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「おだやか」を取り戻す|無職日記

無職になって3週間ほど経った。

お金はないし、なんだかぐるぐる考えて街を歩いたり、友人と会ったりして、あとはよく寝てよくご飯を食べている。太りそう。

人生3回目の退職で、いままでの2回が身体も心も辛くなってからやめたこと(1度目は適応障害、2度目はブラックな職場で心身ともに疲弊した)に比べると、とても健やかな気持ちの間に退職を決めたため、無職といえど、元気がありあまっている。

元気というのはすごくって、退職してから身体を少しの間休めたあとは、お金もないくせに心が折れない。長い人生の1年や2年くらい、なんとかなるさ、とデフォルトで思っている。(いや、4月くらいには働き出したいけれども)

なぜ自分はもっとがんばれなかったのかとか、なんでこんなに打たれ弱いのかとか、大好きな人たちと離れること以上に何が欲しいの……? とか、自分を責めようとすればいくらでもできる。

しかしながら、3度目ともなれば(しかも元気ならば)、辞めた先の人生をどうにもできることを知っている。大好きな人たちと繋がり続ける決意もある。

思ったよりあっけらかんとしている自分を眺めながら、すごく印象的なのは、とんでもなくおだやかだということ。

別にいままでが激情に流れていたタイプだったというわけではなく、

元気を取り戻し、仕事というわたしの視界の7割くらいを埋めていたこと(ゆえに、多くのストレスの原因だったもの)が取り払われて、視界がだいぶクリアになった。

元気なので、気力を自分のためでなく、クリアになった視界の先で使えるようにもなった。他者の存在に気づけるようになった、というか。

街で出会う困ってそうな人に自然と目と脚が向いているし、目があって寄ってきてくれるイヌ🐕さまと無邪気に触れ合うことができる。こういうのも張り切ってやっているというより、おだやかだからできているような感覚。

いままでだったら、忙しくてみないことにしていたこと……というか、目にも入ってなかったことかもしれないような事象に気づき、身体が自然と向く感じ。そういう自分を偽善と思うときもあるけれど、やっぱ他者にいいことしてる自分は好きなんだよね。仕方がない。

おだやかな自分から眺めると、会社員の自分はかなり殺伐としていた感じがする。ていうか、半径5mの人には優しさを向けられていたけど、それ以上の範囲で気遣い続けるのは無理なところにいたような。電車のなかの自分とか会社に向かう道中の自分、なんか性格悪かったなって思う。詳細は伏せる。

仕事をまたスタートしたときに、このいいなと思える自分を続けられるように、元気でいられる条件を言語化して、転職のいろいろに落とし込んでいきたいな〜と思うなどした。

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