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名古屋&daft STREETDANCE HISTORY2 〜2004年:踏み出した一歩〜

どうもです。UCです。

(これは名古屋&daft STREETDANCE HISTORY企画の目次2です。その他の目次はこちらからご確認ください。→daft&NAGOYA DANCE HISTORY

また、名古屋STREETDANCE HISTORYの続編でもあります。1990年〜2002年のヒストリー記事はこちらからご確認ください。→名古屋STREETDANCE HISTORY )
(2020.08.19 追記あり)


ということで、
今回振り返るのは2004年です。

この年は『mixi』や『GREE』がサービス開始した年であり、
いわゆる“SNS”が世に広まりだした年ですね。

とはいえ、
当初の『mixi』は会員から招待を受けないと入れないという“会員制”だったので、
広まるのに時間がかかった印象です。
(僕も2005年から始めていました。)

ちなみに、
同時期にサービス開始しているものの、
My Space』日本語版が2006年〜で、
Facebook』日本語版が2008年〜の開始となっているので、
日本ではしばらくはみんな『mixi』を使っていた印象でしたね。


それは置いておいて、
また例によって、この年に何があったかを自分目線中心に、
振り返ってみたいと思います。
(※文中はすべて継承略です。ご了承ください。)


当時の名古屋クラブシーン


まずは、
03年編で大きなイベントについては振り返りましたが、
この頃(2003〜2004年あたり)にレギュラーイベントで名古屋ダンスシーンで定着していたイベントをいくつか紹介します。

まずは、
01年編から紹介している『TOSS IT UP』は、ダンスシーンにおいて絶対的に外せないイベントとして、
この頃も変わらず存在していました。

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▲TOSS IT UP フライヤー

また、
02年編で、2003年でのオーガナイザー交代を記した『WILD WILD SMILE』も、
NEW/OLD SCHOOL関わらず、この頃は毎週木曜のダンサー憩いの場として盛り上がっていました。

そして、
02年編で紹介した『NIGHT RYDERS』も同じく丸美観光ビルでチーム名と同じ名前でイベントを開催していましたし、
02年編で紹介した『MONDECKS』がプロデュースしていた『CROWN CUP』, 『LADIES OPEN』なども人気を博していました。

他にも、
記憶のあるイベントとしては、
01年編で紹介した『ZABOON』(天白にあったCLUB)の元店長“TSUBOTA”が仕掛けていた『GRANDSLAM』,
そして、毎月開催というハイペースで何年も開催されていた『MY MEN』, 『BROTHER
といったクセのあるオーガナイザーが開いていたイベントや、
ambitious』,『CIRCUS』といった僕自身もお世話になったイベントもあり、
木曜会』が主催するDOPEなイベントもありました。

HOUSEシーンでは『NAGOYA HOUSE NIGHT』というイベントが人気を博しており、
OLD SCHOOLシーンでは、『名古屋城前ポッパーズ』主催の『HEAT UP』もこの時期からありましたね!
(※今も東京で”KIN”(『mo-Zone』, 『名古屋城前ポッパーズ』など)によって『HEAT UP』名義のイベントは続けられています。)

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▲HEAT UP vol.2 フライヤー


とはいえ、当時、
僕は名古屋シーンとの繋がりがほとんどなかったことに加え、
チーム練時間を確保する為に、バイトを最小限に抑えていたことで貧乏学生生活を送っていたこともあり、
上記のようなイベントにあまり足を運べず、
そのため繋がりも増えず、あまりシーンに馴染めずにいました。


そして、
当時、ダンスSHOWのあるイベントで絶大な人気を誇っていたのが、
・『Q’ty HONEYS』(”AIKO”, “RUMI“, “AYA”, “TOMOKO”)
・『DOW BOYZ』(“JIN“, ”TANOKEN“, ”T28“, ”YO-SKE“)
・『BRIDGET』(”YU“, ”RYO“, ”MASA“, ”JACKY“, ”TAKE“(現、『10GAME』))
の3チームでした!
(完全なる僕目線ですが、僕と同世代は納得してくれるはずです。)

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▲Q'ty HONEYS(左から、TOMOKO, AYA, RUMI, AIKO)

MINX』だった”AIKO“, ”RUMI“,
Chanjya baby』だった”AYA“, ”TOMOKO“,
のアイドルチームが手を組んだドリームチームでした!

