勢もいますが、
新しく結成されたチームが多く、
世代交代を感じる顔触れですね!!

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▲DANCE DYNAMITE ’99 フライヤー


そして、
本選のGUESTはお馴染みの『N.A STYLE』!
P.D UNITS』を主体とする大御所ユニットです。
この年はその中に『Mel-O』も参加しています。
これは、この年に結成されたSING&RAP&DANCEのパフォーマンスチームであり、
メンバーは、プロローグ編から紹介し続けている ”KING-BOO”(現、『Marble Studio』代表)と、
同じく歌って踊れる“SAKI”の2人組でした。

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▲Mel-O(左から、KING-BOO, SAKI)


というわけで、
そんな99年の『DANCE DYNAMITE』本選を優勝したのが、
激辛リベンジ
でした!!

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▲激辛リベンジ


ダイナマイト予選敗退をキッカケに『うずず』からパワーアップさせて組まれたチームが、
その名前通りに、これ以上ないリベンジを果たします◎


FOOT ILLUSIONの快進撃

さて、
98年編でも、紹介した『FOOT ILLUSION』(”SENBA“, “YASU“)ですが、
この年もさらに活躍します。

まず、
ADHIP』主催のジャンル別コンテスト『BEST OF BEST』で、
ハウス部門の“優勝”を果たします!
さらに、
個人の“最優秀ダンサー”を“YASU“が獲得します!

※ちなみに、
HIPHOP部門:『DEF
LOCK部門:『STYLE OF OLD SKOOL
BREAK部門:『AIR GROOVE CREW
と他部門は大阪の有名チームが受賞!
ここに名古屋のチームが食い込んだことがnewsでした。


そして、
勢いそのままに西日本最大のSHOW CASEイベント『STYLE JUNCTION』にも出演します!


そんな『FOOT ILLUSION』の勢いはとどまらず、
98年編で紹介した、当時の名古屋クラブシーンを引っ張る『CLUB OZON』が仕掛ける大規模ダンスコンテスト、
DANCE EXPRESS ’99』においても、
見事“優勝”を果たします!

この年の『FOOT ILLUSION』の作品は、
名曲『Batucada / Spiller』を使用したもので、
その格好良さは今も語り草となっています。

▲Batucada / Spiller

当時の名古屋シーンを象徴するイベント


そして、
プレイヤーとしてのみならず、共にDJとしても活動していた『FOOT ILLUSION』の2人は、
イベントオーガナイザーとしてもシーンの発展に貢献していきます。

特に“SENBA”は、
95年編から紹介しているように、
Atlantic Bar』(のちに『CIPHER the underground』)での『HOUSE TOPS』を毎週木曜にレジデントしており、
さらに『CLUB OZON』でも、『MELTING POT』というダンスイベントを主催します。

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▲MELTING POT フライヤー

豪華なイベントです!
スペシャルゲストは東京から日本のHOUSEダンスレジェンド『ROOTS』が『SPIRITUAL BROTHERS』とユニット出演します!

さらにスペシャルLIVEは、
沖縄出身、名古屋で下積みを積み、この年デビューを果たした『池間アカネ』でした!

▲池間アカネ(99年リリース曲)

さらに、
静岡のレジェンドチーム『ALL DEGREE』も来名します!
95年編で紹介した“NOB”(のちに『RAG POUND』)が97年に結成したチームであり、
この時は、“NOB”, “MASUO”, “SU-SAN”, “Yusei”の4人で登場しております!

そして、
静岡のフィメイルダンサーを牽引し続ける “KYOKO”率いる『BUDDY-BUDDY』(”KYOKO“, “NORU“, “AYAKO“)も、
前述の『ASTONISH』とコラボSHOW出演します!

ASTONISH』は、
95年編で紹介した『NAGOYA SOUL SISTERS
97 年編で紹介した『ユテライツ
のメンバーであり、長年名古屋シーンを牽引してきた ”CHITOSE“が、
MISUZU“の『ユテライツ』脱退を機に、
当時、
若手ながら勢いのあった”MAKOO“,
センスの光る”OKAN“の2人をメンバーに迎えるにあたって、
ASTONISH』と名前を改めたチームです。
以降、名古屋を代表する新たなフィメイルチームとして活躍します!

