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アートなのかデザインなのか:これからのデザインとデザイン経営

人材育成とデザインの考え方

私自身のことで恐縮だが、三浪までして美術大学に入学し、デザインの勉強をしたにもかかわらず、30代の頃はデザイナーの友人はほとんどいなかった。

40代になってもデザイナーとして仕事をしていたにも関わらず、デザイナーの友人よりも、人事・人材育成を生業としている友人が多かった。
私自身のデザイン哲学を形成している主要な部分は、この友人たちからの影響を非常に多く受けていると思っている。

元々、デザイナーとして自分の作品やアイデアで立身出世を図ろうというような性分ではなく、(というよりも、そこから逃げていたかもしれないが。)それよりも、人の思想や思考に興味を持っていた。

デザイナーの王道の業界から距離をおいたところでデザインワークをしていたので、そこまで自分のデザインに価値を感じることは出来なかったが、奇妙なことに、このデザイナーではない友人たちとの会話から、自分のデザインワークが人の成長に少しは役に立つかもしれないと思い始めた。

価値あるデザインとされた来たものの多くは、デザインをしている人どうしの創作と評価により成立していた。
閉じた世界の中で、デザインされていた。
そこに一般の人が関わることはなく、ブラックボックスの中から生成されて出て来たものを消費者として享受するだけであった。

人の成長過程の中で、デザインと関わることがほとんどない。
企業の業務においてもデザインはまったく触れることはない。
デザインが人材育成するパーツになる可能性を感じたのは、この友人たちのおかげである。

人材育成の本質は、潜在能力を見つけ、その能力を最大限発揮できるような状態を作り出すことと理解している。
もちろん、こればかりではないが、基本は、それぞれが成長するための土壌を作ることだ。

クライアント仕事としてのデザイン業は、これと同じで、クライアントとなる企業の能力を見つけ出し、それを形として表現することにある。
その企業が成長していくための土壌を造形力を使い作っていくことと理解している。

これからのデザイン

クライアントワークとしてのデザイン業の関わり方は一つではなく、デザイナーにより、そのアプローチは様々だ。

すでに、デザインは表層の見え方を整え、きれいに創るだけではないことは周知されている。
では、表層だけではないデザインとは、何をデザインするものだろうか。

そのデザインするものこそ、抽象概念である経営哲学やその企業のアイデンティティや、レピテーションなどである。

それを踏まえた上で、これからますます、デザインワークは二分されていくことになると推測する。

デザインワーク1:
面白い、カッコいい、可愛いなどの感覚的な表現。
こちらは短命ですぐに消費されてしまうものだが、瞬間的な話題を作り、多くの人から注目してもらうのに、欠かせないデザインワークである。

デザインワーク2:
さらに抽象的な概念自体を創るデザインである。
生き方や、生きる意味、これからの社会の在り方などを言語化し、それをビジュアライズさせ、人や企業の進む道筋を作るデザインワークである。

ロゴデザインから始まり、グラフィックデザイン、プロダクトデザイン、UI、UXも含め、すべてのデザインはこのどちらかの思想に従って進むこととなる。

そして、後者のデザイナワーク2は、特に人材育成が関係するデザインのやり方である。
経産省が推奨するデザイン経営や、これからのデザインというテーマの論説を読んでも、必要なのは、デザインワーク2ということとなる。

中小企業とデザイン

私のクライアントの多くは中小企業の方が多く、インハウスのデザイナーを雇う余裕のない企業、もしくは、デザインを必要していなかった企業ばかりである。

BtoCの業態である企業はデザインを重視せざるを得ない。
この業態は主に、デザインワーク1を必要としている企業である。

感覚的に、良し悪しを判断し、直感的に購入する雰囲気を作り出していくには、デザインが必要である。
この感覚は、デザインに関心がない人にも十分わかりやすいと思う。

BtoBの業態の企業は、中小企業に限って言えば、デザインを必要とする企業は極端に少ない。
その企業が属する業界のヒエラルキーの中で、その業界の慣習に従い仕事をすれば稼ぐことができる仕組みなっている以上、新しいものを生み出したり、野心をもって冒険する必要もないからである。

また2018年に経産省が推奨をはじめたデザイン経営は、それを導入することの意味がなかなか浸透していかない。

このデザイン経営を推奨するのはいいのだが、いったいどこに向けて推奨しているのかが疑問だ。

大手の企業については、体感として実感することは出来ないが、中小企業に関して言えば、デザイン経営はほとんど関心が持たれていないのが現実である。

デザイン自体が仕組みではなく、ひとつの「考え方」であれば、それを導入するには、まず学習することから始めなければならない。
その学習を飛ばして、一足飛びに導入はかなりの難題と思っている。

日本の企業が本当にデザインを必要と思ってくれる日が来れることを切に願うことが多くなってきた。

Cover Graphic : “More Lively Counterfaits”
Experimental Imaging at the Birth of Modern Science.

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