のちに、
RUMI“が抜けて、残った3人で、
HONEY WAXX
となり、東海を代表するフィメイルチームとして全国的な人気を誇るようになりました!

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▲HONEY WAXX × DOW BOYZ ×  ICE BERGなど

本当にどのイベントのフライヤーを見ても、上記の3チームのどこかがGUEST SHOWをしていたイメージがあります!

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▲BRIDGET(上:左から、TAKE, JACKY, 下: 左から、RYO, YU, MASA)

また、
豊橋でも97年にオープンした『CLUB BIRTH』がダンスシーンの中心として人気を博しており、
人気イベント『DANCE TRIBE』をオーガナイズしていた”Tar-Q“(現、『C.R.E.A.M』代表)が、
この年より『CLUB BIRTH』のマネージャーとなり、
熱いダンスイベントが随時行われていた印象があります。


そんなクラブシーン情勢の中、
あまりシーンに馴染めていなかった大学生チームの僕らにも、
この年はある意味ターニングポイントとなる出来事がいくつか起こりました。

順に記していきます。


1983成人パーティー

この年の2月。(要は2003年度)
成人式を迎えた僕らは、
同世代で成人party『BORDERLINE』を開催しました。
CLUB SOURCE』が名前を変えた『club W』でやらせていただきました。

全員がタメではないけれど、
誰かタメがいれば出演オッケーみたいな感じで、
20チーム強ほど出演しました。

ここで、
僕ら『daft』も、
同世代の色んなダンサーと繋がるようになりました。

03年編でも紹介した『海無組』と『mono96』(”AKARI“, ”ITSUKA“)をはじめ、
他にも、
ナDシコ』(”CANA“, ”MIHO“)
アパッチ』(”わだかな“, ”ガッキー”)
Reckless』(”MACHA“, ”ASAKI“(現、”ASAKI IMAI“), ”MIKU“)
Q’z』(”SUGI-J“, ”TATSUNORI“(現、焼肉『』代表), ”WHATS”)
』(“SHIN-Z”, “C-BA”, “YUU”(『Geya』))
MOI MOI』(“YURI”他)
聖砕』(“NANA”, “ユキ”)
GOHST』(“ATSUKI”(現、『PUPPETION』, “TAKAHIRO”)
IZMO』(“AI”, “???”)
などなどがチームやユニットで出ていましたね!

僕らは『daft +ILL+雲』として、
UC“, ”masahiro“, ”TAKUYA“, ”SHIN-Z“, ”C-BA“, ”TARO“, ”TOMOYUKI“(※1個下)でユニット出演しました!


ちなみに、
このイベントがキッカケ?で仲良くなって、
のちに結成されたのが、
HOUSEチーム『GESSO』(“YURI”, “NANA”)
でした!

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▲GESSO(左から、NANA, YURI)

横の繋がりって良いものだなと思えましたね。
そして、こんなにたくさん同世代のダンサーがいるんだってビックリした覚えがあります。

ちなみに、
既にクラブシーンでも売れており、先輩たちにも可愛がられていた『Q’z』(“SUGI-J”, ”TATSUNORI”, ”WHATS”)なんかは、
勝手にライバル視していましたね笑
挨拶の仕方が気に食わないとか言って、勝手にバチバチしていました笑


ちなみに、
この成人party『BORDERLINE』のVIDEOも、
91年編から紹介している”MIKIMAMA“が撮影してくれており、
今思うと、こんな何でもなかったガキどものイベントにまで映像を撮りに来てくれていたなんて、
本当に愛を感じますね◎

当時にはそこまで分からなかったありがたさです。


初めてのダンスコンテスト出場


そんな成人パーティーを終え、
僕ら『daft』は、
コンテスト出場を決意しました。

この頃、
海無組』に紹介してもらい、音源作りを依頼していたDJが、
DJ SHOT”でした。
今も”Campanella“のLIVE DJをするなど活躍しているセンスの高いDJです。