さらに、
もはや説明不要の『PLAYS』は、
FOOT ILLUSION』と”KATSU”(『Beeper』)とのスペシャルユニットで出演します!

そして、
97年編で紹介した名古屋の新たなカリスマ『ROSE HIPS』に、
この当時結成された、名古屋ガールズシーンのレジェンドチーム『TEASE.』も出演しています。

TEASE.』は、
CHITOSE“と同じ『NAGOYA SOUL SISTERS』時代から名古屋を牽引し続ける”維月見“が、
97年編で紹介した『NASTY』のチームメイトである”染香“(現、『SAM×2』)と共に立ち上げたチームであり、
NY帰りに、生徒でバイブス高かった”RIYAKO“, ”AYA“(ともに『山猫』), ”MAKI”をフックアップして結成します!


CHITOSE“も、”維月見“も、
YUKOP”から引き継いだ『NAGOYA SOUL SISTERS』の血脈を、
ダンススタイルが変われど、
名古屋の”姉御“ダンサーとして、
しっかり後輩へと引き継いでいきます。

そして、
大阪からも『TROJANA BROOKIANA』が登場します!
これは当時大阪によく遊びに行っていた”染香”が”QUE“, ”つっこ”と意気投合し、
結成された大型チームであり、
現在では『RAJAH BROOKS』と表記名を変えて活動しています。


とにかくすごいイベントですね。
「HOUSEを盛り上げる、HOUSEを広める、HOUSEを定着させる。」
という“SENBA”の強い愛情の中にも、
名古屋ダンスシーン全体を牽引すべきという責任感ある行動は、
ジャンルの壁を超え、多くのダンサーを繋いでいきます。
もちろん、そんな“仙波イズム“は、
その後の世代の東海ハウスダンサーたちにも強く影響を与え、少しずつ浸透していきます。

ちなみに、
OPENING DANCERとして名を連ねるメンツも、
当時は若手ながらも、今見れば次世代を担う豪華メンツばかりですね!

例えば、
BUZZER BEASTER』は、
KATSU”ストリートレッスンで繋がった“K-TA”(『Beeper』), “TANOKEN”(のちに『PUNCH』, 『DOW BOYZ』), “HIROYUKI”(のちに『Beeper』)で結成されたチームでした!


そんな99年の名古屋シーンを現す記事がこちら。

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▲名古屋ダンサー特集
(これまで紹介してきたダンサーばかりですね!!)


HOUSE界伝説のパーティー


そして、
SENBA“と同じくらいHOUSEを愛し、強い想いで行動していたのが、
SENBA“の同級生であり、初代『MOVE UP』の相方である”MICHI“でした。(初登場は90年編!)

この年の夏、
96年編で紹介して以来、毎年名古屋を盛り上げていた『MAIN FLOOR』に変わって開催されたのが、
名古屋港の倉庫で行われた、
[ha:n]party』でした!

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▲[ha:n] party フライヤー

こちらはHIPHOPとHOUSEのpartyであり、
どちらも豪華&お馴染みのメンツが揃っております。

ちなみに、
先ほどの『MELTING POT』でも、
この『[ha:n]party』でも、DJとしてクレジットされている ”DJ KUMA“は、
PLAYS』の”KUMAZAKI”であり、
ダンサーならではの選曲と繋ぎで、
「名古屋でダンサーを最も踊らせるDJ」
として、シーンで重宝されていました!

そして、
このパーティーの特筆すべきことは、
HOUSEダンサーが全国から集結して、
スペシャルshowを行ったことでした!!

97年編でも紹介した『Feet Stylers』が、
さらにパワーアップして集結します!

