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【ポンポコ製菓顛末記】                   #56 文化、美意識オンチ

 「今だけ」「カネ・モノだけ」「自分だけ」の経済価値一辺倒の世相、「他人に迷惑をかけない」「文句を言わない」「〇〇ねばならない」というもともとの日本人風土から抜け出し、生きずらさの解決に文化、美意識オンチの解消が役立つという。
 その意味するところは何か?
 
 


「何がしたいか」ではなく「何がしたくないか」


 
 先日元文化庁長官の記事が新聞に掲載された。
 
 今のZ世代は社会・大人たちに「何がしたいか」ではなく「何がしたくないか」を理解してほしいと訴えているという。それこそ「したくない」ことをやらされるリスクを避けたいというのだ。

 確かにやりたくないことをやらされることは苦痛である。出来れば避けたい。そうすればストレスが無くなる。それは十分理解できる。何故ならリタイアした私自身が現在そういった生活だからだ。その端的な想いが昨今はやりの「FIRE」(「Financial Independence, Retire Early」:経済的自立をして、仕事の早期リタイアを実現する)であろう。
 
 しかし私はもう70歳を超え、残り余生はわずかである。ℤ世代とは半世紀以上の年齢差がある。20歳前後の若者が゛ご隠居さん゛では人生むなしすぎないか。
 私自身、半世紀を振り返ると嫌なことは確かに多かったが、それを帳消しする楽しいことももちろんあった。
 人生谷あり、山ありであった。生きづらいだけではなかった。若者にも是非そういう生き様を生きてほしい。
 
 元文化庁長官は述べている。

 心理学者フロイトの分析によると自我の元になる「無意識」は快楽を求める欲動によって動いているという。しかしその欲動は3つの制約があるので決して満足はできない。それは肉体の限界(死)、自然の破壊力、それと他人との関係である。最初の2つはいかんともしがたいのであきらめがつくが(そうでもない人もいるが)、3番目は人類が生存のために作り上げた共同体を円滑にするためのルールだ。この制約の必要性は解るが、人によって理不尽なこともかなりあって前2つのようにスンナリとあきらめがつかない、心理学者のアドラーがすべてのストレスは人間関係と言っている所以である。
 
 しかしフロイトは「個人の欲動は学術面の真理の発見や芸術的創作で得られる快感により昇華させることが出来る」というのだ。
 この『学術面の真理の発見や芸術的創作』はいってみればワクワク感、好奇心の高揚につながると思う。それは個人の自由を封じ、一律を重んじてきた現代(日本)の教育方針、学歴志向のアンチテーゼだ。

 偏差値は高いが美意識は低いエリートの抱えやすい闇。特徴は「サイエンス」一辺倒(極端なシステム志向)と「アート」の欠如(美意識欠如)といわれている。オウム真理教信者に陥ったエリートが典型だ。「偏差値は高いけど美意識が低い」人に共通するのは、人間にとって何が『真・善・美』なのかを理解していないことだ。これまで#29,45で紹介して生きた欧米先進企業の「アート」と「サイエンス」のバランス重視にも相通づる。一つの判断、論理的決断に偏るのは危険なのである。
 
 
私はここに「生きづらさ」から抜け出す糸口があると思う。
 
 

「左脳系感情」と「右脳系感情」


 
 
 その方法は2つ。
 
 一つは本人の自己努力。安易に仕事を決めたり、「寄らば大樹」のように諦めたりせず、やりたいこと、ワクワクすることを粘り強く探求すること。モノ、カネ一辺倒にならず、広く「美意識」を忘れない。少なくともその気持ちを捨てないこと。「ねばならない」の同調圧力に屈しない心を持ち続ける。
 それが方向してと間違っていないことは#54でご紹介した「ミッドライフ・クライシス」をみれば解る。あれは無意識のうちに押さえつけてきたワクワク感を人生半ばの中年が気づき、目覚めることだからだ。
 考えてみれば尤もだ。何十年も得意先に忖度してきた営業職やコンピュータでもできる事務計算や誰が使うか解らない資料作りの事務職が、いったい自分がやりたかった仕事かと疑うことだからだ。

 これは1万人以上の中高年のMRI脳診断してきた脳内科医の指摘にも相通づる。シニアの老化の課題は「好奇心の欠如」であり、その主因が長い間「自分の感情を閉じ込めてきた」ことにあるという。好奇心、喜怒哀楽など自己感情表現に関係するのが「左脳系感情」、周りの空気を読む能力が「右脳系感情」ということだが、中高年の多くが「右脳系」が発達している一方で「左脳系」が育っていない、或いは衰えているというのだ。
 それは「空気は読めるけれど、自分(の感情)がない」という状態で、まさしく中高年でそこに疑問を持ち始める「ミッドライフ・クライシス」と同じだ。そこで自己実現に向けて手を打たずに定年を迎えてしまい悩んでしまうのが今のシニアの課題なのだ。
 
 若いうちからご隠居さん状態の若者には、是非、好奇心を持ち続け、自己感情表現を忘れないでほしい。自己表現と自己チュウは全く違う。利他の心で己を大切するのが自己表現、利他を顧みず利己にのみ走るのが自己チュウだ。そのバランスは難しいが、そのバランスが解らず全部利己の人間が「全能型」、空気をよんで同調圧力に屈し全部我慢してしまうのが「右脳系感情」の人間だ。どちらも避けたいタイプだ。

 是非、若者は「左脳系感情」を忘れないでほしい。
 
 しかし理不尽な世の中、そんな前向きな気持ちだけで良くなるわけがない。制度や社会環境を変えなければ出来ない。それが2つめだ。この高度成長時代には良かったけど現代にはそぐわない様々な制度を変えるのは大人の役割。若い世代に負わせるのは酷というものだ。
 #53で紹介した“とうふや相模屋”のようにリスクを回避しなくても、『あ、自分それやりますよ』とぱっと言える会社、「やってみます、大丈夫です」と言える組織を用意しなければ、若い世代のリスク回避思考はなかなか拭えないだろう。
 
 「ポンポコ製菓顛末記」は現代の大人、団塊世代(もちろん私も含む)が怠ってきた昭和世代の経営、組織の理不尽さをこのnoteで何度も述べてきた。
 
次回からさらにこの昭和のオカシナ組織について深堀したい。



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