そして、
当時僕らがハマっていたアーティストが、
Styles Of Beyond』でした。
ここからカナダのレーベル『Battle Axe Record』にめちゃくちゃハマり、
アングラHIPHOP音源を求めては、
BANANA RECORD』で、CDの試聴を繰り返す日々を送ることになります。
(当時は、一度に5枚まで試聴可能だったので、5枚をレジに持っていっては聴いて、それを返しては新しく5枚持っていくっていうことを何回も繰り返し店員に嫌がられていました笑)


そんなこんなで、
DJ SHOT“が僕らのアイデアをカタチにしてくれたお気に入りの音源と、
Karl Kani』のセットアップを携えて、
ドキドキしながら挑んだ初めてのダンスコンテストは、
テレビ愛知』主催のマンモスフリーマーケット内で行われていた、
DANCE MAX』というコンテストでした。

そして、
この初めてのコンテストで、
daft』は”優勝”しました!

ちなみにこの時は、
<準優勝>
DAT』(”AKIHITO“(現、『ENcounterENgravers』, ”TAKUYA“)
<3位>
KoRock』(”泰智“, ”J“, ”いっとん“, ”あっつー“, ”KAZUTO“)
と、
どちらも当時のスーパー中学生チームでした。

思わぬ結果に調子に乗った我々は、
そのまま、91年編から紹介し続けている東海最古にして最大級のダンスコンテスト
DANCE DYNAMITE』予選にも初挑戦します!

DANCE DYNAMITE 2004』の予選は、
昨年までは『CLUB QUATRO』での開催が定番でしたが、
この年から『OASIS21』で開催されるようになりました。

そして、
daft』は奇跡的にこの『DANCE DYNAMITE』の予選も通過しました!
これにはかなり驚きましたね〜
クラブシーンで”GUEST“を張るようなチームがたくさん出ている中で、
名もなき大学生チーム『daft』が通過したのは自分たちでもびっくりでした。


この年の通過チームは、
・『MATSURI
99年編より紹介している“SHOJIN”の新チームです。
メンバーは、
94年編で紹介した“MEGGY“(元『OOCHIE COOCHIE』),
00年編から紹介している“B-YASU”(現、『CONCRETE SOUL ROCKERS』),
元ジャニーズJr.の経歴を持つ“JUNYA”(のちに『Heart Be Groovin’』),
99年編で紹介した『密林』の “TAKUMI”(現、『enjoynt dance school』代表), “TATSUYA”,
00年編で紹介した『MITSURIN』に加入した “FUMIYA”(現、“HAL”/『Aerstix side』), “HIROKI”の8人でした。

・『シュライン
98年編で紹介した“ユタカ“, “TAKAYUKI”(『CONTROL』), ”GENKI”らを擁するbboyチームです。

・『G-BOYA
03年編で紹介した2年連続通過のHIPHOPチーム!メンバーは、”SHOTA“, ”DAICHI“, ”MORO“, ”HIROKI“の4人組。僕らの一個下のチームで、当時、知り合いではなかったけど勝手に、仲間意識とライバル意識を持っていたチームです。

・『レオン
03年編で紹介した ”MORIATSU“(現、”MORIARCH“/『BIO BLOOD』), ”KATOKEN“に加え、『無限ロッカーズ』時代からの仲間“RYO”も加入しています!

・『KoRock
※前述のスーパー中学生チームです!当時は”泰智“, ”J“, ”いっとん“, ”あっつー“, ”KAZUTO“の5人でした。

・『daft
※“UC“, ”masahiro“, ”TAKUYA“の3人組。

・『Summer Peach
00年編から紹介している”なっちゃん“, “ももちゃん“のスーパーKIDSチーム。当時中学生であり、2002年から3年連続通過!

・『ハーベスト
※情報募集中

・『N.O
00年編で紹介した“KENTA“(現、『PINOCCHIO』)と”KEI“からなる実力派HOUSEチーム!