NYから、
SHAN’S”(『DANCE FUSION』)、当時留学中の “HIRO”(現、『ALMA』,『DANCE FUSION』),
東京からは、
TETSU”, 当時上京していた ”PINO”(『PINOCCHIO』, 『ALMA』), ”KENJI”(『PINOCCHIO』)
大阪から、
JIG』の”TAKE“(現、『W.C.O』), ”TSUKASA“, “KOUKI”,
nappy headz』の”HISA“, ”TOSHIYA
徳島から、
GLASS HOPPER』の”TATSUO“, ”ITSUJI“、
愛知の三河、岡崎からも
NORICO”(『DANCE FUSION』/現、『BT STUDIO』代表), ”KAZUE”, ”TONE”(『ESSENCE OF LiFE』/現、『Living for nexx』店長), ”ウッチー”(『ESSENCE OF LiFE』)、
そして、名古屋からは、
それぞれが、『MOVE UP』,『UNIVERSE』, 『NIKKA SOUL』などで活躍する、
MICHI“, “SENBA“, “JUNYA“, “YASU“(現、“DELAYAS“), “ANN“,
そして、”YASU“(『FOOT ILLUSION』)

総勢20名以上!
もはや世界クラスのダンサーばかり!!
伝説のSHOWが行われました。

※ちなみに、名古屋ハウサーに”YASU“が2人になったので、
身長から、『MIAMI FACE』/『MOVE UP』の”YASU“は「デカヤス」、
FOOT ILLUSION』の”YASU“が「ちびヤス
と呼ばれるようになります笑


ここまでのトップダンサーたちを集結させる繋がりと想いの強さ、
ストリートですね!
数少ない情報を頼りに足を運び、直接繋がり、その上で個を押し通し、切磋琢磨してきた関係を思うと、胸が熱くなりますね。


この『[ha:n]party』は翌年もpart.2が行われ、
さらに熱いメンツが集まることとなります。
また詳しくは次編記します。


その他の大イベント


さて、時期は少し前後しますが、
この頃、京都のレジェンドチーム『BUTTERFLY』の”Turbo“が、全国的なダンスコンテストを仕掛けました。
その名も、『 B-TRIBE STREET DANCE CONTEST』。
優勝賞金50万円、賞金総額100万円という、
当時としてはかなりデカい規模でした。

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▲B-TRIBE フライヤー

全国各地で予選が行われ、中部地区からは、
中部地区予選通過チームに加え、『来い!vol.4』の入賞チームが全国大会に進出しました。

それが、
・『e'f
98年編で紹介した『来い!vol.4』優勝チーム

・『PLAYS
98年編で紹介した名古屋代表HIPHOPチーム

・『UNBELIEVABLE
98年編で紹介した『DANCE DYNAMITE '98』優勝チーム

・『DOPE FRESH
98年編で紹介した実力派HIPHOPチーム

・『entrance
95年編より紹介し続けている三重を代表するHIPHOPチーム。当時は“MO-TA”, ”RYO“, ”TAKAOMI“の3人体制。

・『インターネットボーイズ
※”AKIRA“(現、”AKIRA SOUL“)と ”KIN“(『ROOT’S ON』, 『The Message』, 『名古屋城前ポッパーズ』)の師弟チーム!

でした!
やはり、その年に勢いのあるチームは、
どの大会振り返ってもある程度同じ顔ぶれになりますね。

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▲全国大会進出チーム
(有名チームがわんさかいますね!)


そして、
全国大会では『DOPE FRESH』が“特別賞”を受賞します!
結成直後から全国的なコンテストで入賞し、
一躍注目を浴びることとなります。

※ちなみに、
優勝:SHUFFLE(東京)
準優勝:STYLE OF OLD SKOOL(大阪)
だったそうです。


そして、
95年編で紹介した名古屋ディスコシーンからの重鎮“幸島”(現、『石垣牛MARU』オーナー)が展開していたアパレルショップ『STRONG BURG』が、
この年、10周年を迎えたということで、
周年イベント『Natural High』を開催します。

この『STRONG BURG』は、本山のZAZビル内にあった80〜90年代の名古屋ストリートシーンに欠かせないショップであり、
NY現地から『クロスカラーズ』, 『555SOUL』, 『RRL』, 『POLO SPORTS』, 『DKNY』などなど当時の希少アイテムを買い付けているショップでした。
ダンスしたいけど、情報がない人がひとまずここに行けば何かわかるかも?
と店に遊びに行っては店員さんから情報を聞き出すなんてエピソードもたくさんあるほどの重要スポットでした。

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▲Natural Highフライヤー

そんな『STRONG BURG』の周年イベントですが、
GUEST陣がエグすぎですね!

