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アートなのかデザインなのか:ヒッピーカルチャー(2)ティモシー・リアリー

前回のコラムで書いたLSDは、第二次世界大戦から始まった、米ソのスパイ合戦の際、敵側のスパイに自白を促す薬剤として開発されたことで研究が加速したと言われている。
何ごとも軍事が絡むと進歩するというのが人間の歴史だ。

そのLSDに目をつけて、人間の意識の拡張を唱え、それによる平和社会の実現をカルト的に行おうとしたのがティモシー・リアリーだった。
彼は、LSDを服用することで、自己洞察と行動変化が起こり、それにより、多幸感が得られるようになると実験を繰り返し確証を得ていった。
そして、その確証は、人類がこの多幸感を得ることが出来たら、戦争はなくなり、差別もなくなり、世界は平和に向かっていくというカルト的な考えに変化していった。
その事例を作るために、ハーバード大学でLSDトリップの実証実験を繰り返していき、最終的には大学教授の地位を追われることとなる。
その時が1963年ということなので、私はまだ生まれてはいない。
この1963年にケネディ大統領が暗殺され、The Doorsの名前の由来になった「知覚の扉」を書いたオルダス・ハクスリーが他界し、時代のスイッチも切り替わる。
そして、ここからティモシー・リアリーの覚醒が始まる。
先の東京オリンピックが1964年なので、長閑な日本とは違い、アメリカではすでに次の時代に移り変わるスイッチが押され始めていたようだ。

超優秀なエリート教授だったティモシー・リアリーは大学を追われてからの方がカリスマ性が強くなっていく。
1960年代に作られた様々なカルチャーの背後に、このティモシー・リアリーの存在が出てくるようになるのは、ここからである。

ビートルズもティモシー・リアリーの著書「チベット死者の書:サイケデリックバージョン」に出会うことで、曲作りのインスピレーションを受けている。

ビートルズがどのようにLSDを使って覚醒していったかは、この記事が詳しい。(私自身、そこまでビートルズに詳しい訳ではないので、より良い参照のものがあれば教えてください。)


彼の言葉で有名なものは次の言葉だ。

Turn on, Tune in, Drop out
(意識を拡大させ、意識を表現・開放し、社会から脱落せよ。)
もっと詳しく書くと、
「Turn on」とは、自己の中に入っていき、神経回路の深い部分のスイッチをオンすること。
「Tune in」とは、あなたの周りの世界と調和して相互作用すること。
「Drop out」とは積極的に現在の社会から脱却し、そこから自立し、自分の特異性を発見すること。
(上記の解説はかなり意訳です。原文は以下の通り)

"Turn on" meant go within to activate your neural and genetic equipment. Become sensitive to the many and various levels of consciousness and the specific triggers engaging them. Drugs were one way to accomplish this end. "Tune in" meant interact harmoniously with the world around you—externalize, materialize, express your new internal perspectives. "Drop out" suggested an active, selective, graceful process of detachment from involuntary or unconscious commitments. "Drop Out" meant self-reliance, a discovery of one's singularity, a commitment to mobility, choice, and change. Unhappily, my explanations of this sequence of personal development are often misinterpreted to mean "Get stoned and abandon all constructive activity".

これをLSDの力を借りて実践することで、創造性のある生き方になると説いている。

これは、アート思考には必要な方向性であり、この美辞は、芸術家を小舞させるのに十分な言葉である。
この言葉に影響を受けているアーティストや創業者の影響を2020年に生きている我々は受けていることになる。

Appleのスティーブ・ジョブスの伝記には、「Turn on, Tune in, Drop out」と書かれており、その影響度がわかる。
彼の発言から若い頃にLSDを服用しサイケデリックな体験をしたとの記事がかなりある。
その真偽はわからないが、彼の行動からするとその体験があってもおかしくないと推測はできる。

1969年、ソロ活動をしていたジョン・レノンは、オノ・ヨーコとの平和パフォーマンスの「ベットイン」や、プラスチック・オノ・バンドのデビュー曲の「Give Peace A Chance:平和を我らに」を発表し、社会的に強まって来たベトナム戦争反対の意思の表明をする。
このパフォーマンスにも、ティモリー・リアリーは出演し、インタビューもおこなっている。

まだまだ、ティモシー・リアリーの直接的、間接的影響は広がっていく。
つづきは次回にしておく。


LSDという現在では違法の薬物をつかった表現が、この1960年代にはじまり、瞬く間に世界に広がっていく。
特に音楽においては、この薬物を使ったパフォーマンスがスタンダートとなり、これが現在でもベンチマークになっていると言える。
薬物は違法とされ、それを使用した者は社会的に抹殺されてしまう現在の社会の中でも、薬物によって創り出された音楽は崇め奉られていると思うと、複雑な心境になる。

このドラッグを使った創作物を、ドラッグを使わずに、さらにこれを超える作品の創作をしていくには、相当な鍛錬が必要だとわかる。
そのための自己内省の方法を自分なりに会得することが求められる。
まだまだ、曖昧にしかその方法はわからないが、倫理的に正しく、人間性を道徳的に正しい状態に置き、あらゆる方法で自己内省を鍛錬し続けることが、現在許されている方法でしか、50年前の創作物を超える方法はないように思う。



Cover Graphic : Sperm whale (Physeter macrocephalus) from Natural history of the cetaceans and other marine mammals of the western coast of North America (1872) by Charles Melville Scammon (1825-1911).

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