の9チームでした!(順不同)


決勝の舞台は変わらず、
DIAMOND HALL』でした!
ちなみに、
この年で『DIAMOND HALL』での決勝も最後になります。

この頃が時代の変わり目だったんだなということが分かりますね。


そして、
本選での優勝は、
MATSURI』でした!
SHOJIN”のエンターテイメント性は常にコンテストでも強さを発揮していましたね。

ちなみに、
daft』は、“SpyMaster賞”を受賞しました!
この結果にもビックリしましたね◎

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▲DANCE DYNAMITE 2004 Spy Master賞の盾


コンテスト出始めて3回立て続けで結果を出しちゃったもんだから、
もういきなりイケイケムードでしたね!笑

そして、
年末には初めて県外のコンテストにチャレンジしました。
それが大阪『ADHIP』主催の、
TRUE SKOOL』終了後に始まった『DANCE CHALLENGE』というコンテストでした。

もちろん、箸にも棒にもかかりませんでした。

初めて出たときのJUDGEは、
FUNKY NAVIGATION』(“LEE”, “HIDEYO”, “TOMO”)+前回優勝者『HOMEBOY』の “takanoly”でした。
優勝は、『branDrive』(“TAKUYA”(現、“たくや仙人), ”YU“(現、『EL SQUAD』), ”DAIGO“)
でした。

レベルの違いを感じましたね〜
まぁ名古屋でも本当の意味で通用していたわけではないので、
当たり前といえば当たり前なんですが。笑

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▲2004年のdaft(左から、masahiro, TAKUYA, UC)

それでも、
周りの先輩なんかもほんの少しずつは注目してくれるようになった気がした2004年でした。


サークルダンサーとしての活動


さて、
そんな感じでコンテストにも挑戦するようになる中で、
大学生だったので“ダンスサークル”活動も頑張っていました。

私“UC”はその頃、『N-crew』に最も顔を出していました。
そして、
それまでの学園祭は、“チームDANCE show“がメインだったのを、
2003年の学園祭から、『STRUT SUSPENSIONS』(“おのっち”, “リュウジ”, “あっちゃん”)たちが、
サークルメンバーをジャンル毎に分けて、
それぞれのジャンルのSHOWにテーマをつけて、
トータルで“入学式〜卒業式”までを表現するという、
サークルダンス』を始めていました。
名古屋にとっては新しい動きでした!

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▲N-crew(2003年学園祭後)

そこで、
この年はそれをさらに発展させて、
「セリフとストーリーも加えよう。」
と言って、showとshowの合間にセリフを入れて(生声で喋りました笑)、
UC”脚本による舞台ちっくな“ストーリーダンス”を始めていました。


前述したように、それまでの学園祭は、
チームshowがメインだったため、最後が『GUEST DANCE』として、
シーン最前線のダンスチームが踊ることが多かったのですが、
当時、尖っていた自分は、
「何で外部のダンサーがトリを務めるのか?
 『N-crew』のイベントなんだから、『N-crew』が最後に決まっているでしょ。」
と言って、
GUESTチームを2部に踊らせて、
3部は『N-crew』ストーリーダンスだけ。
という演出で行うこととしました。

筋としてはわからなくもないですが、
心構えとしてはシーンの先輩へのリスペクトに欠如した人間でしたm(_ _)m
今考えると恥ずかしいですね。


そして、
相方”masahiro“は、
「自分の大学にもダンスサークルが欲しい!」
と言って仲間を募り、
ダンスサークル『PIPELINE』を立ち上げました!
そして、
club JB’s』でイベントを主催しました!