LIVEは、
バブルガムブラザーズ』の“KORN“!
※“KORN”と“幸島”の親交は80年代から続き、“幸島”はスポンサーとして“KORN”のテレビ出演時の衣装提供などしていたそうです。
そして、
LUV and SOUL』(のちに『はじめてのチュウR&B mix』を出すコーラスグループです!)!
※しかも、プロデュースは92年編で紹介した『PARTY』の”宮地大輔“!
さらに、
前述の『B-LAND』!

DANCEは、
東京から『STRUT』(”KAZU“, ”O-SHIMA“, ”SHINICHI“)、
九州から『BE BOP CREW』、
大阪から『BRONX』、
とマジでレジェンドばかりです!

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▲上:左から、YOSHIBOW, KORN, 幸島, BOSS、下:左から、KEIKO, TOMOKO(2TIGHT)(写真は95年頃?)
※BE BOP CREWとの親交も深かったようです。

迎え撃つ名古屋は、
P.D UNITS』(しかも、この時は初代メンバーの”倉田サム“, ”ROCK“も出演!)、
STRAYBERRY HAMBARG』(”KING-BOO“がプロデュースしたダンサー、シンガー、ラッパーのスペシャルユニット!)、
そして、
MINX』(97年編で紹介した名古屋のニューアイドルチーム!)


このパーティーは、ディスコ、クラブ、バーなどの夜遊びを具現化したミュージカル調のイベントだったらしく、
その演出は『BE BOP CREW』リーダーの “YOSHIBOW”にも影響を与えたほどだそうです。
実際に、このパーティーには、
DIAMOND HALL』の定員を超える1500人近くの観客が詰めかけたそうです。

相当な熱気ぶりがうかがえますね!

名古屋OLD SKOOLシーン’99


さて、今回もOLD SKOOLシーンについて少しだけ触れておきます。
(しっかり触れるととんでもなく色々あるので、あくまで少しだけなことをご了承ください。)

98年編でも記したように、
この年は『名古屋城前ポッパーズ』が結成されます。
初代メンバーは、”BUNPEI“, ”ANI“, ”KIN“(すべて『ROOT’S ON』), ”FUJI“, ”HIRO-C“の5人でした。
のちに、”TSUKA“が加入します。

(さらに数年後には、
ANI“の弟子である”キャラメル“(のちに『SOUL FIRE』, 『名古屋ソウルフード隊』)も加入します。)

この頃も、OLDシーンを牽引していたのは ”AKIRA“であり、
KIN“らとともに『東海オールドスクール向上委員会』なる活動もしていました。

イベントやWSで、
SKEETER RABBIT”(『ELECTRIC BOOGALOOS』,
POPIN’ PETE”(『ELECTRIC BOOGALOOS』)
SEIJI“(現、”坂見誠二“/『BE BOP CREW』)
RICKY”(『BE BOP CREW』),
TETSU-G“(『O.G.S』)
LAST POPPERS』(”OZ1K“, ”SEEN“, ”GAJIRO“)
など世界トップクラスのダンサーを次々と招聘し、
みんなで知識と技術を高めようと動いていたそうです。

そして、
BBOYシーンでこの年に新たに結成されたチームが、
密林』でした!
メンバーは、
SHOJIN“, ”AGURI“, ”ASKA“,(のちに『ARRIVA』『TEAM』),
そして当時小学生だった”TAKUMI“, ”TATSUYA“, ”YASUTO“の6人でした。

SHOJIN“は、
91〜94年に『愛知県武術太極拳大会』で”4連覇“を果たし、
93〜94年には、『全日本武術太極拳選手権大会』で”3位“になるほどの武術の実力者であり、
武術からダンスに転向した異色の経歴の持ち主でした!

