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【ポンポコ製菓顛末記】                   #43 価格とは消費者が得る便益の対価である

 TVやマスコミは安いニッポンを賛美する。値上商品をまるで悪玉のように祭り上げる。しかし適正でない価格、安売りは便益が低いということ。そして結局自らの首を絞めていることに皆さんは気付いているのだろうか?
 
 


製造原価100%


 
 ポンポコ製菓にこんな商品があった。非常に手間がかかり、ユニークな商品をある時マーケターが企画した。
 
 通常菓子はビスケット等焼き物を作るベーカリー技術と、チョコレート・キャンディーを作るコンフェクショナリー技術に大別される。両者は全く異なるため欧米では通常別々の企業で製造される。日本のように何でもやりますというのは珍しい。何故なら投資も手間もかかるからだ。

 ポンポコ製菓でも両方の商品を製造・販売していたが、さすがに商品は別々であった。ところがこれを一つの商品で完結しようという企画をした。つまりコンフェクショナリーで作ったチョコレートをベーカリーで焼き上げようというものだ。確かに美味しいし発想はユニークである。同様の商品は国内外にあるが大量生産・大量販売は珍しい。何故なら技術はあっても手間がかかりすぎて割があわないからだ。案の定、製造原価で100%を超える大赤字であった。赤字というのは会計上詳しく話すと判断は難しいのだが、製造段階で赤字というのは、所謂売れば売るほど損する正真正銘の赤字だ。コストと品質、利益が見合っていない欠陥商品である。
 
 しかしこういう商品でもまかりとおってしまうのがポンポコ製菓の社風である。美味しいモノを売るのがモットーだからである。管理部門がそこを指摘する、例えば品質を見直すとか、価格を上げるとか、コストダウンを図るとかを提案すると各部門から猛反発が来る。研究所は品質は落とせないという、営業部門は値上なんかとんでもない・売れなくなるという、生産部門は原価を下げるのなら品質は落ちますよと脅す。

 トップも現場の抵抗を渋々容認してきた。ウチの菓子は美味しいからな、と諦めてきた。

 業界の集まりで競合社に質問された。「あの手間がかかる商品でよく利益を出してますネ」と。私は「利益なんか出ていませんヨ。売れば売るほど赤字です」と答えると先方は「はぁ~?」と目を丸くしていた。
 
 
 

安いニッポン


 
 
 安売りはそもそも売り手と買い手双方の価値観が合致していないから商売としては成り立っていない。
 
商売として成り立つということは
①   その価値はコスト、値段に見合っているか 利益がえられるのか
②   その価値はそもそも本当に顧客が求めているものなのか
ということだ。
 
今回はまずコストについて考えてほしい。
 
 そもそも「VALUE for  COST」、全ての価値にはコストがかかる。地球上のあらゆるモノにはコストがかかる。タダのものはない。強いてタダのものをあげれば空気と日光くらいか。それ以外は有形、無形の何らかのコストがかかっている。
 
 だからちまたの安売り商品は何故できるかを消費者は疑うべきだ 日本のレストランでは水、お茶はタダだが、ドイツでは断るそうだ。曰く、タダな筈がないというのだ。確かに井戸水や川からそのまま持ってきたモノでない限り、コストがかかっている。コストに見合った値段をつけている筈だと彼らは考える。だから水、お茶はいらないから、その分値段を下げてくれというのが彼らの言い分だそうだ。理に叶っている。
 
 安売りとは価値、それにかかるコストに見合わない値段ということだ。
 
 そういう意味でサービス残業は最悪である。

 TVのバラエティで出血サービスや値上をしませんという商店、中小企業の紹介をよく目にするが、彼らは身を削っているだけ。老夫婦が自らの意思で朝から晩まで働いてサービスをしてくれるのは頭が下がる思いだが、それと同じように他の企業や労働者に期待したり強要されたらたまったものではない。
 
 しかし現在のブラック企業、サービス残業はそんな状態なのだ。

 ITの進行により便利になった半面、時間の観念が曖昧になり労働時間のメリハリが無くなって労働環境としては改悪されてしまった。昭和の時代、企業は時間外労働の割増賃金をキチンと支払っていた。ポンポコ製菓も6時以降、8時以降と段階的に10%、25%と割増し、10時以降や休日出勤は50%増であった。だから深夜勤務が多い工場の生産現場労働者は40年前でも年収1千万円クラスの給料をもらっている強者もいた。
 
 ポンポコ製菓は幸いにもサービス残業を会社も強要しないし、従業員も組合に守られていた。値段は消費者というより小売の圧力が強かったので長い間値上げが出来なかった。結果、利益が得られず低収益のまま経営は放置してきた。それはそれで企業としては犯罪だが従業員は安泰であった。だから従業員アンケートではいつも「良くはないけど他よりはましかな」という、『ぬるま湯の茹で蛙』状態が続いた。
 
 翻って現代の身を削っての労働の提供は異常であり、本当の商売ではない。
 
 DAISO創業者が言う。商売というのは商品に対してお客様が持つ価値観と値段が合致して初めて生まれる。お客さまの価値観を上回る儲けをしようとした時点で、逆にもうからなくなる。売れなくなるからだ。
逆も然り。お客さまの価値観を下回る利益、社員の人件費を犠牲にして提供しては成り立つはずがない。安いからといって顧客は喜ぶかもしれないが、身を削った社員も家に帰れば結局、顧客、生活者だ。安い、安いと喜んでばかりではいけない。給料が上がらずにブーメランのように巡り巡ってその代償を支払っているという認識が必要だ。
 
 かように売上とか利益は売り手と買い手の価値観の合致度合いのバロメーターとなる。
天下の資材を使い、天下の人材を使って事業を営み、赤字を出すというのは、罪悪を犯しているようなものだと、パナソニック創始者の松下幸之助は言った。
 
 ちなみに利益はどの程度が妥当なのであろう。グローバル基準では本業の利益である営業利益は利益率20%が合格点と言われる。税金を払うとほぼ半分になるので最終税引後利益では10%となる。読者は高いと思われるだろうが、税金を払った後これくらい残さないと以後の投資等が出来ず持続的成長が叶わないというのが彼らの感覚である。日本のほとんどの企業は営業利益で10%そこそこであろうが、グローバル基準ではそれでは不採算事業で整理見直しの対象だ。かくいうポンポコ製菓も営業利益5%程度で全くの低収益企業であった。これが日本の企業の生産性が悪いと言われる所以だ。
 
 だから、もし価値、コストに見合わない値段、安売りをしているならば、そもそもの価値を見直すべきだろう。
 
それこそがマーケティングの本領だ。
 
次回はその話をしよう。



 

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