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▲PIPELINE vol.1 フライヤー


彼がイベントを打つとか、
今の彼を知る人からしたら想像できないかもしれないですね(笑)


ちなみに、
時は流れ、現在では、
サークル名を『FLATLINE』、
イベント名を『ORGANIZE』と改め、
後輩たちが引き継いでいっています。


豊田からの襲来

そして、
この年にもうひとつ出逢いがありました。

それが同い年のHIPHOPチーム『Bo’z』との出逢いでした。
メンバーは、”DEJI“(のちに『Skullz』, 『澄香樹』), ”YUTA“(のちに”0014“/『Skullz』), ”YAMA-chan“, ”YU-JI“の4人でした。

彼らは、
中京大学豊田キャンパスの同級生であり、
00年編より紹介している”ヒロト“(現、”Hilototti“/『Hilotes』代表)の元でダンスを習っていました。

当時、”ヒロト“は、
三河を代表するHIPHOPチーム『pimps』, 『BROTHER』に合流していましたが、
その後に「自分の力で切り拓きたい」と言って脱退し、
同じく『Ugly』を脱退した ”HIROAKI“(現、”WOWZ“)と『ICE BERG』というチームで活動を始めていました。

僕らは、”HIROAKI“に『Bo’z』を紹介してもらい、初めて彼らと話をしました。

Bo’z』のみんなは、初対面の時こそ、
「『daft』って僕たちとタメなのに、『DANCE DYNAMITE』の予選通過してるなんてすごいね!俺らも頑張るよ〜!」
なんて、好青年な感じでしたが、
同じイベントやコンテストに出るようになった瞬間、
急にバチバチしだして、ロクに挨拶もしない間柄になってしまいました。

後から聞くと、
師匠の”ヒロト“から、
「名古屋なんてロクなやついないから、豊田から名古屋に遊びにいっても挨拶とかしなくていいよ。」
と教えられていたそうです(笑)

かくいう”ヒロト“は、しっかりと先輩方や仲間に挨拶をしており、
どんどん名古屋シーンに溶け込んでいましたが、
師匠の教えを守っていた(?)『Bo'z』は、
daft』と同じはみ出し者になりかけていたのでした。

ということで、
タメで、男で、HIPHOP好きで、沢山の共通点があるにも関わらず、
Q’z』(のちに『BEVIZ』), 『Bo’z』, 『daft』の距離は縮まることなく、時間は流れていっていました。


SUPERBAD 2004の変革


そんなこんなで、
今回もこの年の名古屋ダンスシーンについても簡単に振り返っておきます。

まず、
01年編から紹介している『SUPER BAD』は、
この年大きく舵を切りました!
これまでの3回を”STAGE“のスペシャルイベントだったとしたら、
4回目となるこの年は”FLOOR“のスペシャルイベントとしました。

それが、
名古屋HIPHOPの聖地“と呼ばれる『丸美観光ビル』を丸々貸し切って行うクラブをハシゴするパーティーでした!

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▲SUPER BAD フライヤー(message面)

”自分で自分の遊び方を決めてくれ!“
HIPHOPですね。


ということで、
B1Fから4Fまでに4会場!
DJあり、LIVEあり、DANCEあり、LIVE PAINTあり、
さらに、OPEN MICあり、EXHIBITION B-BOY BATTLEあり!

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▲SUPERBAD  BAD 2004 MAP

この年も、
盛りだくさんの内容でした◎

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▲MC&SINGER 出演者
※今や日本を代表するラッパー“AK-69”も出演していますし、
L.L.BROTHERS』も出演しています!
HB』も凱旋LIVEですね!

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▲DJ&MUSICIAN 出演者
※名古屋を代表するメンツばかりです!!

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▲DANCER 出演者
※NYC, 東京からも世界レベルのGUESTが出演!
名古屋からもストリートシーンに外せないメンバーが勢揃いしています!

ちなみに、
EXHIBITION B-BOY BATTLEは、
CONTROL』 × 『NEXT SCHOOL
でした!

00年編で紹介した『CONTROL』は、
2000年結成後、『DANCE DYNAMITE』決勝進出、『来い!』優勝など結果を残しており、
いわゆる”SHOW系bboy“の代表格でした。

対する、
01年編で紹介した『NEXT SCHOOL』は、
バチバチの”Battle系bboy“でした。
特に”B-YASU“, ”GANE“は当時、全国レベルのcrew『I LOVE FOOTWORK』にも所属しており、そのフットワークのキレで一世を風靡していました。
それ以外にも、”GO-TO“, ”ANDO“, ”KAN”(現、『KAN DANCE SCHOOL』代表)とキャラが立っているメンバーに加え、
DJとしても評価の高い”MATSU“(現、『SOUL CITY TOKAI』主宰)もいるなど、
若手代表として当時勢いありまくりでした。

このエキシビジョンバトルはかなり面白くなりそうですね!