この『密林』、そして”SHOJIN“も翌年以降、
さらなる活躍を見せていきます。

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▲SHOJIN×S.P CREW(前述のDANCE DYNAMITE決勝進出チーム)
(上:TATSUYA, 中:左から、AYUMI, SHOJIN, TAKUMI, 下:KAZUTO, AKIE, YASUTO)

名古屋の大学ダンスサークル黎明期

そして、
ストリート、スタジオ以外にもダンスに触れ始められる場所ができ始めます。
それが大学の”ダンスサークル”です。

この年、
You-Gee“(『Beeper』)の協力を経て、
MISA“, ““らによって南山大学に『N-crew』が創設されます。

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▲南山大学文化祭ステージ(※写真は98年時)

また、名古屋商業大学でも、
GOTCH”を中心に、“ダンス同好会“として『X-Step』の活動が始まります。
(翌年にサークルへの申請許可を得ます。)

このように、
名古屋の大学で“ダンスサークル”が次々と生まれるようになります。


ちなみに、
愛知で最も古くからあるダンスサークルは、
愛知大学の『BPM』であり、
94年に”KATSU”(『Beeper』)が創設しました。
KATSU“卒業後は活動が停滞していたものの、
97年編で紹介した“Tar-Q”(現、『C.R.E.A.M』代表)がこの年復活させます。
豊橋では、名古屋よりひと足先にサークル活動を始動していたようです。


ちなみに、
現在も名古屋にある各サークルの創設をまとめてみると、
・愛知大学『BPM』(1994年、創設者“KATSU”)
・南山大学『N-crew』(1999年、創設者“MISA”, “”)
・名古屋商業大学『X-Step』(1999年、創設者“GOTCH”)
・名古屋外国語大学『ダンス部』(現、『ROUTE20』(1998年?、創設者“GAKU”?)
・中京大学『R.A.F』(1999 年?、創設者“ヨシ”)
・愛知学院大学『SELFISH』(2001年、創設者“ST”)
・名古屋大学『N.U.SOUL』(現、『N.U.STYLE』)(2001年、創設者“Daddy K”)
・中部大学『PIPELINE』(現、『FASTLINE』)(2004年、創設者“masahiro”(『daft』))
・名古屋市立大学『HIPHOP Cafe』※情報募集中
・愛知淑徳大学『J.D.S』※情報募集中
・名古屋学院大学『Classics』※情報募集中

こんな感じでしょうか。
ちょうどこの時期に次々と出来ていますね。
(情報いただければ逐一追記します。)

ちなみに、
この頃岐阜大学に入学して、ダンスを始めたのが、
ATSUSHI”(のちに『Heart be Groovin’』/現、『ALL GOOD FUNK』)
KATOKEN”(のちに『レオン』)
であり、当初はHIPHOPを踊っていたそうです。
翌年には、
MORIATSU”(現、“MORIARCH”/『BIOBLOOD』, 『名古屋ソウルフード隊』)
RYO”(のちに『レオン』)
などもHIPHOPを踊り始め、
そんなメンツが、ゆくゆく名古屋を騒がすLOCKチームとなるというドラマもあります。
また記していきます。

このあたりも“過渡期”だなぁと感じさせる流れですね。


十代ダンサーたちの芽吹き

さらに、
十代のフレッシュ世代からも新チームが誕生します。

まずは、
JIN”(のちに『DOW BOYZ』/現、『LINUS DANCE SCHOOL』代表),“ユウキ”, “マサヨシ”, “マサカズ
そして、
98年編で紹介した『HEADZ』の“YO-SKE”(のちに『DOW BOYZ』, 『Bush Babeez!!』/現、『X-LAB』代表)、
の5人で組んだチームが、『PRANK』でした!

間もなく、“YO-SKE”は一時ダンス自体から離れますが、
残りの“JIN”, “ユウキ”, “マサヨシ”で、
PRANK』は人気チームとして活動していきます!

そのひとつ下の世代、
この年高校を卒業する世代(正確には2000年3月卒業)が、
RADIX』で“卒業パーティー”を開催します!

