豊玉高校・「蒼い弾丸」 編 振り返り
ドリームズ・ファンド杯が開幕。
予選ラウンドを経て、準決勝は
ヴィルフェーダ大阪VSレーゼンダンク神奈川
に決定した。
ヴィルフェーダ大阪は古本興業、松田雅志を実質的なオーナーに据えて、UJBリーグに新規参入する大阪を拠点としたチームである。
トライアウトを経て、ヴィルフェーダ大阪に入団した豊玉高校出身の南烈。
今章はトライアウトに合格して間もない頃のストーリーである。
https://note.com/tyimage/n/n6c92810a461c
関東圏のCBAリーグ所属の会社を退社、退団となった南が大阪へ帰郷する支度する中、
幼少期からともに過ごした岸本実理からメールが届く。
内容は、ヴィルフェーダ大阪トライアウト合格のお祝い、大阪へ帰郷する南に対しての食事会の誘いだった。
合格したもののまだ何も成し遂げていない南は断るが、すでに豊玉高校の同僚、岩田三秋、矢嶋京平の参加が決定しており、いわゆる同窓会だと念を押す。そして、
大阪に戻ってくる南烈がいれば、
大阪から出ていく者をいると言う。
当日を迎え、場所はフランス料理店、岸本実理はこの店で働いていることが判明。
店のオーナーは古くからの豊玉フリークで、豊玉からUJBリーガーを排出したとあってサービス提供を準備していた。
豊玉からUJBリーガー排出、
1人は大阪に戻ってくる南烈、
もう1人は大阪から離れる板倉大二郎であった。
その板倉が遅れて合流。
先にサイン色紙を書いていたヴィルフェーダ大阪、南烈。
板倉にもサイン色紙が渡され、レーゼンダンク神奈川と記す。
板倉大二郎は南、岸本の一つ学年が下だったが、PGとしてスタメン出場。大阪得点ランキングでも3位にランクイン。
3年になるとエース、主将として豊玉高校を牽引した。
岸本はレーゼンダンク神奈川の補強が板倉なのか?と問うが、
その板倉はレーゼンダンク神奈川の契約時に、チーム首脳陣から
「蒼い弾丸の共演が楽しみだ」
と言われたという。
「蒼い弾丸」とは古くからの豊玉フリークの1部に北野のラン&ガンスタイルの愛称として言われていた言葉であった。
岩田三秋と矢嶋京平は数年前に豊玉の試合観戦をした際に北野のラン&ガンを彷彿させる躍動感を感じたと話すと、
岸本は冗談まじりに、北野の教え子かもと発言する。
すると南はある記憶が蘇る。
南烈にしか知りえない記憶、湘北戦、後半、負傷し救護室で再会したのが北野とその教え子であった。
負傷から戻ってきた南の連続得点に興奮した北野の教え子達。
ウインターカップ大阪予選でもその南のプレーを観戦し、憧れを抱く少年がいたことを思い出したのだ。
そんな話をしながら豊玉高校の同窓会はお開きとなった。帰路につく南は、大阪の街を懐かしみながら自然と幼少期によくプレーしたであろうバスケットリングのある公園に向かっていた。
時間は深夜、しかしボールをつく音が聞こえる。その音にただ者ではないと導かれるみ南。
そこにはスーツにYシャツ姿の青年がボールをついていた。顔を合わし、南の顔を認識した青年は、ある言葉を発する。
「南選手 どうしたら バスケット 上手くなれるんですか?」
その言葉、ウインターカップでも南に憧れて観戦に訪れた北野の教え子の言葉だった。
南は名前を訪ねた。すると
「レーゼンダンク神奈川 11番 吉良飛翔」
と答える。
板倉大二郎の契約交渉時に発せられた新型の蒼い弾丸とは吉良飛翔なのか?
南の問いにはぐらかした吉良飛翔であったが、紛れもなく新型の蒼い弾丸は吉良飛翔だと南は察する。
そして吉良飛翔は南への憧れの気持ちは今日ここで終わりにすると宣言。
憧れている時点で勝てない。
そして南の高校卒業後もプレーを観戦してきた飛翔は、
CBAリーグ、2年目以降、低空飛行を辿った南に対して、
「今の南は翔べるのか?」
「俺は翔べる」
と言葉を残した。
南は答えは、コートにあるとその闘志を滾らせる。
レーゼンダンク神奈川に豊玉高校出身、
板倉大二郎
吉良飛翔 が入団となった。
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