ちなみに、
当時のbboyシーンとしては、『club W』で毎週火曜(?)にオープンサイファーのイベントがあったり、
練習場所の縄張りによる“エリアvsエリア”のバトルイベントが開かれたりしていたそうです。

そして、
2003年に名古屋で初めて開かれた『B-1最強タッグ名古屋予選』で優勝したのは、
ハロハロ』(”RYO-Z“, ”MURATOMI“)
でした。
bboyシーンも新世代がどんどん出てきた頃かと思います。


ROCK ITの変遷

さて、
03年編で紹介した『ROCK IT』ですが、
この年も開催場所は『club W』(元『SOURCE』)で行っており、
それまでの”WHO WANNA BATTLE”や“挑戦箱”システムで行っていました。

そのうち、
開催場所を『CLUB JB’s』に移し、
バトルも8枠限定の“ソロバトル”トーナメント方式へと変換していきました。

ちなみに、
トーナメント方式になって初回の優勝者は、
キャラメル”(『名古屋城前ポッパーズ』)
でした!

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▲キャラメル(2006年頃)

そののち、
ソロバトルチャンピオンのみを集めたグラチャン大会も実施されました。

ソロバトルグランドチャンピオン大会で優勝に輝いたのは、
KENTA”(『N.O』/現、『PINOCCHIO』)
でした!

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▲KENTA(写真右)


また詳しく記していきます。


新たな名古屋コンテスト


そして、
この年にプロローグ編から紹介している ”KATSU“(当時『DEGIL FIRE』, 『moNsta』)が新しいダンスコンテストを仕掛け始めました!
それが、
HEAT STREET』でした!

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▲HEAT STREET 2004 フライヤー

JUDGEに東京から”OHJI“(『JUNGLE』), ”RYUZY“(『BABY NAIL』, 『Let's Boogie』), ”MIHO BROWN“など豪華メンツが揃っていました。

そこで、
優勝したのが、
レオン
(”MORIATSU“(現、”MORIARCH“),”KATOKEN“, ”RYO“)
でした!

そして、特別賞には、
前述の『BRIDGET』が選ばれております。

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▲レオン(左から、MORIATSU, RYO, KATOKEN)


ちなみにこの3人は、
01年編で紹介した『無限ロッカーズ』メンバーですが、
同じ『無限ロッカーズ』で『レオン』に加入しなかった ”ATSUSHI“は、
この年に、東京から拠点を移してきた”なお“, ”DAISHI“と、
Heart Be Groovin’
というチームを結成しており、
クラブシーンで活躍していました。

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▲Hear Be Groovin’

のちに、
このチームには、
DANCE DYNAMITE 2004』優勝チームの
MATSURI』の”JUNYA“も加入します。

少し話は逸れましたが、
この『HEAT STREET』は翌年、翌々年も開催され、
名古屋の実力派チームが多くチャレンジするコンテストとして盛り上がりました。

また、年を追って記します。

名古屋から全国、海外へ。


そして、
03年編で、国内最大級のダンスコンテスト『JAPAN DANCE DELIGHT(JDD)』の決勝に、
2002年〜2004年の間、
東海チームの進出がなかったと記しました。

しかし、
JDD』ではないものの、年末に大阪でタイトルを獲得するチームが現れました!

それが、
01年編で紹介した『遊闇』の”RENKA“,(現、『Rei NAGOYA DANCE&BALLET』ディレクター), ”LISA“,
95年編で紹介した『SLAM KIDS JAM』の ”ASAKO
の3人からなる、
U go girl!』でした!

彼女らは大阪の『FEMALE TROUBLE』で、
見事、優勝しました!!