主催者として名を連ねたのが、
97年編でも紹介したHIPHOPチーム『青空』、
そして、
91年編より紹介しており、95年編の『ネイヴクイーン』、98年編の『植物物語』など、この時点で相当なキャリアを誇る“MIKI“(『YO!YO!』)と、
Nishi-P”(のちに『遊闇』)、
そして“b-girl AYUMI”(『前方後円墳』, のちに『女聖』)
でした!

出演チームは、
・『青空
※“INO”(現、『EXPG STUDIO NAGOYA』校長), “ユージ”, “RYOICHI”, “KON”。
同世代筆頭チームでした!

・『YO!YO!DX
※“MIKI”(『YO!YO!』), “RISA”(元『OOCHIE COOCHIE』, 『カルビークッパ』), “Nishi-P”(のちに『遊闇』)の異色ユニットです!

・”AYUMI“+bboy2人
※『前方後円墳』のちに『女聖』と名古屋シーンを代表するbgirlとして活躍していた”AYUMI“が同世代のbboyと出演!

・“ジジイ
※当時、“MOTOTAKA”(現、『FROG DANCE STUDIO』代表)と、『FROG』というチームを組んでいたが、なぜかソロ出演!

・『ELVES
※“KAYOKO”, “RIKA”, “HIROKO”, “EMI”。
のちに名古屋クラブシーンで活躍するフィメイルチームです。

・『Queen Be
※“RUMI”(のちに『MINX』), “TSUKASA”, “KANAE”, “Mei”。
犬山江南方面のガールズHIPHOPチームです。

・『ズッパラケリーナ
※“維月見”生徒のフィメイルチームでした。

・『ニューバ
※“YU“, ”RYO“(ともにのちに『BRIDGET』), ”タカシ“の3人。
のちに名古屋を騒がす『BRIDGET』については、次編以降詳しく記します!

・『チーム名不明』
※“チュッチュ“, “ケンジ“, ”トシ“の一宮3人組チームも出演していました。

などなどであり、
DJやラッパーも同世代で揃えて、
RADIX』で華々しく開催されました!

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▲青空

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▲卒業パーティー 集合写真


高校からかなり熱い同世代が集まっていますね!!
すごい世代です。

ちなみに、
他の同世代はというと、
AKO”(のちに『enokeen』『龍五娘』など)は、
当時は、『ROMP』(ロンプ)という“ガールズHIPHOP“のユニットで活動していたそうです。
のちに名古屋のLOCK/SOULを引っ張る実力派ダンサーがまだどちらにもハマる前のこぼれ話でした。

また、
SENBA”の弟子であった “SHIGEKI”(現、『inspirado』)と“TAKESHI”の2人も、
この年に『FUTURE TRIPS』を結成します!
(チーム名も“SENBA”が名付け親だったということです。)
翌年には”KO“, ”RYUJI“も加入し、
HOUSEシーンの次世代チームとして活躍します。

さらに下の世代となると、
YU-KI”(のちに『NITRO』, 『三河クルー』)と “TATSUYA”(現、“ARROW”/『DROP GIFT』代表)の野原姉弟が『HU-GE』というチームで活動していました。

また高校時代から『STUDIO ZOO』に通っていた ”AYA“(のちに『chanjya baby』, 『HONEY WAXX』)は、
当時、94年編で紹介した『RA』だった ”RENA“と、
HISS』というチームで活動していました。

そのほかにも様々なメンバーが踊り始めたり、シーンに出始めたりしてきますが、
このあたりからは本当にキリがないのでこの辺にします。

NEW SKOOL黎明と言われた1990年からわずか10年で、
とんでもなく拡がり、とんでもなく多くのことがあった時代だなと改めて感じます。

言葉では伝わらない熱気や雰囲気、
自分も画面越しにしか感じられていないですが、
そうしたものを生で体感してきた世代の人たちのバイタリティの高さは、
20年以上経った現在も端々に感じられます。

次回はいよいよ2000年!
この年も大きく変わっていく出来事がいくつかあります!

まとめ

名古屋ストリートダンスシーン黎明期を盛り上げた多くのベテランダンサーがさらなる活躍を見せる中、
独自の動きを見せる若手ダンサーも続出し、シーン拡大と変革の兆しが見えた1年だった。

↓NEXT↓



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