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▲FEMALE TROUBLE レポート


このチームは、
JAZZをベースにしたキレのある動きと、豊かな表現力、さらにファッショナブルさも兼ね備えていて、
とてもかっこいいチームでした。

我々『daft』とも何度も同じコンテストやイベントで凌ぎを削った、
同時期に活動出来たことが本当にありがたかったチームでした。

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▲U go girl!(左から、LISA, RENKA, ASAKO)

ちなみに、
RENKA“は、のちに上京し、
安室奈美恵“, ”加藤ミリヤ”, ”谷村奈南”, ”倖田來未”, 『SMAP』, 『KinKi Kids』など錚々たるメンツのMVに出演したり、振付提供したりと大活躍します!
現在は名古屋の女性専用ダンススタジオ『Rei NAGOYA』のディレクターとして活躍しています。

LISA“も同様に上京し、
倖田來未”, “m-flo“のMV出演、『SMAP×SMAP』出演など第一線で活躍し、
現在も、東京でインストラクターとしても活躍しています。

ASAKO“にいたっては、海を渡り、
アメリカで、”NE-YO“, ”SNOOP DOGG“のツアーダンサーを務めるなど、ワールドワイドに活躍するスーパーダンサーとなります!

FEMALE TROUBLE』の名古屋チームの優勝は、
vol.1での『NASTY』(”維月見“, ”染香“, ”MOTSU“)以来の快挙でした!
(※97年編参照)

そして、
ASAKO“のような、海外での華々しい活躍も、あのプロローグ編から数々の逸話を残し続けてきた
YUKOP“(『P.D UNITS』)以来ですね!


それにしても、
遊闇』はすごいチームでしたね。
03年編で既に上京していたことを記した
NISHI-P“も、
SMAP×SMAP』出演、『perfume』, 『モーニング娘』の振付アシスタントなど、
華々しい活躍を遂げていますし、
一方で”MAYUMI“は、
HIPHOPの大御所であった ”CHITOSE“, “MAKOO”(ともに『ASTONISH』), ”AYUMI JAPAN“(『ARROGANT』)、
LOCK/SOULの”AKO“(『enokeen』)との
龍五娘』(ロンウーニャン)
というユニットチームに抜擢され、ジャンルを超えてストリートシーンで活躍します。

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▲龍五娘(左から、MAYUMI, CHITOSE, AYUMI JAPAN, MAKOO)


そして、もうひとつ、
この年に名古屋から海外へアプローチをしていたストリートダンサーがいました。

それが、
00年編から紹介している『FORCE DANCE STUDIO』でした。

この年に、“ストリートダンス国際交流”として、
上海のイベントにゲスト出演しました。

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▲上海イベントフライヤー

”ストリートダンス=街舞“なんですね。
面白いですね!
この上海遠征は色んなダンサーのターニングポイントとなったそうです。


さらに、
タイのイベントでもその年1番の観客動員を誇り、
現地の新聞にも載ったそうです!!

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▲タイの新聞にて

DJ CAUJOON“, 『AK-47』(”KITOH”, ”AYAKA”)の見出しがありますね!
さらに、あの『B.E.P』より上に映っていますね!


そして、
91年編から紹介している”DJ MITSU“が率いる、
(00年編, 01年編でも紹介した)『nobody knows+』が、
アルバム『Do You Know?』で”オリコン1位“を獲得し、
紅白歌合戦』に出演したのもこの年です!!

▲ココロオドル / nobodyknows+


これはやはり名古屋アングラシーンとして最高にカッコイイ偉業ですね◎
ダンサーストーリーとは別に、所縁の深いエピソードとして、記させていただきます。


ということで、
新しいスターチームも現れ始め、
新しい展開も色々ありつつ、
気がつけば2000年代も中盤〜後半に差し掛かっていきます。

本当にこの頃から触れるべきことが多すぎるんですが、
何度も念を押しますが、
ここからは僕の視野で記させていただきますので、
ご了承の上、
次回もよろしくお願いします!

次回、
daft』の就職活動です!笑


まとめ

2004年は我々daftが初めてダンスコンテストに挑戦した年であり、いかに他のチームと差別化を図れるのかを具体的に考え出した年であり、
僕らが考えている以上に個性的なチームが生まれ始めてきた年だった。


NEXT
↓↓↓



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